無視? 集中?
ラプから剣を受けとり、それからは背中に背負って過ごす事にした。
鞘に付いている止め金は腰から下げられるように作られたもののようだったけれど、脚の近くにあると嫌でも目に入ってしまう。いきなりそこまでするよりは背中に担いで始める方が良いだろうというラプからの提案だった。
初日は酷い有様だった。
背中に剣が在るというだけで、脚に意識が行かず、立ち上がる事もできない。初めて義足を着けてもらった頃に戻ってしまったようだった。
じっとしていても、手先は震え、背中の剣と触れている部分が熱く感じたかと思うと、次の瞬間には冷たさを感じる。
全身に汗をかいているのだけれど、どこか寒さも感じ、なんども視野が狭まって気が遠くなりかけていた。
剣の事など無視すれば良いのではないかと何度も考えた。
それなりの重さがある剣を背負っていては、それも出来ずに、どうしても意識が背中の剣へと向いてしまう。
「やっぱり無理なんじゃない? 今日は歩く練習もできていないよね?」
昼食を目の前にしたまま手をつけずにいると、ラプがそういう。
「……いや、……まだ、はじめた……ばかりだし……」
そこまで言葉を出すと、また気が遠くなる。
少しでも気を緩めると、すぐに意識が飛びそうになってしまう。それがお昼までで何度あったのだろう?
気絶なんかしてたまるか。そう強く心の中で叫び、目の前の食事を掻き込んだ。口の中で何度も食むが喉を通らないので水で流し込む。
食事を終えるが、息は荒く、汗が顎から落ちるほどになっていた。
食事を終え、なんとか自分の部屋までは歩く事ができたけれど、外へと出て歩く練習はできそうにない。
結局はこの日は一日を部屋の中で過ごしてしまった。ベッドに座ったまま部屋から出る事ができない。
じっとしていると眩暈、頭痛、吐き気、悪寒、額には脂汗、全身にも汗をかき、腕に痛みが走り、無いはずの脚まで疼いている。
そんな身体の不調を我慢するが、まるで今日という日が永遠に続くのではないかとすら思うほど、時間の流れを遅く感じる。
ラプは何度か俺の様子を見に部屋の扉を開いては俺をじっと見詰めていたけれど、何も言わない。部屋の中へと入ってくる事はなかった。
きっと俺が気を失っていれば、その時点で剣を取り上げられていただろう。
ベッドで横になれば少しはこの苦しみから逃げられそうだと思ったけれど、一度横になってしまえば気を失ってしまいそうで、それも我慢した。
なんとか夜まで耐え、ラプに夕飯が出来たと呼ばれ、やっとその日が終わるのだと少しだけ安堵した。
夕飯も昼食と同じように水で食事を流しこむ。
食べると吐いてしまいそうになるが、ラプを不安にさせないためにも必死で耐えた。
「無理、してるよね?」
「……まだ、へいき……」
あまり平気でもなかったが、気を失うまでは平気なのだと言うしかない。
ラプは心配そうな顔で俺を見詰めながら、いつもは笑顔で食べる食事を、今日はただ口に運ぶだけの食事になっていた。
ヴェナは肌身離さずといっていたけれど、さすがに眠る時にはベッドの側に置く事にした。
背中からおろすと、当然視界に入ってしまう。
剣を持つ手が酷く震え、全身に汗をかき、身体に力が入らない。食べたばかりの物が胃から飛び出してきそうに感じる。
剣をベッド脇の壁へと立て掛けると、それから目を逸らしてベッドへと潜り込んだ。
すぐに眠ったようだけれど、もしかすると気を失ったのかもしれない。
いつもの悪夢を何度も見ては何度も目覚めてしまう夜だった。
朝起きて横を見ると剣が立て掛けてある。
最悪の目覚めだが、上半身を起こし、剣を手に取る。
昨日と変わらない。同じように手が震え、脂汗が額に浮きでる。
深呼吸をし、鞘に付いた肩掛け用の吊り紐に頭を通して剣を背中に背負った。
今日も昨日のように一日中を苦しんで過ごすのかと思うと途端に吐き気がしてくる。
「だめなのかな……」
昨日、一日中を苦しんで過ごしたのに、まったく慣れた気がしない。
諦めた方が良いのかもしれない。これ程辛い日をあとどれほど続けなければならないのか判らない。
ベッドに座りながら辞める言い訳を考えていると玄関から人が入ってきた気配がした。
どかどかと廊下を歩き、炊事場に居たらしいラプと話す声が聞こえてくる。
「ラプ、あいつはどこにいるの?」
ヴェナの声だ。「あいつ」というのは俺だろうか?
「あいつって、タビトのこと? タビトは部屋に居るよ。まだ寝ているかも」
ラプの返事が終わらない内に再び足音が聞こえだし、俺の部屋の前で止る。
「はいるわよ」
俺の返事の前に扉が開き、ヴェナが入ってきた。
ヴェナは俺を見て、少し驚いたように目を開いている。
「ちゃんと剣、持っているじゃない」
「えっ? ……君がずっと持っているようにって言ったんじゃないか」
「ええ。でもラプに反対されると思ってたから無理だと思ってた。ちょっとだけ見直したわ」
その顔は「見直した」という表情ではなく、ただ少し驚いているというだけに見えた。
「それで? 少しは慣れた?」
「……まだ始めたばかりだよ。おかげで昨日一日は最悪の気分で過ごしたよ。……もう辞めようかと思っていたところなんだ」
「それじゃ、この屋敷からも出ていくことを決心したのね。よかったわ。ラプの側にあなたみたいな弱虫はいらないもの」
「……」
俺は言葉もなく、ヴェナの顔を見るだけしかできない。
家の奥の方からラプの声が聞こえてくる。
「ヴェナ、あんまり酷いことばかり言っているとアスラやヴェルに言わなきゃいけなくなっちゃうよ」
ヴェナは目を丸くし、ラプの方へと顔を向ける。
「ラ、ラプだって悪いのよ。ここへ剣を持ってきちゃ駄目だというのなら、ラプが屋敷に来てちょうだい。私の剣の練習相手は、もうラプくらいしかいないのよ」
ラプは返事をしない。
「……と、とにかく、私ばかりが我慢をしなきゃならないなんて不公平よ」
ヴェナはそう言うと玄関へと向かい歩きだす。
玄関の扉が閉まる音と共にラプが部屋の扉から顔を見せた。
「タビト、気にしちゃだめだよ」
「うん。ありがとう」
「……タビト、今日は顔色がいいね。朝食ができたよ。食べよう」
「えっ?」
そういえば、頭痛も吐き気も収まっている。
背中に手を延し、剣が在る事を確認すると、途端に頭痛も吐き気もぶり返した。
そうだったんだ。
無理に剣の事を無視しようとして、かえって剣へと意識が向かっていたのだ。
嵐のようなヴェナの話は剣の事を忘れさせてくれた。無視するんじゃなくて別の事に集中すれば良いのではないだろうか?
「なにをしにヴェナは来たんだろうね?」
意識を剣以外のものに向けるために、朝食を食べながらラプへと話し掛ける。
ラプは口の中に食べ物が入っていると飲み込むまで口を開かないので、俺はラプが返事をする前に口を開いた。
「いつもすごい勢いだよね。まるで嵐みたいだ。あんなに話し続けて疲れないのかな?」
ラプは口の中のものを飲み込むが、口を開かずに俺の事をぼんやりと見ている。
俺は構わず話を続けた。
「最初の印象とかなり違ったよ。活発そうだなとは思っていたけど、あんなずけずけとはっきり物を言う子だなんて思ってなかった」
ラプは俺の顔を不思議そうに見詰めている。
昨日までとは違い、急に元気に話す俺がラプには不思議に感じたのだろう。
歩く練習も、脚に意識を集中させれば剣の事を忘れる事ができた。
不意に剣を背負っている事を思い出すと途端に立っていられなくなってしまう。
けれど、すぐに歩く事に集中すれば剣は意識から消せる。
「なんだか、いけそうだ」そう思うと、これまでどう言い訳をして辞めようかと思っていた事なのに、嘘のように前向きになれる。本当にいけそうだと感じていた。
この方法は有効だった。
一週間をそうやって過したが、酷い頭痛も吐き気も無かった。
朝、起きた時や、夜、寝る時には剣を手にしなければならず、少しだけぞわぞわとした悪寒が全身に走るけれど、それも次第に慣れてしまい、時には別の事を考えているとまったく手に持っている剣の事ですら忘れてしまえていた。
その日の朝、一週間前と同じようにヴェナが玄関から入ってくる。どかどかと歩き、俺の部屋の前までくると「入るわよ」といって入ってくる。
俺は一週間前と同じようにベッドの上で剣を背中に担いだ時だった。
「やめてなかったのね」
「うん。なんとかね。おかげでだいぶん慣れてきたよ。最近はあまり気にならなくなってる」
「それじゃ、もう剣を見ても平気なのね?」
「……まだ、鞘から抜いて見たことはないよ」
「いつなの?」
「えっ? なにが?」
「鞘から剣を抜ける日よ。できれば剣を見ても平気になる日も知りたいわ」
「そんなの判らないよ」
「……」
「ヴェナ、タビトに無理させちゃだめだよ」
いつの間にかヴェナの後ろに立っていたラプが声を掛けた。
驚いた顔でラプへと振り返るヴェナ。
「だって、それじゃ、私はいつになったら剣を持ってここへ来ることができるようになるの? 早くラプに強くなった私を見せたいのに」
「……僕はべつに強くなったヴェナを見たいわけじゃないけど……」
「私が見せたいのよ」
そう怒ったように言うとヴェナは玄関へと歩いていく。
「とにかくタビトは早く病気を治してちょうだい」
バタンと閉じられた扉の音がすると、小屋の中は静まり返った。
「ほんとうに嵐みたいな娘だね」
俺がそう言うとラプは困ったような苦笑いで俺を見る。
「朝食できたよ。食べよう」
ラプは苦笑いのまま部屋の扉を閉めた。
そろそろかもしれない。
かなり剣に対する嫌悪感も薄れている気がした。
剣を鞘から抜き、あのギラギラと光る剣身を見ても前程は酷い事にならないのではないだろうか?
怖い。けれどいつまでもこのままじゃ前に進めない。
手に持った剣を少しだけ抜こうとしてみる。
軽く引いてみただけでは抜けない。簡単に抜けては不要な時に抜けてしまい、危ないからだろう。
更に少しだけ力を入れると、カチンという音がし、ほんの少しだけ剣が鞘から抜ける。
まだ小指の幅よりも狭い部分しか見えてはいない。
銀色の剣が見えるのかと思っていたけれど、見えた部分はまだ黒い。
「タビトー、食べないのー」
ラプの声が聞こえる。そういえば朝食ができたといっていた。
俺は剣を鞘へと戻すと「すぐいく」と返事をし、剣を背中に担いだ。




