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心の色は薔薇言葉  作者: 月夜野桜
第二章 黒薔薇姫と白百合姫
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第五話 衝羽根朝顔(ツクバネアサガオ):心の安らぎ

「ねえフルール、私の正体を知った上で、それでも協力するって言うの? 一緒に人殺しをする気なの?」


 大分長い事泣かせたあと、ラミアは静かにそう訊ねた。フルールの頭を優しく撫でながら。


「お姉様の仕事は、ゴイの抹殺。牧師様に全部聞いてきた」


 ゴイ。非ユダヤのフルールにとっては、単に異教徒を差しての侮蔑語だろう。神の敵に相当する人間という意味かもしれない。しかし、あの牧師の影響ならば、そうとも言いきれない。


「その単語の意味、わかって言ってる?」


「死んで当然の人間なんていない。誰にでも生きる権利はある。この国では生きる権利と自由が保障されてる。でも他人の権利を侵害する人には、そもそも権利なんてない」


 フルールは自ら身を離し、ラミアをしっかりと見据えて言う。その眼は充血したままだったが、確かな意思が宿っていた。


「あのダグラスみたいに、自分のためだけになんでも好き勝手にやることは、自由とは言わない。かつてこの国が目指した自由はそういうものじゃないって、あたしは習った。他人に迷惑をかけない範囲でだけ、自分の好きにしても許してもらえるのが、本当の自由だって」


 自由主義における自由。一定の制限の下にだけ、自己決定の権利を持つ。他者を守ることで、自分を守る。ラミアが支持する者たちと同じものを、この幼い少女が目指している。


「かつてのような本当の自由の国に戻す。それがバーナードの目的だって教わったのね」


「そうだよ。ルールを守り、義務を果たした人だけが、その権利を保障される。他人を愛さない人は、神を愛さない人は、愛してもらう資格なんてない。そんなのただの神の敵に過ぎない。だからゴイ。人にして人に非ざるもの。その心が悪魔に憑りつかれた人」


 最後は何か憎しみのようなものすら籠っているように聞こえた。フルールを突き動かすのは、今のこの国の状況だけではないのだろう。実家ではなくあの教会に住んでいることから、過去に何かあったのは確実。それもリストカットするほどの絶望的なことが。


(これもまた、めぐり逢いなのかしら?)


 闇の仕事に巻き込みたくはない。しかし、特別な何かを感じる。出逢った状況も、血を分け与えることになったのも、最初から仕組まれていたのかもしれない。運命という大きな力に。その抗えない流れに、ラミアは身を委ねることにした。


「わかったわ。それだけの決意があるのなら、あなたを同志として迎える」


 フルールの表情は、花が咲いたようにぱあっと明るくなった。ラミアの手を取って、これでもかというくらいに顔を近付けて、元気な声で問う。


「ホント、お姉様? あたし、要らない子じゃないの?」


「ええ。あなたの氣や魔力はとても目立たないし、遠距離攻撃が出来るみたいだから、私とコンビを組む場合の相性もいいと思う」


 慰めでも気休めでもなく、本当にそう思う。先程は、視界に入って初めて、フルールがいることを認識した。目を瞑っていても人混みの中を歩けるラミアでさえそうだったのだ。どう身に付けたのかは知らないが、気配を消す能力だけなら、既に超一流と言っていい。


「えへへー、相性いいよね、やっぱり! あたし脚遅いし、どんくさいから、これなんだ!」


 フルールが右手に軽く魔力を流すと、先程の白銀の拳銃が現れた。魔力によってその体積を拡張された、ルナタイト製の武器。つまりはこれがマスカレイドということになる。


 拳銃型などという代物はラミアも初めて。思わず勝手に手を触れ、あちこち眺めてしまう。


「とても珍しいわね。直接攻撃武器じゃないマスカレイドって、初めて見たわ」


 長く伸びて攻撃するものや、手元と鎖で繋がっていて、投げて使うものは見たことがある。しかし、ダメージ源そのものが使用者から完全に切り離されるものは、聞いたことすらない。


「これね、天罰パニッシュメントって名前なの。魔力を超圧縮して、弾丸みたいに撃ち出す特別製なんだ。そして実はこれには……」


 得意げな顔で、自分のマスカレイドについて語るフルール。ラミアは期待して続きを待った。


「これには?」


 返事の代わりにグーっという音が響く。フルールはマスカレイドを解除して、腹を押さえてへたり込んだ。


「お腹空いたー! 朝から何も食べてないの思い出した……。すれ違っちゃったら困ると思って、今日は一歩も動かなかったんだ」


 余りの緊張感のなさに、ラミアの方までへたれ込みそうになった。とはいえ、泣かれるよりは良い。材料はまだ購入前。自宅に連れ帰るには、あの寝室もどうにかしないとならない。


 しばし思案ののち、この公園の反対側にイタリアンの店があるのを思い出した。確か生パスタを使用していた記憶がある。そこならラミアの本来の目的も果たせる。


「じゃあ、お昼食べに行きましょう。おいで。――あ、これ返すわね。もう自分の身体を傷付けるためには使わないって、約束するならだけど」


 誰かに持ち去られたら困ると思い、逃げ出す前に拾っておいたルナタイト製のダガーを取り出した。フルールの顔がまた喜色に包まれる。


「拾っといてくれたんだ! これとっても大事なやつなの。良かった、失くさないで」


 フルールがダガーを手に取ろうとしたが、ラミアはそれを高く持ち上げて渡さない。フルールはぴょんぴょん飛び跳ねて取ろうとするが、その手を避け続けた。何故そうするのかは、敢えて言わなかった。自分で気付いて欲しい。そうでないと、また繰り返すことになる。


「どうして意地悪するのー!? お姉様、あたしのこと嫌い? やっぱりあたし、生きてる価値なんて……あ、これがいけないのか」


 行動の意味を理解したようで、フルールは一度畏まって頭を下げながら言った。


「ごめんなさい、もうしません。この生命は牧師様かお姉様のためだけに使います」


「それでいいわ。でも気安く生命を懸けたりなんかしちゃ駄目よ」


 自傷行為に走るくらいだから、フルールはきっと自分の生命の価値を理解していない。だから今後のために、少々説教くさいと思いながらもラミアは語った。


「その身を犠牲にしてでも何かを成し遂げなければいけないときは、確かにある。誰かのために生命を投げ出さなければならないときもある。でも必要なのはその覚悟だけ。それを前提に考えては駄目。そうしないでどうにかする方法を考えるのが、本当に生命を懸けるということ」


(そう、大切なものを犠牲にしてまで救ってもらったって、幸せとは思えないのだから)


 それは過去に向けての言葉だったのかもしれない。自分と、愛する者たちのかつての姿に。


 フルールの心にも届いたのだろう。一度だけ力強く頷いた。ラミアは僅かに微笑み、ダガーをその手に返す。フルールはスカートを軽く捲ると、太腿のホルダーにそれを格納した。


 意外なところに隠しているものだと思った。背は低いが、よく見ると結構いいスタイルをしている。ちらりと自分の身体に視線を落とし、敗北感を覚えてラミアは目を伏せた。


「おいで、こっち」


 気を取り直すと、フルールの手を引きながらダウンタウン公園を横切った。ふとラミアの視線が左に吸い寄せられていく。そこにいる白い動物。もふもふの塊。視線が合うと、仲間を見つけたとばかりに嬉しそうな顔になり、リードを振り切ってこちらに向かって駆け寄ってきた。


「可愛いー! もふもふ、もふもふ。駄目じゃない、逃げ出してきちゃー」


 ラミアはしゃがんでその犬を受け止めると、抱きしめて頬ずりした。ふわふわと柔らかく温かいその身体は、ラミアの心を一瞬にして蕩けさせる。


「お姉様、わんちゃん大好きなんだね?」


(はっ。お、思わず……)


 フルールの言葉で正気に返り、ラミアは慌ててその場を取り繕った。


「ほ、ほら、捕まえてあげないと大変なことになるし、動物は敏感だから、怯えさせないように猫撫で声出しておかないと。この子をあの飼い主のところに戻してきてくれる? お願い」


 急に真顔に戻ったラミアを、首を傾げつつ不審そうにフルールが見上げている。その手にリードを押し付けると、初めから興味などなかったかのように、ラミアはさっさと歩き出した。


(私は冷酷な暗殺者。人はもちろん、動物も愛さない。氷の瞳の黒薔薇姫なのだから)


 心の中でそう自分に言い聞かせる。愛着を持っていいのは、複製出来るものだけ。代わりが手に入るものだけ。そうでなければまた――


 その思考は、追いついてきたフルールによって遮られた。温かい手でラミアの手をぎゅっと握ってくる。振り払えないのがもどかしかった。自分には必要なくても、彼女には必要そうだったから。


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