30話
宵の明星が訪れる頃、学園前にシアさんを迎えに来た黒塗りの車が停まる。
運転手さんが降りてきて後部座席を開け、カノジョが乗り込む。
窓を開けたシアさんが、こちらに向けて話しかけて来た。
「アオイ! 本日は本当にありがとうございました! また明日デス!」
「こちらこそ、お誘い頂きありがとうございました。気持ちがスッキリと出来ました」
「それは良かったデース! あっ! 一つ忘れてましたネ」
「どうかしましたか?」
手招きしてくるシアさんに近寄ると、僕の唇にカノジョの指が添えられた。
「今日の事は、二人だけの秘密デス」
そう言って、悪戯っぽく笑うシアさん。
僕が無言のまま頷くと、カノジョは満足げに笑みを浮かべ、唇から指が離された。
そして、そのままシアさんの唇へと移動していく。
細い指先が、柔らかな桜色のそれに触れると、軽く押し潰され形を変える。
僕は、その光景から目が逸らせなかった。
「……甘く感じるのは、サイダーだけじゃありませんヨ?」
その言葉を残して、カノジョは窓の向こう側へ消えていき、車に乗って走り去っていく。
(今更だけど、どうしてこうなった?)
そう思ってしまうくらいには動揺していた。
自分の唇に触れてみると、そこにはまだカノジョの、仄かな熱が残っているような気がした。
「……はぁ、今日はもう帰ろう」
――――――
自宅までの道中、スマホが震えてメッセージアプリを立ち上げると、佐久穂さんからの連絡が入っていた。
『アオイ! シアとお話出来た?』
『うん。色々とね』
『そっか。気持ちの整理は?』
『出来たよ。いつもありがとう、瑠衣』
『ううん、気にしないで。よかった。私から言えることは、これだけだよ!』
佐久穂さんとのやり取りを終えると、僕は大きく息を吐いて夜空を見上げる。
満天の星々が煌めく中、一際目立つ星が輝いていた。
「ほう、これは見事なものだ。最近は下ばかりを向いていたので、気付かなかったが、こうして見ると美しい」
いつの間にか、僕の近くには、杖を手にした老人が景色を眺めていた。
その横顔は、どこか寂しげにも見えた。
「あの、あなたは誰なんですか?」
「私は、この町に古くからいる者さ、立科君」
「どうして、僕の名前を?」
「簡単な事だ。君は、『祓魔師』として有名人だからね」
老人から発せられた言葉を聞き、嫌な汗が流れるのを感じた僕は、無意識のうちに後退りをしていた。
「まあ、そう身構えないでくれ。今日は君と会話をしたくてここに来たのだ」
「そう言われても、いきなり現れた相手に対して警戒するのは当然でしょう」
「それもそうだな。すまない。では、どうすれば君の警戒を和らいでくれるだろうか?」
「……僕に害を及ぼすつもりは無いのですよね? なら僕以外に対しては?」
「ああ、その心配はいらない。君も含め、人物に危害を加える様な真似はしないと誓おう」
「……分かりました。お話を伺います」
「感謝する。では、私に着いて来なさい」
「はい」
――――――
突然、現れた老人の後ろ姿を追いかけていく。
見た目とは裏腹に、足取りがしっかりしている事に驚きながらも後を追う。
気が付けば、駅前へ辿り着き、とある店へと入っていく。
店内に入ると、美味しそうな匂いが鼻腔を刺激し、お腹が動き出す。
カウンターにいる店員さんに近づく老人は、僕を手招きして呼び寄せる。
「ほれ、好きなのを選びたまえ。付き合わせた駄賃だ、ここは私が払う。遠慮はいらん」
「ここって、ファーストフード店ですよね?」
「そうだ。私が好きなものでな。客で賑わうおかげで、会話を盗み聞きされる可能性は低い」
「なるほど……では、僕はこれを」
僕は、メニューの中から一番安いハンバーガーセットを注文し、手に取ると、壁際の席へと向かう。僕に続き座った老人は、テーブルの上にトレーを置くと、その上にあるポテトを摘まみだした。
……何だろう、この違和感は。
「ふむ、久しぶりだが、やはり旨いな」
「お爺さんは、よくここに来るんですか?」
「いいや、普段はあまり食べん。だが、偶に食べたくなる時がある。ほれ、温かいうちに食べるといい」
「いただきます……」
頼んだハンバーガーを頬張り始めると、老人が口を開く。
「そのままでいい、話をしよう」
「はい」
「まず、自己紹介からだ。私の名は……正直に言えば、無いに等しい存在なのだが、皆からは"鴉天狗の翁"と呼ばれている」
"鴉天狗の翁"と名乗る男性は、僕に向かってそう告げると、自身の顔を撫でながら語り始めた。
「"鴉天狗の翁"ですか……。初めて聞く名前ですけど、有名な方ですか?」
「ほれ、そこにあるポスターを見れば分かると思うぞ?」
彼が指差したのは、店の壁に貼られている一枚の紙だった。そこには、「夏の始まり! 妖怪展開催!!」と書かれている。
真ん中に、鼻の長い天狗のイラストが描かれていた。
「自分の事を、"鴉天狗の翁"と名乗り、知名度を聞けばこれだと答える。余り考えたくないのですが……」
「フム、察したようだな? つまりそういうことだ」
彼は、僕の言葉を遮るように言うと、椅子の背もたれに深く寄りかかる。
見た目だけで言えば、スーツを着こなす老齢の男性といったところ。
しかし、目の前の人物が纏っている気品と威厳は隠せていない。
認めるしかないのだろう。
目の前の人物は、人ではないと。




