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帰する人  作者: 山鳥月弓
神の国での生活
1/30

死? 生?

 今日は天気が良く、風が涼しい。

 良い狩り日和だ。

 昼になれば暑くて狩りなどしていられなくなるので、なんとか朝の内に獲物を仕留めて仕事は終わりにしたい。

 狩りをするときには、最初にこの河原を見ることにしている。

 塒からほんの少し川の上流へ上れば、広くなった河原があった。この河原には色々な獲物が集まってくる。

 鹿に猪、たまに豹や虎なども出るが、大抵はここで獲物を見付けることはできていた。

 繁みに身を隠し河原の様子を見ると、三頭の鹿が見える。一番大きな、立派な角が生えている奴を弓で狙いをつけ、射る。

「ちっ。はずれた……」

 残念ながら放った矢は狙った首筋からは逸れ、前脚の付け根に刺さってしまった。少し面倒なことになるかもしれない。

 逃げ出した鹿の血痕を追いかけるが、これは早くに決着は付かないだろう。


 狩りは物心付いたときからやっている。

 俺は生まれたときから一人のようなものだ。

 狩りは親代わりだった小父さんに習ったが、もう一人でやっていける。誰の助けも要らない。

 俺が八歳の時、それまで面倒を見てくれていた小父さん夫婦が、セビナ国の兵達に殺されてからは、ずっとこの森で暮らしている。

 一人になったときは、自由だと感じた。

 小父さん夫婦に恩は感じていたが、毎日のように殴られていた俺にとっては清々したという気持ちの方が大きかった。


 本当の両親もセビナ国の兵に殺されたらしいが、俺がまだ生まれてすぐの事らしいので記憶にない。

 村の人から距離を置いていたのは、これといった理由はないけれど、どいつもこいつも、人を騙し、掠め取ることしか考えない奴等ばかりなのだから親しくする必要などないだろう。


 汗だくになりながら鹿を追う。もうすぐ昼になる時刻だ。

 あの鹿もいい加減、限界が近いだろう。

 この距離を逃げてきたという事は、そろそろ出血で動けなくなるはずだ。

 前方の繁みへと血痕は続いている。その繁みから「がさっ」っと音がした。

 繁みを掻き分け、その音の方向を見ると、脚の付け根に矢が刺さったままで荒い呼吸をしている立派な角を持つ鹿が倒れていた。

 近付き、その顔を見る。

 口からは泡を吹き、目は潤んでいた。

 目を逸らしたくなってしまうが、これも食べるためだ。

「悪いな。苦しませちまって……」

 俺は斧を振り下ろし、止めを刺した。


 鹿を塒にしている小屋まで運ぶが、口からは悪態しか出てこない。

 ただでさえ歩きづらい森を、大きな鹿を背負って歩くなんて、これだから夏は嫌いなんだ。こんな事なら小さい奴を狙えばよかった。

 やっと塒へと着き、小屋の横に在る木陰に座り込んだ。

「あちぃ……」

 既に昼をまわっているので、悪態すら口にするのが面倒になるほど暑くなっている。

 朝の涼しい時間はとっくに過ぎ、日陰にじっとしていても汗が流れ落ちていた。


 獲物をそのままにしていては、この暑さではすぐに痛んでしまう。

 汗を滝のように流しながら狩ってきた鹿を解体した。

 解体を終えると、塒の前を流れる川へと飛びこんだ。

 流れのある川の水は、冷たく心地が良い。

 水に浮いて流されるがままに、空を見上げる。

 川を流れる水の音と、風が森の木々を揺らす音、それに鳥の囀りも聴こえるが、その中でも一際大きく他の音をかき消すほどに煩い、蝉の声も聴こえてくる。

「せみ、うるさい……」


 蝉の騒音から逃げるように、川の中へと潜る。

 川底にきらりと光るなにかを見付けたので、その光るものを手に取ると川面へと浮上した。

「今日は赤い石だ」

 石を日の光に翳し、きらきらと光る石を眺めていると、前に拾った石の事を思い出した。

 ズボンのポケットに手を突っ込むと、小さな石の感触がある。数日前に同じようにこの川で見付けた石で、こちらは青緑の石だ。

 右手に今拾ったばかりの赤い石、左手に前に拾った青緑の石をそれぞれ持ち、両方の目へとあてがって、空を見上げてみる。

 この辺りの川では、たまに綺麗な色をした石が取れるので、そんな石達は小さな袋に入れて集めていた。塒に置いている袋は、もう一杯になってきている。そろそろ新しい袋を調達するか作らなければならない。

 もしかすると価値があるかもしれないのでなんとなく集めてしまっているが、まあ、この辺りではさほど珍しくもない石塊だ。価値などはないだろう。


 川面に浮かび、二つの石を眺めながら川の流れに身を任せていた。その時だった。


 川の下流から叫び声が聞こえてきた。

 最初は空耳かと思ったが、確かに人の叫び声だ。

 この川の下流には村がある。昔は俺もその村に住んでいた。

 その声は段々と数を増やし、中にははっきりと聞こえるものもあった。

「セビナの兵だ」

「子供達を森へ逃せ」

 俺はすぐに川を出ると村へと走った。

 もちろん兵達と戦う気などはない。

 村を見下ろすことができる断崖まで来ると、誰にも見付からないように身を低くし村を覗き込む。


 すでに村の人々は、その殆どが殺されていた。

 家には火がつけられ、動いている人間はセビナ国の兵だけしか見えない。

 その兵達は、家の中から色々な物を運び出している。食料などの略奪以外に、こんな辺鄙な場所にある村を襲う理由はない。

「あいつら……」

 村の人々に思い入れはない。俺が狩った獲物と、野菜や生活に必要な物を交換する時に会うくらいでしかなかった。

 しかし、その倒れている人々の中には、赤ん坊や小さな子供も含まれている。

 悔しかった。

 小父さんや両親の仇だとは考えた事はなかったが、抵抗すらできず、ただ殺されるだけの村人の、その中の一人でしかない自分の腑甲斐無さが、途轍もなく悔しく情けない。


「動くな。ゆっくりと立て」

 不意に後ろから聞こえてきた声に、頭の中が真っ白になる。

 どうしようかと考えるが、なにも思いつかない。

「どうした。早く立て」

 観念し、ゆっくりと立ち上がり、ゆっくりと振り返る。

 兵は三人いた。

 手前の兵は剣を抜き、後ろの二人は槍を俺へと向けている。

 柄の短い斧は腰に提げていたが、それで斬り掛かっても斧が相手に届く前に剣や槍で一突きにされて終わりだろう。剣など持っていない俺では、向っていっても相手にならない。例え持っていても勝てるとは思えない。

「この村の者か? って、それ以外にないか」

 そう言うと、一番前に居た兵が剣を振り上げた。

 殺される。そう思った瞬間、崖に沿って、横へと走った。

 だけど、後ろに居た兵の槍が俺の右腕を捉え、俺は唸り声を上げる。右腕に走る痛みから逃げるように左へと体を移動させるが、そこには崖しかない。そのまま落ちるしかなかった。

 転がり落ちる先は、村の広場になっている。落ちて死ぬか、下の広場に居る兵達に殺されるか。どちらにしても良い展開は予想できない。


 崖の途中には、背の低い木がぽつりぽつりと生えている。

 崖を転がりながら、その木を捕もうとするが、勢いのある俺の身体を止める事はできなかった。

 結局は崖下まで落ちる事になったが、勢いは殺す事ができたので、大きな怪我はせずに済んだようだ。あちこちを木の枝に引っ掛けたり岩にぶつけたりしたので血塗れの傷だらけだけれど、一番痛いのは兵に槍で刺された腕の方だった。

 広場に居た兵達が一斉に俺へと顔を向けた。そいつらが皆こちらへと近付いてくる。


 俺は逃げようと立ち上がり、走り出そうとした瞬間、左腕に衝撃が走った。

 と、同時に目の前を俺の身体から分離した血飛沫と左腕が飛んで行くところが見えた。

「がぁぁ……」

 声にならない声を上げながら地面へと蹲まる。

 一人の兵が側に居た。

「悪いな。苦しませちまって……」


 俺はなにも考える事ができない。目に見えているのは、その兵の脚だけだ。

「詫びと言ってはなんだが、殺さないでおくよ。おい……」

 数人の兵に俺は羽交い締めにされ、右腕を水平に伸ばされる。

「新しい剣を手に入れたんだが、いまいち斬れが悪いんだ。もう少し試し斬りをさせてもらうよ」

 そう言うと、その男は剣を振り上げた。

 日の光を反射し、剣がギラリと眩しく光る。

 次の瞬間、右耳に風を切った音がし、「どん」と重い音のような衝撃が全身に響く。

 腕に衝撃が走るが、あまり痛みは感じなかった。

 右腕を伸ばして持っていた兵が俺の右腕を投げ捨てる。

 俺を支えていた兵達が手を離すと、俺の身体はゆっくりと地面へと倒れ込んでいく。

 反射的に手を付こうとしたが、その手はすでに俺の身体にない事を地面すれすれで思い出した。

 顔面から地面へと倒れる。顔面に痛みを感じるが両腕からの痛みはなぜか無い。涙なのか血なのか判らない液体が俺の顔を濡らしていた。

 ゆっくりと顔を上げると、馬に乗った兵達が村を出ていくのが見えた。


 俺を殺さないとあの兵は言っていたが、このままではすぐに死んでしまうだろう。

 村に生き残りが居るのならば助かる可能性もあるだろうが、皆殺しにされているはずだ。

「ああ、あの鹿、解体したままだった……。腐っちゃうな……」

 朦朧とした意識で、そんな事をぼんやりと思いながら、急激に襲ってきた睡魔に従い目を閉じた。


 どれくらい眠っていたのだろう。目を覚まし、前方になにかの気配を感じてそちらを見るが、霞んだ目では気配の元がよく判らない。

 目をこらし目の前に在る気配の元を見る。巨大な縦長の岩のようだが、岩なんてこんな所に在っただろうか?

 まあ、そんな事はどうでもいい。

 全身が岩のように重く怠い。目を開けていられないほどに眠い。今は何も考えたくはない。目覚めなければ良かったのに……。

 もう一度、目を閉じる。


「止血はしたよ。でも、このままだと君は死んでしまうと思う……」

 声のようなものが聞こえた気がするが、なにか変だ。

 まるで頭の中で音が響いたような感じがするが、それは人の声とは思えない響き方だ。声の意味を理解する前に、直接、その言葉の意味が頭の中に入ってくるような感覚だった。

 再度、目を開き、その声の主だと思われる岩へと顔を向けた。

 岩が口をきくなど聞いた事もないが、声の主はその岩だとしか思えない。

 その岩は微かに動いているようだ。岩に見えていたものは、巨大な生き物らしい。今の声の主だろうか?

 目の前に居るそれは、これまでに見た事がない生き物だった。死者の世界の住人だろうか。俺は既に死者の世界に居るらしい。

 さっきよりは見えるようになってはいたが、まだぼんやりとしか見えていないその生物は、赤黒い肌を持ち、巨大な身体に巨大な翼を持っているようだった。


 立ち上がろうと地面へ手を付こうとした瞬間、目覚める前の出来事を思い出す。

 両腕を目の前に持ってこようとして、愕然とした。夢ではなかったようで、腕はどこにも見えない。

「ぁ……ぁ……」

 からからに乾いた口から声にならない声が出るが、同時に涙も出てくる。


「君、しっかりして。もう少し気を張っていてくれないかな。その脚の事をどうするか決めなきゃならないんだ」

 その頭の中に直接響く声は、目の前の巨大な生物から聞こえてくるようだ。

「あぁ……ぁぁ……」

 なにかを言おうとして口を開けるが、なにも言えず、ただ開いて意味のない音を出すだけだった。

 俺はその巨大な生物がなにを云っているのか判らない。いや、意味は判るが状況がぼんやりとしていて判然としていない。

「君の両脚は壊死してしまっているんだ。あの兵達は脚に斬り付けたり馬に轢かせたりしていたからね」

「あし?」

 俺は脚を見る。

 服はずたずたになり、黒い染みで元の色がどこにも残っていないズボンが見えた。

 その黒い染みの隙間から無数に空いた切れ目の下に自分の脚が見えるが、青白くなって、まるで死人の肌色だ。

 あの兵達は、俺の脚に剣や槍を突き立てていったらしい。右脚はありえない方向に曲がり、足首から下は潰れた赤い果物のようだ。

 気絶していた俺は痛みすら感じる事が無かったのだろう。


「えし?」

「うん。僕にはもう治すことが出来ない……。もしもそのままにしていたら、今度は身体にも影響すると思う」

「からだ?」

「うん。たぶん二日くらいで死んでしまうと思う」

「しぬ……」

「それで提案なんだけれど、その脚は斬り落とした方が良いと思うんだ」

「きりおとす……」

「うん。もちろん痛いと思うし、その所為で死んでしまう可能性もある。だけど、そのまま死ぬよりは生き残る可能性はあると思うんだ」

「しぬ……」

「……」

「……」

「……えっと、どうする?」


 死にたくはない。でも生きてどうするというのだ。

「……楽に、死にたい」

「え? 死にたいの?」

「生きていた……い。でも、長くは……生きられない……だろ」

 両腕、両脚がなく、これから先、俺はどれ程の時間を生きる事ができるのだろう。狩りも畑仕事もできない身体では世話を誰かにやってもらうしかない。身寄りもなければ、つい先刻、村の人々も殆どが死んでいるはずだ。

 数日が数ヶ月になったところでたいした違いはない。


「それは、どうにかなると思うよ」

「どうにか……なる?」

「うん。まあ確実ではないけれど、たぶん、なんとかなると思う」

「……なんとか?」

「うん。なんとか」

 この巨大な生物が、四肢の無い俺の世話をしてくれるとでもいうのだろうか?

 誰かの世話になるのはあまり気が乗らないが、死ぬよりはましではないだろうか?

 俺はまだ生きていたい。


「ただし、その脚を斬り落とす時はもちろん、その後、再生する時にも激痛に苦しむらしいけれど、それでも良いよね?」

「さいせい?」

「うん。再生」

「げきつう?」

「うん。激痛。なんでも死にたくなるくらい痛いらしいよ」

「しにたく、なる……」

「……どうするの?」

「……やって、……くれ」

「判った」

 死ぬのであれば、どの道同じ事だ。

 死ぬ前にどうなろうと死んでしまえば痛みは感じないだろう。

 希望があるというのならば、足掻いてやる。


 その巨大な生物は身体に光りを纏いだしたかと思うと、人の姿へと変わった。

 それは俺と同じくらいの、まだ十歳くらいの子供だった。

 今が夕方なのか朝方なのか、俺の朦朧とした頭では判然としないが、空は俺の血でも浴びたように赤色で、その空の色の所為なのか、目の前の少年も赤い髪に見える。

 いや、男だと思っていたが、その裸のままの股間にはなにも無い。女だったらしい。


 その人の姿をした生物は辺りを見回し、村の中へと向った。

「どこに……」

 衰弱している俺の声では届かなかったのか、その生物は焼け落ちていない家の中へと入ってなにかを探しているようだった。

 数件の家を回ったあと、大きな斧を手にこちらへと向ってくる。

「これを探していたんだ。覚悟はいいかな?」

 脚を斬り落とす為に斧を探していたらしい。

 俺は息を飲む。

「……やって、……くれ」

 その生物は俺の横へと立ち、斧を振り上げた。

 今日、何度目になるかも忘れてしまった似たような衝撃を感じるのと同時に、俺の意識はそこで途切れた。


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