追放? 邪魔?
「それじゃ本気でやっていいのね」
ヴェナの顔が活き活きとし、目が輝いている。
今日は二人の踊り、いや、試合を間近で見る事にした。
昨日の夕飯時にラプへとその事を伝えると、あっさりと「うん」と言う。ラプには俺が少し前へと進んでいる事が判っているらしい。
そして「二人の本気も見たい」と言うと、少し悩んだ後で「まあ、そろそろ一度見ておいてもいいのかもね」と意味深な事を言っていたが許してもらえたようだった。
二人はいつものように距離を取って対峙する。
二人同時に金属音をさせながら剣を抜いた。
その音は俺の背中に悪寒を走らせるが、まだ我慢できる。
悪寒などより、これから始まる試合が俺を引きつけていた。
昨晩のラプの意味深な言葉によって、その期待は大きくなっている。
いつもは剣を抜くと同時に二人は駆け寄り、すぐに踊りが始まっていたが、今日はラプは動かず、ヴェナは少しずつラプへと躙り寄っている。
ヴェナは腰を少し低くして剣を右斜め下へと下ろすように持ち、ラプは目の前に斜めに構えていた。こんな構えをしている二人を見た事がない。
どれほどの時間が経ったのだろう。張り詰めていた空気の中で、二人のあまりにも静かな戦いを見ていると、二人が持つ剣の鈍い輝きが目に付くようになってきていた。
なるべく剣へ意識を向けないようにしていたけれど、この静かな戦いではどうしても剣が意識へ入ってくる。
やばい。頭痛が始まった。胸がむかむかとして吐きそうだ。
そう思った瞬間、ヴェナの姿が消えた。
ラプへと視線を移すとそこにはヴェナが居る。消える前と同じように剣を右斜め下に構えたままの状態で前方を向いているが、ラプはその視線の先には居ない。
ラプはヴェナの右側に立ち、持っている剣をヴェナの首筋へと充てがっていた。当ててはいないようだ。
俺はなにが起きたのか判らない。
ラプとヴェナの距離はかなりあったはずだ。
一瞬にしてこんな状況になるなんて、どう考えてもありえない。
時が止まったかのように動かない二人だったけれど、すぐにヴェナがその場にへたり込んだ。
ラプは剣を鞘へと収めながらヴェナに「剣を収めて」と言う。ヴェナはよろよろと立ち上がり腰に下げていた鞘へ剣を収めると、またその場へとへたり込んだ。
「勝てると思ったんだけどなぁ……」
そう言うとヴェナは更に肩を落としながら溜息を吐いた。
「うん。前よりずっと早くなってるよ。もう少しで負けるところだった」
ラプはそう言うといつものにこにことした笑顔を浮かべている。
「嘘ばっかり……」
ヴェナはラプを恨めしそうに見詰めた。
ラプが俺を見るとこちらへと歩いてくる。
「どうだった?」
どうと言われても、何が起きたのかも判らない俺は答えに困ってしまう。
「どうって……。ラプが言っていたように、なにが起きたのかも判らなかったよ」
「うん。そうだと思う。それで、試合じゃなくて、気分の方はどうだったの?」
「あ、そっちか……」
こっちも答えに困ってしまう。
吐きそうにはなった。
けれどその後の二人の動きにそんな事も忘れてしまっていた。
「とりあえず、大丈夫だった……」
剣に慣れてはきてはいたけれど、だからといってもう平気だとも言えない。自分でもどれほど慣れてきているのか判らない。
なんだか、そんな答えしか口から出てこなかった。
「それじゃ、僕は小屋の掃除をするね」
「え? もう終わりなの?」
「うん。ヴェナはもう動けないからね」
ヴェナを見るといつの間にかその場に大の字になっていた。
「え? ヴェナは大丈夫なの?」
「うん。動けないだけだよ。その内起きて帰るから大丈夫」
そう言うとラプは笑顔を浮かべ、小屋へと入っていった。
大の字に寝そべっているヴェナを少し眺めていたが、ぴくりとも動かず、俺はそのまま見ている訳にもいかないので歩く練習をする事にした。
庭の真ん中で寝そべっているヴェナを横目にいつもの練習開始場所へと歩く。
「どうだった?」
俺がヴェナの近くを通ろうとすると突然むくりと上半身だけ起き上がり、訊いてくる。
「うん。少し吐きそうにはなったけど大丈夫だった」
「そうじゃなくて、私の剣術よ」
「あ、そっちか……」
剣を振った事も、なにより剣を持つ事すらまともに出来ない俺に訊く事だろうか?
「すごかったよ。俺じゃなにが起こったのかも判らなかった。人ってあんな動きが出来るものなんだね」
「……普通じゃ無理よ。出来るようになるまで何度も何度も、朝も晩も、昼間でも夜中でも、暇さえあれば剣を振ってやっとここまで出来るようになったのよ」
「そお……」
何が言いたいのだろう?
「『そお』じゃないわよ。あなたも努力して早くその変な病気を治しなさいよ。あなたがそんなだからラプはあなたから離れられないのよ。そんなんじゃ私がラプと……」
まだ途中だったらしい言葉を飲み込むと口を真一文字に結び、黙り込む。
言葉の続きの代わりに「はぁ」と溜息を吐き、また大の字になって寝そべってしまった。
それが言いたかったのか。まだ何かを言おうとしたようだったけれど。
まあ、確かにヴェナの言う事はもっともなのだろう。ヴェナから見れば弱い俺はラプの側に居てはいけない人間らしいという事はこれまでに何度も聞いた言葉だ。
俺自身も、もっと強くなって、ラプの助けなしで生きていけるようにならねばならない事は判っているつもりだ。
それから二時間、いつものように歩く練習をする。
庭を一周するだけの事に二時間もかかってしまう。ずっと同じ場所を歩いているが早く歩けるようにはならない。ヴェナが言う努力はやっているつもりだけれど、まだまだ足りないのだろう。
庭を一周し終え、ふとヴェナを見るといつの間にか起きて、いつもはラプが座っている椅子に座っている。肘掛けに肘を乗せ、頬杖でこちらを見ていた。
今日の歩く練習は終わったので小屋に入りたいのだが、なんだか近付くのに躊躇してしまった。
そのまま立っている訳にもいかないので小屋へと歩くが、ヴェナはまだ俺を見ている。
ヴェナの目の前まで歩くと俺から声を掛けた。
「まだ動けないの?」
「あなたを待っていたのよ」
「え? なんで?」
「……先刻、言った事をあやまろうと思ったの」
そう言うヴェナの顔はなんだかしょんぼりとしている。いつもの元気がない。まだ動けない程に疲れているのだろうか?
「先刻は悪かったわ。ラプに負けた八つ当たりがあんな言葉として出ただけだから気にしないで」
「え? あ、うん……」
「強くなるどころか、歩くのですらあんなに時間を掛けなきゃならないなんて、あなたも大変なのね。あなたは十分に努力をしているのだと思ったわ。歩けるどころか歩く脚さえ無かったのだから。それを考えればこれまでも十分な努力をしていたのだと判ったわ……」
ヴェナは「はぁ」と溜息を吐き、椅子から立ち上がった。
「それじゃ帰るわ。さよなら」
「うん。さよなら」
いったいなんだったのだろうか?
いつものような剣幕で捲し立てるような口調ではなかったが、ラプに負けたという事はそれ程までに落ち込ませるような事なのだろうか?
でも、ヴェナが言った「努力して早く病気を治せ」というのは間違えではないだろう。
「先刻の言葉は俺への励ましの言葉として受けとっておくよ。ありがとう。これからもがんばるよ」
屋敷へと向かっていたヴェナの脚が止まる。
こちらへ振り向くと、ぼんやりと俺を見ていた。
「……なに?」
「……気楽なものね。私がこれからお父様になにを言うのかなんて考えもしていないのね」
「意味が判らないのだけど」
「私ね、これからお父様にあなたはこの屋敷から出ていってもらうべきだと言うつもりなの」
「えっ」
「あなたは遅いとはいえもう歩けるのだし、剣を見ても平気になったのだからラプの邪魔になっているだけのあなたはここに居ても良い存在ではないと思うの」
「俺がラプのじゃま……」
「ラプの側に居てもいいのは強い人だけよ。あなたはラプにとって邪魔なだけの存在だわ」
「……」
「ラプの邪魔というだけではないわ。あなたがこの屋敷に居る意味はあるの? この屋敷に住む人達は皆それぞれの仕事をしているからここへ居ることが出来るのよ」
返す言葉はなかった。
屋敷へと帰っていくヴェナの後ろ姿を見送りながら自分の置かれている立場を考えてみる。
俺はラプにもこの屋敷に住んでいる人々にも、何もしてあげられていない。
仕事どころか、誰かを助ける事すらしていない。何もしていない。ただ食べ、寝て、歩いているだけだ。
ラプやこの屋敷の住人達の邪魔だというヴェナの言葉は間違えではない。
俺はラプの側を離れて生きていかなければならないらしい。
その日の夕飯は少しだけ豪華だった。
いつも十分に豪華だと言える食事だったけれど、今日は二品ほど御菜が多いし、俺の好物ばかりだ。
「今日はタビトの病気が少し良くなったお祝いだよ」
ラプが楽しそうに夕飯を食べるのを見るのは久し振りだと感じた。
にこにことしながら話すラプだったけれど、ヴェナの昼間の言葉ばかりが頭の中でぐるぐると回り続ける俺は、喜ぶ事ができない。
次第にラプの顔も俺に釣られたかのように沈んでいった。
「ヴェナになにか言われた?」
昔から思っていた事だが、ラプは人の心を読む事が出来るようだ。
いつものように正確に、まるで見られていたかのように起きた事を言い当てられた。
「俺はラプの邪魔なのか?」そう訊いてみたかった。
ラプが「邪魔だ」なんて言う事はないだろう。本当は邪魔だと思っていたとしても。
それならば俺がラプの側に居ても良い存在であれば、誰も文句は言わないのではないだろうか。ラプがアスラさんに頼まれている仕事というのがどんなものなのかは判らないが、その助けができるくらいの存在であれば良いのだ。
「強くなるにはどうすれば良いと思う? 俺は強くなれると思う?」
「……そうか。ヴェナにまた強くなれって言われたんだね」
「うん」
「気にしなくていいと思うよ」
「それじゃダメなんだ。ヴェナの言うことは間違っていないと思うんだ」
「ヴェナの強くなれっていうのは、ヴェナの剣の相手が出来るようになれって言っているようなものだからね。気にしなくても……」
ラプの言葉が途切れ、黙り込んでしまった。
何かを考え込んでいるらしい。
「うん。それじゃ、明日から剣の練習もやろう」
「え?」
「強くなりたいのでしょ?」
「え? うん。そうだけど」
「それじゃ、やろう」
そう言うとラプは目の前の皿に盛ってある芋をフォークで刺し、口の中へと入れるともぐもぐと、いつもの笑顔を見せながら食んでいた。




