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帰する人  作者: 山鳥月弓
神の国での生活
25/30

不安? 期待?

 旅立つ日はあっという間に来てしまった。

 ヴェナが冒険者になり、俺がその仲間として同行するという話を聞いてから一週間しか経っていない。

 アスラさん一家は既に判っていた事で、ラプも随分と前から聞かされていたのだから、突然だと感じているのは俺だけらしい。

「タビト君、ヴェナをよろしく頼む。目を離さず見守ってくれたまえ」

 そんな事をアスラさんから言われたが、ヴェナの方が強いのだから見守られるのは俺の方ではないかと思ってしまう。

「タビト君、ヴェナの事お願いね。我儘言ったらひっぱたいても構わないから」

 ヴェルさんもアスラさんと同じような事を言うが、ヴェルさんからひっぱたくなどという言葉がでるとは思いもしなかった。

 まあ、ひっぱたくなんて事、簡単に避けられて反撃されるだけだろう。


 アスラさんは心配そうな顔ではあるが、どちらかと言えば怒っているようにすら見え、ヴェルさんは心配そうで、今にも泣き出しそうに見える。

 ラプはといえば、いつものようににこにこと笑顔で、心配なんてまったくしていないようだ。

 いつもは馬車を使っていると思うけれど、今日は屋敷の前から歩いて門まで歩く。アスラさんにヴェルさん、そしてラプが、俺とヴェナの後ろを歩いて来ていた。

 門まで来ると、開くまで待たなければならなかった。

 この門が開き終わると、いよいよ冒険者としての旅が始まる。

「無茶しちゃだめよ。辛いならばすぐに帰っていらっしゃい」

 ヴェルさんが泣き出しそうな顔で見送りながら手を振っている。

 俺とヴェナは並んで門の外へと出た。

 ヴェナは振り向く事もなく歩いている。


 門が見えなくなるとヴェナは立ち止まり、空を見上げた。

「素晴らしい日だわ。空も晴れて祝福してくれている。私達の冒険の旅が始まるのよ」

 空は確かに晴れてはいるけれど、雲もそれなりに在った。太陽は輝いて見えてはいるけれど、薄い雲がかかっている。海側の遠くの空には雨を降らせるような黒く厚い雲すら見える。

 この辺りの空は晴れる事が少ないので、確かにこれくらいでも晴れといっても良いだろう。

 それでも快晴とは言えないくらいの雲が見えていた。

 まあ、そんな事を言って水を差すつもりはない。ヴェナの顔は期待に満ち溢れているのが判る程に晴れやかだ。

 ヴェナの晴れやかな顔とは反対に、俺の中には不安しかない。

 この大陸の事はほんの少しだけの知識しかないのだし、冒険者なんてまったく想像できる仕事でもない。

 ヴェナがその目で見ている空と、俺が見上げているこの空は違うものなのではないかと思う程、この空は俺を不安にしてくれる。


「なんでそんな沈んだ顔をしているのよ。これから楽しい旅が始まるというのに」

「ヴェナに不安なんてないんだね」

「どうして不安になんてなるのよ。これから先の事なんて楽しい事しか思い浮かばないわ。さあ楽しい旅の始まりよ」

 芝居掛かった口調でそう言うとヴェナは前を歩きだす。

「タビトの生まれた所ではずっと戦争が続いているのでしょ?」

「うん。俺が生まれるずっと昔から戦争しているらしい」

「戻るつもりなの?」

「え? そんな事、考えたこともなかった」

「この大陸にずっと居ればいいわ。そんな馬鹿なことをやっている場所に戻る必要はないのだから」

「うん。まあ、そうだね」

「でも、この大陸に居たとしても、あの屋敷の中だけで暮らし続けるというのは、戦争ばかりやっている場所に戻るのと同じくらい退屈でつまらない一生になるのよ」

「……」

 また良く判らない話が始まったようだ。

「でも歩き続ければ毎日違う景色を見る事ができるし、違う人と会う事もできる。まったく違う食事ができて、まったく違う遊びができる。そんな毎日が楽しくない訳がないじゃない」

 ヴェナの言葉を聞きながら、俺はラプへ連れられ、この大陸へ来た時の事を思い出していた。

 山の景色なんてどれも同じだと思っていたけれど、故郷の山とはまったく違う山ばかりだった。

 故郷の村の人々とは違う、優しい人ばかりだった。

 食べた事も、もちろん見た事も聞いた事もない食事ばかりだった。

 故郷のあの村に居ては一生縁のなかったであろう剣すらも振るようになっていた。

 確かに、この旅の先には、もっと、今とはまた違う何かが在るのかもしれない。


 街の中を南門を目指して歩く。

 ヴェナが先を歩いて俺はその後ろを歩いていた。

 つい先日、初めてこの街を一人で歩いたばかりだけれど、その街から出て見た事のない世界へと足を踏み出すのだ。

「その服と背嚢はラプから貰ったの?」

「うん。旅に出る事が決まった次の日に渡された」

 ラプから渡された服は動きやすそうではあるけれど、厚手の布地で出来ている。少し緑色が入った灰色で、背嚢も同じ色合いだった。

「まるで冒険者みたいな服装だわ」

「冒険者になるのだから変ではないだろ」

「変だなんて言ってないわよ。真新しくてなんだかぎこちないわ。少し大きいんじゃない?」

「大きいのはまだ成長するからだってラプが言ってた」

 あまり服の事は判らない。確かにあまり見掛けない服装だとは思うけれど、さほど変とも思わなかった。

 まあ、確かに少しだけ大きいのだけれど。

「ヴェナはいつもと変わらないね」

「この服、お母様の手作りなのよ。お婆様から習ったんですって。私も少しだけ習ったのだけれど、まだまだ上手く作れないのよね。この刺繍の部分が思うようにできなくて……」

 その服装はいつもラプや俺と剣の練習や試合の時に見ていた服装だった。

 黒い色だけれど、胸の辺りには色の付いた糸で模様が入れてある。


「へえ。あの綺麗な白い服もヴェルさんの手作り?」

 剣を持っていない時のヴェナは真っ白なワンピースを着ている事が多かった。

「え? あれは違うわよ。流石にあんなヒラヒラとした複雑なものは仕立ててもらっているわ。これは今日の為にお母様が新しく作ってくれたのよ。私はこっちの服の方が好きなの。動きやすいし格好良いでしょ」

 ヴェナは立ち止まり、その場でくるりと一回転して見せる。

「お父様と同じ萎竜賊の服よ。我が家の冒険衣装みたいなものね」

「いりゅうぞく?」

「まだ話していなかったわね。まず向かうのはその萎竜賊の村、ヴィファー村になるわ」

 色々と疑問が湧いてくる。何から訊くべきだろうか?

「どうしてそこに向かうの?」

「まずは私の剣技を仕上げなきゃならないの」

「しあげ?」

「そうよ。まだまだ私の剣技はお父様のように極めたものではないもの。萎竜賊の村に行って、そこで奥義を習う必要があるのよ」

「おうぎ?」

「そうよ。竜を倒す事が出来る奥義」

「……竜って。竜を倒すの?」

「倒さないわよ」

「……」

「倒さないけれど、強くなるにはその奥義も会得する必要があるのよ」

 なんだか判らないけれど、そうする必要があるのだろう。


「それじゃ、冒険者の登録は? 登録する必要があるってラプが言っていたけど」

「それはその後ね。まあ心配しないでもその内に登録するわ」

 すぐにでもその登録とやらをやるのだと思っていた。

 冒険者になれるのはまだ先の事らしい。

「路銀はあるから心配しないで。あなただってラプから幾らかのお金は貰っているのでしょ?」

 俺はまだこの大陸で使われているお金の事がよく判っていない。

 俺の故郷でもお金らしき物はあったようだけれど、そんな話を少し聞いていただけで見た事はなかった。

「うん。お金の事はよく判らないけど、これくらいの袋に入った金貨っていうのを貰った」

 俺は両手で林檎を三つくらい持っているような格好をして見せる。

「そんなに貰ったの……。私より多いわよ。それ。冒険者の仕事なんてしなくても数年は旅できちゃうわ」

「そうなんだ」

「まったくラプってば、どうしてそんなに甘やかすのかしら」

「……」


 街の南門を潜ると、そこには広大な平野が在った。

 傾らかな下り坂に先が見えない程遠くまで道が続いている。

 行き交う人々も数名見え、先が見えなくともその道がどこかへと続いている事が判る。

 山での景色くらいしか知らない俺にとって、このどこまで続いているのか先が見えない平野は世界が広い事を教えてくれた。

 当たり前だと言えば、あまりにも当たり前の事だけれど、俺が暮らしていたこの大地にはまだまだ行った事が無い世界が広がっているのだと実感できてしまった。

 この大陸に来て、初めて見る白い世界を見た時の感動と同じような感情が、また俺の中に生まれている。

 この五年間で見てきた場所はまだほんの一部分でしかないのだろう。


「さあ、旅が始まるわよ」

「え? 屋敷を出た時から始まっているんじゃないの」

「なにを言っているのよ。この街は私の庭のようなものなのよ。その庭を出たのだからあの家を今やっと出たって事になるのよ」

 なにを言っているのかよく判らないけれど、ヴェナにとってはこの街も屋敷の一部のようなものだと言いたいらしい。

 そうなのだ。

 まだ俺はその小さな世界しか見てはいないのだ。


「あっ、やっと楽しそうな顔になった」

 ヴェナが俺の顔を見て、笑顔を見せる。

 初めに会った時の、あのキラキラと輝いていた顔がそこに在った。

 俺の中から不安が消えた訳ではないけれど、希望なのか期待なのかは判らない何かが俺の中には在ったようだ。

 その何かは、不安よりも大きく膨らんだらしい。


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