第22回 人生は『無常』なれど『無情』に非ず
先日、小生が若かりし頃にともにソフトボールに興じていた仲間が、44歳という若さで突然に他界した。小生のような不摂生をこよなく愛する人ではなく、真面目に人生と向き合っていたというのに、神様のなんと薄情なことよ。
小生ほどの年延えにもなると人の死に寄り添う機会はそれなりにある。ただそれは殆どのケースが年配の方であり、今回のような道半ばで逝くというのは稀である。それだけに喪失感は大きく、まだまだやりたい事があっただろう彼の心の内を思うと忍びない。
人は皆『生命は大切なもの』と認識している。また『生命はいつか必ず消えていくもの』とも認識している。どんなに摂生しても、万人等しくいつかは死を迎える。諸行無常である。だからこそ一日一日を大切に生きることが必要であるし、悔いを残さないように生きるべきなのだと思う。
小生の小説の中でも、大切な人の死に寄り添う場面を描いている。もちろん小説であるから、より切なくより美しく書いてはいるのだが、一つだけメッセージとして伝えたいと思うことがある。人は死によって姿形や魂は消えていくものではあるが、忘れさえしなければ、いつだって思い出すことができるし、残された人たちの心に永遠に生き続けることだってできるということを。
さて、今年3月に『この空の彼方へ』の出版を終えて、この作品のスピンオフ的な完結編を書いてからというもの、あれこれ構想が浮かんで次の作品を書き始めたのだが、どれも中途半端にとまったままで書けないでいる。書けなくなったというわけではなく、時間的な余裕がないことと、時々書いていることを忘れてしまうからだ。物忘れとかいうのではなくて、一度に複数の物語を思いついて、それぞれ違ったものを書こうとするから混同してしまっているのだ。それに加えてこの散文。締め切りなどないのに、まだかまだかと急かされているような気分で文字にしている。小生の書き物を心待ちにしている人などいないとは思うが、もしもそんな人がいるとするならお許しをいただきたい。
9月29日は小生の誕生日。そしてこの日、前出の彼は荼毘に付された。彼のご冥福をお祈りするのはもちろんのことであるが、その一方で今年も無事に誕生日を迎えられたことに感謝するばかりである。




