第12回 良い(いい)は本当に良いのか
世の中のほとんどのことは、良い、普通、悪い、この三つに分けられると言って間違いはないだろう。「悪い」に関してはなんとなく感覚として分かるが、「良い」は基準があまりにも曖昧で、すこぶる分かりにくい。そもそも、なにが「良い」かは個人の価値観や捉え方によって異なる主観的な感情に依るところが大きいわけで、つまるところ「良い」に明確な基準など存在すらしないのである。
巷の、教育に熱心なお母さん方の間では「いい大学に行って、いい会社に勤めて……」なんて話を耳にすることもあるが、これほど曖昧で、それでいて挑戦的な言葉もないだろう。言われればプレッシャーは相当なものだと思うし、逆にヤル気を削がれるというもの。この場合の「いい」は、お母さんの主観に依るものであるし、何を基準にしているのかがあまりにも曖昧である。ただ一つ言えることは、この言葉の裏には「お父さんみたいになるわよ」というフレーズが隠されていることを忘れてはならない。
小生の子どもたちが高校生の頃だったか、彼らに仕事の話をしたことがある。テーブルに置かれたメロンパンを前に、「このメロンパンがここにくるまでには、コンビニの店員さんがいただろ? コンビニに運んで来る人もいる。工場で作る人もいるし、たとえば機械が作っているなら、その機械を作る人もいたはず。もっと言えば、小麦やメロンや砂糖などの材料を作る人もいる。これらの人たちの誰かが欠けてしまうと、お前たちの口に入ることはない。どれも大切な仕事なんだぞ」って。さらに「みんなが弁護士を目指しても、悪いことをする人がいなければ弁護士の仕事も無いな」とも。
世の中に存在するすべての仕事は、必要だから存在するのであって、それらはすべてなくてはならない仕事なのだ。
小生の本業も人様に誇れるような仕事ではないかもしれないが、それでも誰かがしなければならない仕事だ。幸いにも小生は今の仕事が好きだし、転職など考えてもいない。小生の友人は、某有名私立大学を卒業したが、現在は街中でたこ焼きを焼いている。外野は「もったいない」と言うが、本人がやり甲斐をもってやっているのだから大きなお世話というもの。
「良い」も「悪い」もない。仕事だけではなく、世の中のすべてのことはどれも必要で大切なものなのである。
「良い」も「悪い」も、それらを決めているのは、欲に支配された【人の妬み】なのかも知れない……。




