踊り? 試合?
「少し下がっていて」
ラプの言葉に従って距離を取る。
「もっと下がって」
「え? あ、うん」
「この辺りまで来るといいわよ」
ヴェナの母さんが俺へと声を掛けてくれる。
ヴェナが屋敷へと剣を取りに戻り、再び姿を現した時にはヴェナの母さんまでもが一緒に現れた。数年ぶりに見るその人は、やはり記憶に在った通りにヴェナが恐れるような恐ろしい人には見えない。
白い帽子を被り、その帽子の下には金色の髪が輝いて見えている。初めてヴェナを見た時を思い出させる白い服装のその人は、これまでに見た事がない人種かと思える程に綺麗だと感じていた。
しかも俺のような者にも優しく話し掛けてくれる。ヴェナが怖がっている人はきっと別の人なのだろう。
ヴェナの母さんの隣まで来るとそこに在った歩く練習に使っている手摺りへと腰をかけた。
「もう随分と歩けるようになったのね。良かったわ」
そう言うと俺へと笑顔を向けてくれる。
「あっ、は、はい。ありがとうございます」
あまりにも高貴そうな雰囲気に飲まれ、あまり気安く話す事ができない。俺なんかが口をきいても良いのだろうか?
「言葉ももう不自由ないのね」
「はい。ラプとロヒさんに教えてもらいました」
「そう。良かったわ」
ヴェナの母さんはそう言うと本当に嬉しそうな笑顔を見せてくれた。
やっぱり怖い人とは思えない。
「あの二人、なにを話しているのかしら?」
ヴェナの母さんが見ている場所ではラプとヴェナが向かい合っていた。
ラプとヴェナを見ると寒気が走る。二人より先に二人が携えている剣が目に飛び込んできた。まだ抜いてはいないが、鞘に収まっている状態であっても剣を見るとぞわぞわとした悪寒が身体中に広がる。
「大丈夫?」
「は、はい……」
ヴェナの母さんは心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
ラプとヴェナはずっと話をしている。遠過ぎて何を話しているのか聞こえはしないが、ラプが何かを説明しているようだった。時折ヴェナが不満そうな顔を見せているが、内容までは判らない。
「あ、始まるみたい」
長い話会いは終わったらしく、二人は御互いに距離を取って向かい合う。
次の瞬間、二人は同時に剣を抜き、御互いに駆け寄るとヴェナが剣を振った。
ラプはそれを軽がると避けるとヴェナが追い掛けるように剣を振る。ラプは更にそれをふわりと避けた。
何度も何度も、それは繰り返される。まるで二人はじゃれ合っているかのように付かず離れずを繰り返していた。
ヴェナの剣は素早く振られ、当たれば怪我では済まないだろう。
だけど、ラプの顔は無表情で危険な事をしているようには見えない。
「まるで踊っているみたいね」
「はい……」
それは試合というよりは、本当に二人で踊っているかのように見える。先刻の話し合いはこの踊りの打ち合わせだったのだろうか?
でも言葉だけでの打ち合わせでこれほど動けるとは思えない。
ラプは竜であり、これまでにも人間には出来ないような事をやって見せてくれたが、ヴェナは俺と同じ人間のはずだ。こんな事が人間に出来るものなのだろうか?
俺には出来ないだろう。たとえ五体満足の身体だとしても不可能だと思われるほど、ヴェナの動きは早く、目で追う事すら難しいほどだ。
やはりこの大陸の人間というものは俺が住んでいた大陸の人間とは異なる人種なのではないだろうか?
まったく異なる種類の生物なのではないかと感じるほどの動き方だった。
「剣の試合というのはこんな、なんと言うのか……、えっと、優雅? って言うのでしたっけ? こういうものなんですか?」
「さぁ? 私は剣の事はよく判らないの。……でも、いつもはもっとあっさりと決着がついていたように思うけれど……」
二人は数分間を踊り、ヴェナがその場にへたり込んで終わった。
ラプは直ぐに剣を鞘へと収めると、ヴェナへと話し掛け、ヴェナは直ぐに立ち上がり剣を収める。
「行ってみましょ」
ヴェナの母さんが二人の元へと歩き出し、俺も腰を手摺りから上げるとその後を追った。
俺が二人へと近付くとラプが声を掛けてくる。
「タビト、大丈夫みたいだね」
ラプは嬉しそうに笑顔を俺へと向けた。
「えっ? あ、そういえば大丈夫だった」
「どういう事なの? 気絶するのではなかったの?」
ヴェナはそういうと、肩で息をしながらその場へとへたり込む。
「うん……。今は平気だった。ラプ、どうして俺が平気だと判ったの?」
「今でも確信はないけれど、たぶんタビトは剣に意識を向けなければいいんだと思ったんだ。だから僕とヴェナは何をやっているのかがタビトにも判るように動いた。そうすればタビトは剣ではなくて僕達の動きに集中してくれるんじゃないかと思ったんだ」
確かに俺は二人の持つ剣ではなく、二人の踊るような動きを追って、剣の事は気にならなかった。
「うん。ラプのいう通りに剣の方にはあまり気が向かなかった」
「そう、良かった」
そう言ってラプはにこりと笑ったが、ヴェナが不満そうに膨れっ面を見せる。
「良くなんかないわ。あんなの疲れるばかりで何の練習にもならないじゃない」
「そうかな? 僕はミエカとの練習ではあんな感じでやっていたけど」
ミエカとは誰だっただろうか? 聞いた事がある名前ではあるのだけれど。
「ラプのお父さんと私とでは流派が違うのよ。私の練習なのに違う流派の練習をしたんじゃやっぱり練習にならないわよ」
そうか。ミエカとはラプを育ててくれた親の名だ。そんな話を聞いた事がある。
「そうかなぁ。勉強になると思うんだけど……」
「とにかく、私は昔やっていたような試合がしたかったのっ」
そう言いながら立ち上がると身体を叩き、付いた泥を落としはじめた。
昔やっていた試合というのはどんな試合なのだろうか?
それも見てみたいと思ってしまう。
「もう今日は帰るわ。お母様、帰りましょ」
「ええ」
一頻り身体を叩き終わると屋敷の方へと身体を向ける。
「また明日も来るわ。ラプの言う通り、まったくの無駄という訳ではないでしょうし、一人で剣を振っているよりは増しだもの」
そう言うと屋敷へと向かって歩きだしたヴェナは、俺やラプへと振り向く事もなく帰っていった。
「タビト君、ごめんなさいね。あの子、昔はあんなに我儘なことを言う子じゃなかったのに。まったく、誰に似たのかしら……」
「ヴェルに似ていると思うんだけど……」
「えっ……。私、我儘なんて言ったことなんてないわよ」
「うん。我儘という程の事は言わなかったけれど、我を通す所は同じじゃないかな」
「……。帰るわ……」
ヴェナの母さんは唖然とした顔でそう言うと、とぼとぼとヴェナの後を追って歩いていってしまった。
「僕は小屋の掃除をするね。タビトはどうするの?」
「うん。歩く練習をするよ」
まだ日は高く、近頃では剣の事で歩く練習もあまりやれていない。剣の事も重要だけれど、俺にとっては歩けるようになる事の方が重要なはずだ。
「それじゃ、がんばって」
そう言うとラプは小屋へと歩きだした。
「あ、ラプ。ありがとう。なんだか前進できた気がする」
ラプは歩きながら俺へとくるりと振り向くとにこりと笑顔を顔に浮かべ、すぐにまたくるりと背を向け、小屋へと歩きだす。あの小さな身体で俺を支え続けてくれるラプのためにも俺は前進し続けなければならないはずだ。
剣身を見ても平気でいられる精神力を持たねばならない。身に付けなければならない。
その為にはやるべき事がまだまだあるはずだ。歩く事だけが目標だなんて言っていられない。
二人の踊りのような剣の試合を見ていられただけでも大きな前進だと感じていたが、まだまだ到達点は遠いようだ。
そんな事を考えながら日課の歩く練習を始めた。
次の日からはヴェナが毎日のように小屋へと現れるようになった。
俺が歩く練習をしている庭の端ではラプとヴェナが剣を振りあっている。正確にはヴェナが剣を振り、ラプはそれを避けているだけのようだったけれど。
時折響く、剣と剣とが擦れ合う音が歩く練習をしている俺の背中に悪寒を走らせるが、これまで気絶するような事は無かった。
たまに休憩のために立ち止まり二人の様子を見るが、その瞬間だけはぞくぞくとした寒気がするだけで、すぐに二人の踊るような立ち回りに見惚れてしまっていた。
二週間もすると剣身を見る事にも慣れてしまった気がしていた。
今日も二人が踊っている。
じっと二人の剣を見ていても、悪寒は感じない。
もう自分で剣を抜いても気絶するような事はないのではないだろうか?
ただ、もう大丈夫ではないかと思う反面、不安もあった。
二人と俺の距離は結構な距離がある。遠くから見ているだけの俺は近くで剣身を見ても大丈夫なのかは判らない。
「よし、近くで見よう」
そう決意を小さく口に出し、二人へと近付いた。
近付く途中でヴェナが俺の事に気付いたらしく、こちらへと目配せをくれる。その目配せにラプも気付いたらしく、ちらりと俺の方へと視線を向けた。
「もう大丈夫なの?」
ラプはヴェナが振る剣を避けながらそう言う。
「よく判らないけど、少し近付いて確かめたいんだ」
「無理はしちゃだめだよ」
「うん」
そう話しながら更に近付く。二人が踊っている時にここまで近付いた事はなかった。
近付くとこれまでとは違う二人の踊りが見えてくる。
遠くで見ていた時とは違い、二人の踊りには迫力があった。
ヴェナが振る剣が風を切る音をさせながらラプを霞める。これまでにラプがヴェナへ向けて剣を振った場面を見た事が無かった。やはり、ラプはヴェナの剣を紙一重で避けているだけのようだ。
近くで見る二人は踊りではなく、戦いだと感じる。
ヴェナが振る剣をラプは軽々と避けているが、剣が当たればラプは大怪我をするだろう。ヴェナの剣は止める事を考えた振りには見えなかった。
二人の戦いは踊りと感じていた時とは違う、また別の何かで俺を引き付けたようで、俺は目を離す事が出来なくなっている。
一瞬、ヴェナが俺へと視線を向けたと思った次の瞬間、ヴェナの顔が俺の目の前に在った。
「うあぁ」
あまりの顔の近さに後ろへと仰け反ってしまった。
尻を手摺りに掛けていたので倒れる事はなかったが、それでもあと少しで手摺りを越えて背中から地面へと落ちていた所だ。
「ヴェナ、あぶないよ。そんなことしちゃ」
「だって、つまらなかったんだもん。ちょっとふざけただけよ」
そう言うと二人共に剣を鞘へと収める。
「もう、自分の剣を抜けるんじゃないの?」
ヴェナがそう言うとラプの視線が俺へと向いた。
その目には期待もなにも感じない。俺が抜けたとしても抜けなかったとしてもラプにとってはどちらでも良い事のような顔をしている。
ラプは俺が剣を抜く事に対して、止める事も促す事もないだろう。
「その前に二人共、剣を抜いて見せてくれないかな」
「ん? いいわよ」
「二人同時に?」
ラプの言葉に少し考え込む。二人同時でも一人一人でも、あまり違いはないように思うが、やはり一人一人が良いように感じた。
「一人ずつがいいかな」
「それじゃ、私から抜くわよ」
「ま、まって」
俺は深く息を吸い、気を落ち着かせた。
「……いいよ。抜いて」
ヴェナが俺の顔を見ながら腰の剣へと手を掛けた。
金属が擦れる音と共に銀色の剣身が俺の前へと現れ、鈍く光りを反射させる。
「うっ……」
一瞬のうちに吐き気が俺を襲い、俺は口へと手を充てがう。剣から顔を背け、そのまま下を向くと、息を荒げて呼吸をし、なんとか数回の呼吸で吐き気は収まってくれた。
下を向いたままで服の袖で額に浮いている脂汗を拭いながら「剣を収めて」と言うと抜いた時と同じ金属が擦れる音がし、同時にヴェナの「収めたわよ」という声が聞こえた。
「まだダメみたいね」
「うん……」
ヴェナはダメだと言うが、これは前進だ。ちょっとした前進だが、間違えなく前進している。
吐き気はしたが吐いてはいない。頭痛も身体の痛みも感じなければ、気絶をする事もない。これまでであれば耐える事が出来ず、気絶していたか、少なくとも吐いてはいたはずだ。
ヴェナはおもしろくもないという顔で「帰るわ」というと屋敷の方へと歩きだす。
ラプが「また明日」と言うと振り向きもせずに手を上げて答えていた。
「いつもヴェナはなんであんなに不機嫌なんだろ?」
俺の進歩を祝って欲しいとは言わないが、少しぐらいは喜んで欲しいと思ってしまう。ヴェナにとっては大した事ではないのだろうけれど。
「本気で剣を振れないからだと思うよ」
「あれで本気じゃないの? 剣が当たったら怪我するくらいじゃ済まないでしょ?」
「あれくらいじゃ僕に当てられない事を判っているんだよ」
俺には理解できなかった。
二人共に尋常じゃない早さで立ち回っているように見えていた。早さの問題ではないのだろうか?
「それじゃ本気で戦ったらもっとすごいものが見れるってこと?」
「え? すごいかな……」
ラプは少し考えて言った。
「たぶん、ヴェナが本気で戦ったらタビトには何が起きたのか判らないと思うよ」
「へ? なにそれ……」
「先刻、最後にヴェナがタビトの前へ飛んでいったでしょ?」
そう言えば一瞬で俺の前まで移動したように感じた。
「あんな感じだよ」
いったい二人の本気の戦いというのはどんな戦いなのだろう?




