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散文集(エッセイ的なもの)  作者: 咲田涼人
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第11回 本のある生活について

 毎日、当たり前のように我が家にやってくる新聞。最近はお悔やみの欄に目を通すことが日課になっている。小生が書く散文を読んでくれている方たちが、どんなふうに新聞と向き合っているのかは小生の知るところではないが、日常に起きている事実を知る上では新聞の存在は大きいと思う。

 小生の中学時代には、親父に「新聞を読め」と、それこそ口が酸っぱくなるほど言われていた。当時はその行為にどういった意味があるのか分からなかったが、人生の半分以上を過ぎた今ならその意味がよく分かる。要は【活字に慣れろ!】ということなのだと思う。実際、新聞を読む癖がついたことで本を読むことに抵抗は無くなったし、文章を書くことも苦では無くなった。親父には感謝するばかりである。


 小生はいま、こうして自分の想いを文章にして綴っているわけだか、読み手の評価を気にすることはない。どんな感想を持とうがそれは読み手の勝手だし、読み手の心の内を考えながら書けば、きっと小生の想いは違ったところに着地してしまうと思うからだ。もしかしたら気分を害してしまう可能性をも秘めているが、そこはご容赦いただきたい。


 最近の若い人たちの中には、世の中のすべての情報はスマホひとつで得られると思っている人も少なくないだろう。確かに、ありとあらゆる情報はネットで得ることができるし、目的がそれだけならばスマホさえあれば事足りるのかも知れない。では、ネットで得た情報やニュースは、どこから生まれ出たものなのでしょう? いま一度考えていただきたい。

 ニュース記事は、記者が書いて生まれるものだと認識しているが、記者が現地や情報源に取材することで、第一報として報道されるものだと思う。ネット上で配信されている情報は、そのほとんどが新聞社からのものだ。つまり、新聞記者が取材することがなければ、ネット上に溢れる情報も無いと言っても過言ではないということ。このことが新聞の存在する意義だと小生は思うのだ。

 

 ならば本はどうだ。世の中には無数の本が存在する。それこそ川端康成や太宰治のような巨匠から、現代では東野圭吾や宮部みゆきなどの人気作家の方々が、多くの作品を生み出している。書店に行きこれらの作品を手に取り、そして読む。その後には感動であったり、知識を得たりできるのだ。ただ忘れてはいけないのは、普段何気なく読んでいる本も、それを執筆した方たちが発表してくれたからこそ我々のような読者に伝わっているということ。そして、どんなに良い作品であっても、発表出来る場所が無ければ、読み手にには伝わらないということを。

 身近に本があることの大切さや、いつでも手に入れることのできる幸せを忘れてはならないし、新聞記者による血の滲むような執念の取材の影に、私たちが得ている情報があることも忘れてはならない。

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