第二話 雪割草(ユキワリソウ):信頼
指定された場所は、割と高級なオフィスビルの五階だった。ロビーにあるパネルには、該当部屋番号のところに、キャラウェルコーポレーションという会社名が入っている。
イニシャルがCC。コーネリアスが使っているペーパーカンパニーの一つなのだろう。きちんとしたセキュリティ設備のある建物で、いつもより盗聴対策に気を遣っている証拠。今回の標的は、予想通りの相手となりそうだった。
「フルール、あなたはこのロビーで待っていて。あのセキュリティーゲート、あなたも通れるようにしてもらわないとならないし」
「ここで……? 一人で……?」
案の定、捨てられた子犬のような表情になって、揺れる瞳と震える声でフルールは見上げてくる。ラミアは右手のブレスレットを外し、その手に握らせた。
「これをあなたに預けるわ。あなたも祓魔師なら、どういう意味なのか、わかるわよね?」
マスカレイドで戦う祓魔師にとって、発動体を預けるのは、生命を預けることと同義。主戦闘能力を失うのだ。何かあったら助けてもらえることを期待しているという、信頼の証。
「これ、誰かの形見だったりするんだよね? マスカレイドじゃなくても大切なものだよね?」
却って不安そうに見上げてくるフルールの頭に手を置いて、ラミアは真剣な眼差しで告げた。
「だからあなたに預けるのよ」
「ふおおおお! やる気出てきたー!! あたし今、感動で胸が破裂しそうー!!」
喜びに舞い上がって、くるくると回り出すフルールを見て、ラミアは心の中で謝る。
(ごめんなさい、左手のもマスカレイドだってことは、内緒にしてしまって……)
右手の白薔薇には、敢えて目立ちやすい魔法回路が刻まれている。魔力を感じ取れる者なら、マスカレイドの存在を知っている者なら、明らかにそうと気付く代物。
逆に左手の赤薔薇は、感度が高い人間が初めから疑って調べないと気付かないような細工がしてある。ラミアにとって奥の手の一つであり、不意打ちの手段でもある。
マスカレイドを二つ使う人間自体珍しい。片方を敢えて目立つようにすることで、こちらもマスカレイドだと自発的に気付いた人間は、今までに何人もいない。
ラミアのIDは既に登録されているようで、近付くだけで開いたセキュリティーゲートを通って先へ進む。そのまま床に表示される誘導灯に従ってエレベーターを使い、目的のオフィスへと辿り着いた。入り口も二重扉となっている。厳重なセキュリティを見て、ラミアは思う。
フルールの同行を納得させるのは難しいかもしれない。今回コーネリアスは、情報漏洩をかなり警戒しているようだ。もう少し手軽な任務だったら良かったのにと、つい考えてしまう。
内側の扉が開くと、デスクがいくつも並んだ中に、コーネリアス一人だけが待っていた。
「急な任務で済まない。事情が事情だけに許してくれ」
壁際のソファへと案内しながら、実際にはそうと思ってもいなそうな表情で、コーネリアスは謝ってきた。任務の話が始まる前に、ラミアは先手を打って口を開く。
「コーネリアス、タコマの教会のジョシュアという牧師を知っているかしら?」
「何だ、藪から棒に? 知っているも何も、こちらの教会関係では、かなりの有名人だぞ」
既に噂になっているようだ。あれだけ似ていれば、当然のこととも言える。
「シアトルの大司教からは、かなりの危険人物とされている。――ああ、いや、不穏な意味ではない。彼のカリスマ性は、衰退している大司教の勢力から見ると、危険だという話だ」
「牧師だものね、ジョシュアは。まだそういう内輪揉めあるのね……」
教派間争いの話のようだった。よく考えてみれば、ラミアだからこその憶測にすぎない。ネクロファージと霊的エネルギー、その両方を感じ取れる者でないと出てこない発想。ただ顔が似ているだけでは、一時は話題になっても、すぐに忘れ去られる。
「ありまくりだ、この国は。人種、宗教、教派、地域。貧富の違いや年代の違いまで、あらゆるもので激しく対立し、憎しみをぶつけ合っている。だから外に共通の敵を作ろうとする」
うんざりした様子で語るコーネリアス。それについては、ラミアもまったく同感だった。
「ダグラスは何を考えているのかしらね? その場しのぎでやっているというよりは、むしろ外敵を作る理由とするために、内輪の対立を煽っている気すらするわ」
「俺の調査能力では、奴の脳の中身までは調べられない。お前の方が得意じゃないのか?」
コーネリアスはそう言って、大げさに肩を竦めた。ラミアは氷の瞳で見つめ返す。
「今あなたの脳の中身を調べないといけないようだけど? 私が知りたいのは――」
「個人的な付き合いがあるかどうかだというのなら、最初からそう言ってくれ」
言わずとも察したのだろう。もう一度肩を竦めると、コーネリアスは聞きたい答えを返した。
「ある程度の内偵はしたから、それなりには知っているが、それ以上は知らない」
気になる単語が飛び出て、ラミアは僅かに眉をひそめた。鸚鵡返しの形で問い質す。
「内偵って? 彼、バーナードの敵になるような人間とは思えなかったけど?」
「バーナードはあまり金は持っていないが、少ない収入から幾つかの慈善団体などに寄付をしている。あの牧師が運営している児童養護施設にもしたことがある」
「そう。バーナードは直接会ったことあるのかしら? あるとしてどれくらいの親しさ?」
「実際に会って人柄を確かめない限り、寄付などしない。その関係で内偵が必要だった。それ以降何度か会っているはずだが、もうホワイトリストに入れたから、俺は把握していない」
親交があるというのは、本当のことのようだった。バーナードがどれくらい敬虔な信者なのかは知らないが、ラミアたちに命じたことついて悩み、相談をしている可能性は充分にある。
ならば、フルールを受け入れてもらう余地はある。そうラミアが考えていると、コーネリアスは不審気な顔で問う。
「隠すようなことでもないから話したが、何故そこまで知りたがる?」
「ジョシュア自身は信用してるって考えていい? 彼の子飼いの祓魔師はどう? しばらく面倒を見なくてはならないの。今回の件への協力を、ジョシュアから命じられたんだって」
小細工をするよりは、そのまま打ち明けた方が良いと思い、ラミアはそう説明した。コーネリアスの反応は、至極当然のものだった。困惑の表情で問い返してくる。
「暗殺対象のほとんどがただの人間なのに、どうして祓魔師が出てくる? いや、そもそも、まともな聖職者が何故殺人を許容し、協力までする?」
そこについては、本当のところはラミアにもわからない。フルールの保護が本来の目的なのだろうとは思うが、仕事を手伝わせる必要まではない。正直にその気持ちを口にした。
「私にもわからない。単純に預けたい理由ならあるんだけど。でも彼も、今のこの国の状況を憂えてる。時には教えに背くことも、神の御心に従うことだと思ってるみたいね」
バーナードの力になれ。そう言ったジョシュアの言葉を思い出しながら、ラミアは語った。彼の気持ちはよくわかる。ラミア自身もまた、元々は聖職者だったのだから。
コーネリアスは、彼にしては珍しく長考し始めた。大分経ってから、口を開く。
「わかった。とりあえず会ってみよう。もしその祓魔師がダグラス側からの俺への刺客だったりしたら、お前が責任を持って守ってくれ。――いや待て、お前マスカレイドはどうした?」
「預けたわ、あの子に」
ロビーの様子を監視するためのものだろう。部屋の中のディスプレイの一つを、ラミアは指し示す。そこには先程からロビーのあちこちを嗅ぎまわっているフルールの姿が映っていた。
「一昨日助けたという祓魔師か。お前のような慎重な人間が、そこまで信頼しているのか?」
マスカレイドを預けることの意味を知っているのだろう。目を見開いて、驚きを隠さずにコーネリアスは言った。手元の端末に視線を落として操作しながら、言葉を続ける。
「フルール・ド・リス、十五歳。確かに住所はジョシュアの教会だな。以前からの知り合いか?」
「いいえ。一昨日出逢ったばかり」
しばしの絶句。無理もない、ラミア自身も不思議なのだから。我を取り戻したのか、コーネリアスは畳みかけるように非難してきた。
「何故そんな短期間で信用した? ダグラスの仕込みじゃないのか? ああいった可憐な少女を使って油断させ、陥れようとするなど、いかにも奴のやりそうなことだ」
「駄目なの?」
腕を組み、氷の瞳でコーネリアスを射竦める。脅迫する気はないが、もし断られるようなら、しばらくこの任務から距離を置くつもりだった。
元々は、単に危険を求めて受けただけの仕事。のちにバーナードの志に打たれ、それ以上の熱意を覚えてはいる。だが、自分の娘となったフルールを守ることの方が、今は大事と思える。一人を守れない者が、一人を変えられない者が、国を変えるなんてことが出来るわけない。
ラミアの視線の意味を、どう捉えたのかはわからない。コーネリアスは瞼を伏せ、小さく息を吐いた。そのまま少々考える素振りを見せてから答える。
「赤を使ってでも守ってくれるのなら、ここへ誘導しよう。だがこの場所はまずいな。壁際では使えないだろう? 俺は部屋の中央がいいか? デスクを移動する必要があるな……」
「大丈夫よ、ちゃんと奥の手はあるわ。私を誰だと思ってるの? 赤薔薇も奪われて、鎖で縛られたって、あなたのこと一瞬で殺せるわ」
コーネリアスはそれ以上の反論はせず、ただお手上げのポーズだけをした。ラミアは携帯端末を取り出して、先程レストランで登録しておいたフルールの端末に通話をかける。
「フルール、話はついたわ。誘導があるはずだから、上がってきて」
『はーい!』
元気な声で返事があり、ロビーを駆けてくるフルールの姿がディスプレイに映った。三分ほどでドアが開き、フルールの姿が視界に入ると、ラミアは眼を見開いた。
「フルール、あなたまさか!?」




