8話
「アオイ―、おまたせ!」
僕は椅子に座りながら佐久穂さんを待っていたのだが、検査が思ったよりも長引いたみたい。
「佐久穂さん、遅かったですね」
「いやーごめん、ちょっと話し込んじゃって」
「大丈夫ですよ」
僕が微笑みながらそう伝えると、佐久穂さんも笑いながら僕の横に座る。
「それで、どうなりました?」
「健康状態に問題は無しだって。後は定期的に検査をするから、その都度来てもらって、その結果によって、次回以降の内容を変更していく形にするらしいよー」
「そうなんですか。じゃあ暫くは来なくても平気なんですか?」
「多分。もし不安な事がある場合は、再検査をする事になってるけど」
佐久穂さんの説明を受け、ほっと息を漏らした僕に佐久穂さんが話しかけてくる。
「とりあえずは一安心って感じかな?」
「そうだね。心配事が減っただけでもだいぶ気分が楽になったよ」
「それなら良かった」
ニコニコと笑顔で答える彼女を見て、僕も思わずつられてしまう。
「お楽しみ中悪いが、今度は立科君の番だぞー」
不意に声を掛けられ視線を向けると、白衣姿の美鈴さんが立っていた。
「了解です。佐久穂さんはどうします? 検査に時間がかかりそうですが……」
「待ってるよ! 何事も無いって信じてるし!」
彼女は満面の笑みで親指を立てながら僕の方に向ける。その顔に嘘偽りは見当たらない。
思わず同じ様な仕草を返してしまった。
―――――
別室で着替え終わり、隣の部屋に入れば美鈴さんが手を振りながら出迎えてくれた。
「来たな、それじゃささーっと始めるか」
指定された位置に立ち、美鈴さんは慣れた手つきで機器を動かしていく。
モニターをじっと見ながら真剣な眼差しを注ぐその姿は研究者と呼ぶに相応しいのではと思う。
やがて計測が終わったのか、ゆっくりと瞼を開けた後、溜息と共に言葉を吐き出す。
「立科君は瑠依ちゃんと違って、平均的だな」
「平均的が一番ですよ」
「それは否定しないが」
美鈴さんは困った表情をしながら、キーボードを叩く。
「佐久穂さんはどんな感じでしたか?」
「瑠依ちゃんは健康体そのもの。どこをとっても異常は見つからない。勿論、"穢れ"に対してもね」
「それはよかった」
「自分の事は気にならないのかい?」
「僕は別に」
「瑠依ちゃんは立科君の事が気になり過ぎて、なんでもかんでも私に喋るぞ?」
「美鈴さんに?」
美鈴さんの話を聞けば聞く程、佐久穂さんは良い人だと分かる。
しかし、美鈴さんは少し気になっている様子。
「瑠依ちゃんは純粋で優しい子だが、人の心に土足で踏み入る傾向があるから、あまり仲良くすると痛い目を見る事になるかもね。まぁ、そんな事をしても許してくれる相手だと分かっていての行動だと思うけど」
「そういうものなのですか?」
「瑠依ちゃんは昔からそうだったよ。まぁ、それが瑠依ちゃんの良い所でもあるんだけど」
「美鈴さんから見て佐久穂さんは、どう見えますか?」
「私から見たら……そうだな。一言で言うと天真爛漫といったところだろうか。ただ、そこに裏があるのかどうかは、正直言って判断出来ない」
「なるほど」
美鈴さんは腕を組みながら考え込んでいる。
「それに瑠依ちゃんは私にも懐いてくれているからね。変な事も言えないだろうさ」
「美鈴さんは美鈴さんで苦労しているという事でしょうか」
「そうかもしれないね」
二人で苦笑いを浮かべながら、検査結果を待つ。
そして、しばらくして美鈴さんは画面から目を離すと、椅子を回転させながら僕の方へと向き直る。
「ふむ、この検査結果に間違いがなければ、立科君の身体にも異常は見当たらないな」
「問題ないって事ですか?」
「本来ならね。でも立科君は、"穢れ"を体内に取り込んでしまった。その影響が全く無いとは言い切れないのが現状だ」
「つまり、まだ油断できない状況であると?」
僕の言葉に美鈴さんは、「そのとおりだ」と返事をする。
「何かしらの症状が出る可能性も十分に考えられる。例えば頭痛、眩暈、吐き気などだ」
「僕と同じく、"穢れ"を取り込んだ人達は皆、そういった症状に悩まされていたのですか?」
「ああ、それが収まった後に『祓魔師』として力を手にした者がほとんどだ」
噛まれた方の腕を見つめながら、掌を開いては閉じる。あの時、確かに僕はあの化け物を消して見せた。
「"穢れ"を取り込む事が出来た人達ってどれほどいるんですか?」
「各国で秘密裏に公表された人数であれば、世界でもまだ片手人数ほどだよ。そして日本では立科君が初めてだ」
「そうですか」
「瑠依ちゃんもそうだけど、どうしてキミはそうやって何でも受け入れようとするんだい?」
美鈴さんは呆れた様に僕を見ながら呟く。
「そうしないと生きていけないからじゃないですかね」
「それも一つの理由には違いないだろうけど、他にもあるんじゃないかい?」
「そうですね。きっと誰かに必要とされたかったのかもしれません」
僕がそう答えると、美鈴さんは黙り込んだまま何も言わなくなった。
「あの、美鈴さん」
「あー、ごめん。ちょっと考え事をしていただけ。立科君、改めてキミに聞きたいのだが『祓魔師』を務めてみる気はないかね?」
「以前、頂いた『祓魔師の心得』や、現在の状況を考えるとお断りしにくいのですが……」
「そうだよね、うん。だからこちらも包み隠さず話す事にするよ」
そう言うと、美鈴さんは深呼吸をして、ゆっくりと口を開いた。
「立科君、キミを引き入れる事が出来れば、各国に対して優位に立てるカードを政府は手に入れる事が出来る。そして、"穢れ"に関しても自分達で情報を集め、解析する事も可能だ」
「規模が大きくて実感が湧きませんね」
「立科君は、自分がどれだけ重要人物なのかを自覚していないようだな」
「ある程度は理解しようと努力していますよ。ただ、自分一人が頑張ったところで、何も変わらないでしょうし、変わるとも思えません」
「それでも、だ」
「僕に出来る事は限られていますし、そもそも、僕自身、自分に何が出来るのか分かりません」
僕の言葉に美鈴さんは溜息を漏らす。
「立科君は本当に無欲なんだな」
「どういう意味ですか?」
「普通の人間ならば、もっと欲深く生きようと必死になるものだぞ? お金とか、名誉とか、地位とか色々あるじゃないか。学生なら尚更の事だろうに」
「欲しいものは特にありませんし、今の暮らしに満足しているのでこれ以上の事を望もうと思いませんでしたし」
「そうかい? 私はもう少し貪欲になってもいいと思うんだけどねぇ」
「そう言われましても……」
美鈴さんは僕に何を期待しているんだろうか?
「まっ、立科君を口説き落とす時間は、まだたっぷりとあるから焦らずにいこうか」
「はぁ、まぁ、頑張ります……」
「うむ、期待しているよ」
美鈴さんは納得したのか、笑顔で僕の肩を叩きながら答えた。