強い? 弱い?
ヴェナの剣が俺の首筋にぴたりと置かれる。
「負けました」
何度目の負けだろう。数えきれない程の負けを繰り返している。
勝てる日など永遠に来ないのかもしれない。
「ふふっ」
剣を鞘へと収めながら満足そうな顔で笑みを浮かべるヴェナは、ラプに負けた時とはまるで別人のような顔をしている。
「まあ、私に勝てる日なんて来ることはないわね。相手をしてあげている私に感謝して欲しいものだわ」
勝てない事など俺が一番判っている。なんだか癪に障るが、この気持ちはラプに負けた時のヴェナの気持ちと同じなのだろう。
俺はヴェナ程、顔に出してはいないと思うけれど。
「魔力は少しだけ勝てないけれど、剣ならまだまだ余裕すぎるくらいに私の圧勝ね。もっと強くなってもらわないとつまらなくてあなたと剣の勝負なんて飽きちゃうかもしれないわよ」
この言葉も何度も聞いたが、未だに対戦してくれるという事は今の所はまだ飽きてはいないらしい。
残念ながら魔力は俺の方が強いといっても、ヴェナの動きと振る剣の早さから逃れる事は出来ていない。
飛べるようになった時には勝機もあるかと思ったけれど、その当ては外れた。
まあ、まだ剣を振りだして一年ほどの俺が、小さな頃から剣を振っているヴェナに勝てるはずなどない事など当然だとしか言いようがない。
「ところで来月、お父様が主催する剣の大会があるのだけれど、あなたも出てみたら?」
「剣の大会?」
「ええ。毎年、春にやっているのよ。十五歳以上なら誰でも参加できるわ」
「ヴェナも出るの?」
「私は出ちゃだめだって言われたのよ」
ヴェナは少し口を尖らせている。
誰でも参加できるのであれば、ヴェナが自分から出ないと言う事はないはずだ。またアスラさんを怒らせるような事でもしたのだろうか?
「どうして? 誰でも参加できるのだろ?」
「ふふふっ。それは私が強すぎるからよ」
予想に反し、ヴェナは自慢気に笑みを浮かべている。どうやら本当の事らしい。
これが言いたかったからこの話を始めたのではないだろうか?
「そお……」
ラプやヴェナがどれ程強いのか、剣士と呼ばれる人の基準が判らない俺は答えに困ってしまった。
「俺じゃ手も足も出ないままで終わるんじゃないかな……」
「え? あなた、自分がどれ程強くなっているか判っていないの?」
「……俺が強い?」
「弱いわよ」
「……」
「……あぁ、えっと、この辺りの剣士を名乗る奴等くらいならなんとかなる、かもしれないというくらいには弱くはないんじゃないの、ってこと」
なんだか良く判らない。
「つまり、俺はそこそこ強くなっているってこと?」
「弱いわよ」
「……」
「まあ、とにかく出るのね? お父様に言っておくわ。それじゃ」
ヴェナはそう言うと板へと乗り、飛び去ってしまった。
「剣の大会……」
不安しかない。
俺の返事も聞かずに帰ってしまったヴェナを追い掛けて「やっぱりやめる」と言った方が良いだろうか?
ラプとヴェナ、たまにアダクムさんと、この三人としか剣を交えた事はない。
俺はまったく歯が立たずに、無惨な負けで終わるのではないだろうか?
……不安しかない?
本当だろうか?
心の奥底に少しだけ、勝てるのかもしれない。良い勝負が出来るのかもしれない。そんな小さな希望がヴェナの言葉の中から生まれ、俺の中に植え付けられていたようだ。
「うん。出ても良いんじゃない」
夕飯を食べながらラプがそう言う。
「勝負になると思う?」
「さぁ? 対戦する相手にも強いのも弱いのも居るんじゃないかな? 今の僕じゃそこまで判らないよ」
相手次第という事か。まあ、そりゃそうだ。
「別に負けてもいいんじゃないのかな? 勝った所でタビトには不要なものしか貰えないはずだし」
「不要なもの?」
「うん。確か、皇都の騎士団に入れてもらえるように、推薦状をアスラが書いてくれるっていうようなものだったと思うよ」
「騎士団って?」
「兵士のすごい人達みたいな事を言っていたように思うけど、僕もよくは知らない」
確かに俺には不要な物だ。
俺には理解できないけれど、そんな物が欲しいと思う人が居るという事なのだろう。そうでなければそんな物を賞品になどしないはずだ。
でも、自分の強さというものを知ってはおきたい。
いったい俺の剣の腕前はどれ程のものなのだろうか?
やはり俺は大会に出てみたいと思っているらしい。
「出るだけでも出てみたら? 別に負けたからといって失うものがあるわけでもないのだし、怪我の心配はあるけど、まあ木の剣での戦いだったはずだから大怪我まではしないでしょ」
これまでラプ達とは本物の剣で練習をしていた。もちろん試合も。
怪我など一度も無かったのは運が良かったのだろう。
次の日の昼過ぎ、いつものようにヴェナがやって来る。
「悪いのだけれど、大会はあなたも出られないそうよ」
「えっ? ……あ、そう」
なんだか少し残念だったけれど、ほっとした気持ちもある。
「誰でも出られるのじゃなかったの?」
「魔法禁止だから駄目らしいわ」
「えっと、ヴェナが出られないのも、強すぎるからじゃなくて、魔法が使えるからじゃ……」
「違うわよ。使えても使わなければ出ることは出来るわ。あなたは魔法なしじゃ立つことも出来ないじゃない。私は剣だけで戦えるわ」
「なるほど……」
試合中は魔法を使っては駄目だという事か。
確かに俺では立つ事もできなくなってしまう。
「出たいという気持ちは判るけれど、我慢しなさい。私だって我慢しているのだから……」
別段、出たいなどと言った事はないけれど、やっぱり少しだけ残念な気持ちはあった。
ヴェナを見るとその目が小屋の玄関先にある椅子へと向いている。
「……使わなきゃ、いいのよ……」
そう呟きながらヴェナは椅子の方へと歩きだした。
椅子の側に立つと椅子を持ち上げ、俺の方へと持って歩きだす。
「女性が重い物を持って歩いていたら、『持ちますよ』って言って、持ってあげるものよ」
「ん? どういう意味?」
その木で出来た椅子は背凭れが高く、俺やヴェナの胸辺りまで高さがある。
さほど重くはないが持ち難い椅子ではあった。
「もういいわよ。まったく気がきかないわね」
そう言いながら庭の真ん中に椅子を降ろすと、俺の方へと向き「座りなさい」と言う。
「なにをするの?」
「魔法を使わないで大会に出る練習よ。私の話、聞いていなかったの?」
「……重い物を持ってあげるってはなし?」
「……もういいわ、とにかく座りなさい」
言われるがままに椅子へと座るとヴェナは俺の前から少し離れてこちらを向いた。
この距離はいつも剣の試合で対峙する距離だ。
ヴェナは剣を抜いた。
「私の振る剣を避けなさい。魔法は使っちゃだめよ」
「え? そんなのむり……」
俺の言葉が終わらないうちからヴェナはこちらへと剣を打ち込んでくる。
ヴェナの剣は殆ど振り下ろされる事もなく俺の頭上で止まった。
「この椅子はだめね。背凭れが邪魔だわ」
そう言うとヴェナは庭へと目を向ける。
「ヴェナ、なにをしようとしているのさ」
「……あれがいいわ。タビト、あの手摺りに腰掛けてみて」
「ちゃんと説明してよ」
「だから言っているじゃない。魔法を使わずに戦えるのなら大会に出られるのだから、そうすればいいってことよ」
やっとヴェナがやろうとしている事が、なんとなくではあるけれど判った気がする。
「えっと、つまり、俺が座ったままで相手の剣を避けられるようになれば、剣の大会に出て戦えるってこと?」
「さっきからそう言っているじゃない」
「いや……、まあいいや」
ヴェナの言う通りに近くの、いつもは歩く為の練習で使っている手摺りへと腰を掛ける。
最近では、手摺りは殆ど使わなくなってしまっているので、そろそろ無くてもいいとラプに言ってみようかと思っていたところだった。
「剣を抜いて」
剣を抜き、いつものように目の前に斜めに構えてみるが、どう考えても後ろへ下がれない俺は避ける事など出来そうにない。
「いくわよ」
ヴェナはいつもとは違い、上段に構え、俺へと突っ込んでくる。
その早さもいつもより遅い。
俺の目の前で振り下ろされる剣の軌道をしっかりと目で追い、俺は身体を左へと逸らす。
剣は空を斬り、俺の左側で止まった。
「まあ、これは出来るわよね」
いつもよりヴェナが突進する速度も、剣を振る速度も遅い。避ける事はできるがこれが意味があるようには思えない。
「次、横からね」
「横は無理だよ。後ろに下がれなきゃどんなに遅い剣速でも避けられるわけないじゃないか」
「そこは上手く考えなさい。いくわよ」
ヴェナはいつものように下段に構え、こちらへと突っ込んでくる。
不可能だ。横に避けるにしても上半身だけでは避けられない。
腰から下も動かさなければ、どれほど剣速が遅くても避ける事など出来はしない。そして魔法無しでそんな事は俺にとっては不可能な事なのだ。
「えぃ」
次の瞬間、咄嗟に剣を前へと突き出していた。
顔は下を向いていて、どうなったのかが判らないので顔を上げ、ヴェナを見てみる。
ヴェナは目を大きく見開き、俺が突き出した剣先を見ていた。
ヴェナがあと一歩、前へと進んでいたら俺の剣はヴェナの喉あたりへと突き刺さっていただろう。
「……や、やるじゃない。でもまだまだね」
それはそうだ。
実際の試合ではまったく通用しないだろう。
一般的な剣士と呼ばれる人々はどれくらいの動きをしてくるのか見当もつかないが、今のヴェナの動きは遅すぎるはずだ。
その日からヴェナは俺が座ったままでの剣術の稽古につき合ってくれた。
そして、一ヶ月が過ぎ、大会当日を迎える。




