説得? 無茶?
次の日、来ると言っていたヴェナは姿を見せなかった。
俺は少し寂しいような、ほっとしたような複雑な気分で一日を過ごす。
更に次の日、朝も、昼を過ぎてもヴェナは姿を見せない。
ここへ来る事はもうないのかもしれない。
「僕はアダクムさんの家へ行ってくるよ」
「あ、うん」
ラプはアダクムさんの奥さんに料理を習いにいくという。以前、作ってもらった料理が気に入ってしまったらしい。
ラプが居ない間にヴェナが来るかもしれないと考えると、少し不安になった。けれど、ずっと側に居てもらうわけにもいかない。なにも無ければ良いのだけれど。
俺は一人、ただ歩くだけの練習をする。
確かに歩く練習は俺にとって必要な事だけれど、ヴェナが言ったように強くなる為にも、なにかをすべきなのではないだろうか?
でもどうすれば強くなれるのか。それを俺一人で思い付けるほど俺の頭は良くはない。
「タビト」
突然呼ばれ、声の方へと振り返るとヴェナが立っていた。なにやら後ろ手に隠し持っているものがあるらしいが、それがなんなのかはちらりと見える部分だけでも俺には判ってしまう。
判ってしまうと額にべたつく汗が浮かんだ。
「ラプは今日はアダクムさんの所へ行っているよ」
「そう。すぐに帰ってくるの?」
「どうだろ。まだ行ったばかりだから一、二時間くらいは帰ってこないかも」
「そう、よかったわ」
「……」
俺にとってはあまり良くない事ではないだろうか。
隠し持っているそれは俺にはあまり見せて欲しくない。ラプが居ないと発作が起きても助けてくれる人がいない。
それともヴェナが助けてくれるだろうか?
「今日はあなたに話があって来たのよ」
「……そう」
一昨日の話の続きだろうか? まあ、それしかないだろう。
後ろに隠し持っているそれがそうなのだと主張している。
「まず、あやまるわ。一昨日はごめんなさい」
「え?」
「昨日、お父様に酷く叱られたわ。『病気の人間になんてこと言うんだ』って」
「……そう」
「だから、ごめんなさい」
「うん」
「許してもらえる?」
「え? ああ、うん。もちろん」
隠し持っているそれが、行動と言葉に矛盾を感じさせた。不安が大きくなる。
「よかった。それじゃ一昨日のことはこれでおしまいね」
「うん」
「それじゃ改めて言うわ。これからもラプの側に居たいのであれば、強くなりなさい」
「へ?」
反省はしていないらしい。
まあ、そうでなくては剣など隠して持ってはこないだろう。
「……どうやれば強くなれるの?」
いい機会なのかもしれない。この娘が言う事も間違えではないのだろう。
俺自身では思いつけない解決策を教えてくれるというのであれば、教えてもらう事にしよう。
「これよ」
そう言うと隠し持っていた剣を俺の前へと突き出す。
「あら、平気なの?」
「うん。平気じゃないけど、先刻から隠しているのが見えたから驚きはしなかったよ」
「気を失うんじゃなかったの?」
「それが見たかったの? あまりいい趣味じゃないな」
「そうじゃないわよ。どれくらい酷い病状なのかを確認したかったのよ」
「君は医者なの?」
「医者じゃないわ。でももし死んじゃうくらい酷いことになるのであれば別の方法を考える必要があると思ったのよ」
俺が死んでしまったらどうするつもりだったのだろう?
死んでしまっては別の方法など考える必要もなくなってしまうと思うのだけれど。
「死んじゃうなら、もう二年前に死んでるよ。俺は自分が病気だと知ることもなく死んでただろうね」
「……それもそうね。それでどうなれば気絶するのかしら?」
「教えたらそれを実行するよね?」
「そうね。どうなるかは見ておきたいもの」
「それじゃ教えるわけないだろ」
「うん。そうね。でももう判ったからいいわ。剣を鞘から抜けばあなたは気絶するのね。そしてそれが死ぬほどの事はないくらいの病状ってことも」
「……」
「合ってる? 間違えてると言えば私はこの剣を抜くことになるけど」
「……あってるよ。でも死ぬことはないって、そんなの判らないよ。二回の気絶はたまたま運が良かっただけかもしれない」
「ええ。私もそう思うわ。だからこれ以上、私はなにもしない。でも、あなたにはこの剣を受け取ってもらうわ」
「……」
「そして病気が治るまで……、いえ、病気が治ってもずっと、肌身離さず持ち続けていなさい。お風呂に入る時も、食事をする時も、寝る時も、ずっとずっと持ち続けていなさい」
「お風呂に入る時に持ってちゃ錆びちゃうと思うんだけど……」
「錆びたら新しい剣を買えばいいわ。折れたら繋げればいいわ。曲がったら治せばいいわ。どんな事になっても剣を持ち続ければその内に病気も治るわよ」
「……少しずつ慣らしていけば、その内に剣を見てもなんとも思わなくなるってことかな?」
「そういうことよ。鞘から抜かない状態で気にならなくなったら、次は少しずつ剣を鞘から出してみて、遂には剣そのものを見ても問題ないようになるに違いないわ」
「……でも、それでも治らなかったら?」
「……なにを言っているの? そんな事を考える必要なんかないわ。あなたは一生かかってもずっとその治療方法を試すのよ。この方法が駄目なのだと判るのは、あなたが『ああ、あの方法は無駄だったんだ』と思いながら死ぬ時になってよ」
治らなければ死ぬまでこの悪寒と気絶の恐怖に堪えなければならないらしい。もしかすると俺は死んでいた方が楽だったのではないだろうか?
「……他に方法はないのかな?」
「あるわよ」
「え?」
「しかも凄く簡単で、結果も早く判るんじゃないかしら?」
「それはどうやるの?」
「この剣を抜けばいいのよ。気絶しても何度も抜いて、何度でも気絶すればいいのだわ。そうすれば早く慣れると思うわよ」
ヴェナは冗談や嫌がらせでやっているようではないようだ。その顔は真剣で睨むように真っ直に俺を見ていた。
「あ、そろそろラプが帰ってくるかもしれないわね。どっちでやるかはあなたが決めなさい。それと、ラプが反対したら説得はあなたがやってね。自分の事なんだからそれくらいは出来るでしょ? 私は帰らなきゃ」
どちらもやらないという選択肢は無いらしい。
ヴェナは俺に持ってきた剣を押し付けると、「それじゃ」といって屋敷へと走って戻ってしまった。
俺の腕には押し付けられた剣が在る。たったそれだけの事なのに、これまで経験した事がないほどの脂汗が顔に浮いているようだった。
全身にも汗をかき、身体は小刻みに震えている。目は涙目になり、風景が消え、俺の目には剣だけが見えている。
「それ、どうしたの?」
ふっと聴こえた声に顔を上げ、声の方向へと向けた。
「ラプ……」
「ヴェナが来たんだね」
そう言いながら俺が持っていた剣を引っ手繰るように掴むと「家へ入ろう」といって歩きだす。
「うん……」
そこまでが限界だった。
そこからの記憶は無い。
「おはよう」
ラプが俺のベッドの横にいる。いつもの笑顔だ。
「ん? おはよう。どうしてこんな早くからここに居るの?」
「どう? 体調は?」
「……体調? どうして?」
「やっぱり覚えてないんだ」
「へ?」
記憶を辿る。
庭でラプの後ろ姿を追い掛けようとした、その先の記憶が思い出せない。
「あぁ……」
「思い出した?」
「うん……。俺、また倒れたんだね」
ラプの笑顔が消え、軽く頷いた。
「ヴェナとどんな話をしたの?」
「剣をずっと持っていれば慣れて剣を見ても気絶することはなくなるだろうって、あの剣を持ってきてくれたんだ」
「……」
「あの剣は?」
「僕の部屋だよ。後で屋敷に行って返してくるよ」
「……ラプ……。俺、ヴェナのいう通りにやってみようと思うんだ」
ラプは目を大きく見開き、俺を見詰める。
「ヴェナのいう通り、このままじゃだめなんじゃないかと思ったんだ。剣を見ただけで気絶してたんじゃ、歩けるようになってもこの屋敷から出ることが出来なくなっちゃうんじゃないかな」
「……」
「街の中には剣を持った人達が沢山歩いているんでしょ? 最初にこの屋敷に来た時に馬車の中から何度か見たよ。その時は初めて見る街に興奮していたし、すぐに別の物に目がいっちゃって剣の事なんて気にもとめなかったけど、歩けるようになって街を歩きたいと思ってもこんなんじゃ見て歩くこともできなくなっちゃう……」
「……」
「この屋敷から出られないんじゃ歩けるようになる意味がないんじゃないかな……」
「……」
俺が話し終わるとラプは目は伏せる。いつもの笑顔もなくなにかを考えていた。
「ラプ?」
「……本気なの?」
「うん」
「……そう。判った。でも危険だと思ったら、すぐにやめさせるよ。絶対に無茶はしないでね」
ラプはゆっくりと立ち上がり、部屋を出ていく。
無茶はするなというが、剣を側に置いておく事はそれ自体、今の俺にとっては無茶なのだ。
でも無茶でも無理でも、それしか方法が見付からないのであれば、俺はそうするしかない。




