1話
僕達は、突如として現れた、"穢れ"と呼ばれるものによって、生活が一変する事となった。
そして僕は、『祓魔師』の力を手にした。その力は、大変貴重なものであり、今起きている出来事を解決する為に、一部の人達は是が非でも僕を、『祓魔師』にさせたかったようだ。
だが、それらの声を抑えつけ、僕に選択肢を与えてくれた美鈴さんには、心から感謝している。
僕自身が、この力を誰かの為……いや、まだそこまで大きく考えるのは難しい。
だから今は、あの時僕を守ってくれた佐久穂さんの為に、この力を使いたいと強く思えたからだ。
そしてカノジョと力を合わせ、僕達は、『祓魔師』としての一歩を踏み始めた。
―――――
「ふぅ……こんなものかな」
自室で着替え終えた後、鏡の前で身だしなみを整える。
寝癖が無い事を確認し、部屋を出て階段を下りると、玄関で靴を脱いでいる佐久穂さんと目が合った。
カノジョは僕の姿を見てニコリと笑うと、「おっはよ~」と声を掛けてきたので、「おはようございます」と返せば、「うむ!」という威勢の良い声が聞こえてくる。
今までならば、佐久穂さんとは通学路で合流をしていたのだが、お互いに、『祓魔師』として働く事になった相棒という事で、僕の家の合鍵を渡しておいたのだ。
一軒家に僕一人が住む状態なので、誰かを気にする必要もないし。
何よりも、合鍵があろうが無かろうが、佐久穂さんはしょっちゅう僕の自宅にやってくるからね。
「アオイー朝ごはん食べたー?」
「まだですよ」
「ちゃんと食べないとダメだよ? 準備するからちょっと待ってて」
「分かりました」
合鍵を渡してからまだ二週間も経っていないにも関わらず、佐久穂さんは学校のある日は、必ず僕の自宅に立ち寄り、朝ご飯を作ってくれるようになっていた。
僕の返事を聞いた佐久穂さんは台所に立つ。
制服の上から身に付けたエプロン姿のカノジョは、鼻歌交じりで料理を始めている。ご機嫌である事が分かる。
カノジョの後ろ姿を眺めていると、何かを思い出したように僕の方に振り返った。
「朝だから簡単なものでいい?」
「はい、構いません。ありがとうございます」
「ん」
僕の言葉に短く返す佐久穂さんは、また背中を向ける。
それからしばらくして料理が完成すると、テーブルの上には朝食の準備が整った。
料理を終えた佐久穂さんは、エプロンを外すと僕の正面になる位置に座り、こちらを見つめている。
僕は手を合わせると食事を始める。
「どう? 美味しい?」
「えぇ、とても」
答えを聞くと、佐久穂さんは満面の笑顔を見せ、「やったぜ!」とガッツポーズをした。
「アオイに作って貰ってばかりだったからね! 今度はアタシが作る番だよね!」
「それは大変嬉しいのですが、甘えてしまってもいいんですか?」
「いいんだよ! ほら、素直にアタシを頼りなさい!」
「はい、よろしくお願いします」
「お任せあれ! とびっきりの愛情込めてやるんだかんね!」
僕の返答に気を良くしたのか、佐久穂さんがやる気を見せながらそう言った。
テーブルに肘を立て、手に顎を乗せながら、上目遣いをしてくる佐久穂さんの視線を受け止めながらも食事を続けた。
「あっ、そうだ」
思い出す様に佐久穂さんが呟き、椅子から立ち上がって僕の隣に座る。
カノジョの顔を見ると、どこか悪戯な笑顔を浮かべていた。
「ねぇ、知ってるかい? アオイ」
「何をですか」
「アタシ達、『祓魔師』になったじゃない」
「はい、そうですね。佐久穂さんと一緒に、『祓魔師』になる事が出来て良かったです。ありがとうございます」
「へぇあ!? まぁ、その、うん、ありがと。こっちこそさ、一緒になってくれて、その……って違う!!」
佐久穂さんが一人でツッコミを入れる中、僕は首を傾げる。
そんな僕を見て、佐久穂さんは「はっ!」と我に返り、一度咳払いをして話を戻そうとする。
「そ、それでさ! アタシ達の関係は一歩進んだわけじゃん!」
「そうですね。それがどうかしましたか?」
「今もだけれど、アオイはいつになったらアタシを名前で呼んでくれるのかなー? あの時、情熱的にアタシの名前を叫んでくれたアオイは、どこに消えてしまったのか!?」
佐久穂さんが悪戯っぽい顔をしながら言うと、僕は思わず言葉に詰まってしまう。
カノジョの言い分を一つだけ訂正させてもらえれば、僕は耳元で囁いただけで、佐久穂さんの言う様な情熱的という言葉には全くもって当てはまらないはずだ。
そもそも僕にだって、恥ずかしいと思う感情はある。ただ、カノジョの行動に翻弄されっぱなしなのが少しばかり悔しかったので、仕返しをしてみたくなったのだ。
「あ、あの時は、イタズラ心が沸いたと言いますか、やられっぱなしなのは、何だか負けた気がしてですね」
「ふーん。アタシがアオイに名前で呼ばれたいと思ってるのは本当なのに、アオイはそう思ってなかったんだ」
佐久穂さんは頬を膨らませて拗ねると、そっぽを向いてしまった。
これは不味い。どうすれば機嫌を直してくれるかと頭を悩ませるが、上手い考えが思いつかず。
結局は椅子の上で正座をして素直に謝る事にした。
「ごめんなさい、瑠衣」
「うん。よろしい!」
体勢を元に戻し、胸を張る佐久穂さんを見ながら、安堵する。
するとカノジョは、「あはは」という声を上げて笑い出したため、釣られて僕まで笑ってしまった。それから二人揃って笑い合った。
「まー確かに、呼び方を急に変えるのは難しいよね。でもアタシはアオイに名前で呼んで貰えると、凄く嬉しいんだ」
「わ、分かりました」
「うんうん。じゃあさっそく、もう一回お願いします!」
「……」
佐久穂さんは期待に満ちた目を向ける。どうにも逃げられない雰囲気なので、意を決して口を開いた。
「えっと……瑠依」
「もう一回」
「る、瑠依」
「照れがあるね! わんもあ!」
「瑠依!」
「よし! 最後にもっかい!」
「もういいんじゃないですか! 恥ずかしいですよ!」
「駄目です! はい、最後はさっきよりもゆっくり、優しく、甘く、蕩けるように、愛おしさをたっぷり含ませた感じに言ってみて!」
「どんな要求なんですか! それ!」
「いいから言うんだよ! ほれ!」
佐久穂さんは僕の両肩を掴むと、グイグイと顔を自分に近づけさせる。
近い。とにかく近い。
鼻先がくすぐったくなる距離に佐久穂さんの顔があり、カノジョの吐息が僕の肌を撫ぜる。
「ほら、さっさと言っちゃいなよ! 瑠依、瑠依、瑠依! ほら!」
「ちょっと落ち着いてください! 瑠依!」
「そうそう! その調子! もっと甘~く!」
僕が名前を連呼すると、佐久穂さんは更に勢いを増す。
まるで子供が新しい玩具を与えられた時の様に、はしゃぎながら僕に催促をする。
その度にカノジョの髪と甘い香りが強くなっていく。そんな状況に、僕は冷静ではいられず、頭は沸騰しそうになるが、どうにか持ちこたえていた。
「瑠衣」
「うへへ~、なんかゾクッとした! もっかい!」
佐久穂さんは、自分の指と僕の指を絡ませながら身を捩らせる。カノジョが発した言葉に、思わず体が反応してしまう。
僕はその感覚に抗えず、無意識に声が漏れてしまう。
「……瑠依」
佐久穂さんはその瞬間に動きを止め、上気している表情を浮かべながら僕を見る。
僕達の間に静寂が訪れる。聞こえるのは時計の針が動く音と、お互いの心臓の音だけだ。
佐久穂さんが何か喋ろうと口を開けば、僕もまた同じ様に開き、また閉じられる。
お互いに何も喋らず、ただ見つめ合うだけの時間が流れていく。
僕は、この時間がいつまでも続けばいいと、心の底から願う。
―――――
「アオイ! 早くしないと遅刻しちゃうぞ! ほら、はやく~」
「ちょ、待って下さいよ!」
あのままいつまでも続くかと思えた時間は、スマホから流れるアラームによって終わりを告げた。
僕達は慌てて支度を整え、家を飛び出すと、佐久穂さんは既に僕より先に駆け出しており、追いつく為に僕も走る。
僕を待つかのように、その場で足踏みをしながら楽しげに笑うカノジョの姿は、朝日に負けないくらい輝いている。
その姿に見惚れながらも、僕は佐久穂さんの元へと走り続ける。やがて隣に並ぶと、カノジョは僕に笑顔を向けた。
「お待たせしました」
「うむ! それじゃ行こっか!」
「はい」
返事をすると、佐久穂さんは僕にぴったりとくっついて歩き出す。
時折、腕が触れ合うと、佐久穂さんは嬉しそうに笑ってくれる。そんなカノジョを見ていると、僕の顔も緩んでしまう。
「ふっふーん。ようやくアオイも素直になってきたね! 今日はいつにもまして楽しそう!」
「楽しいですけど……それ以上に」
「?」
「幸せの方が強いかな」
佐久穂さんに言われた通り、僕が素直に発言すると、カノジョは一瞬キョトンとした後に満面の笑みを見せてくれた。
「なーんだ。やっと分かってくれたのかぁ。いやー、長かったなー」
「理解された上で同意されると、恥ずかしくて穴に入りたくなります」
自分の頬が熱を帯びている事を自覚する。耳もだ。きっと真っ赤になっている事だろう。
「恥ずかしがる必要なんて無いよ。アタシは嬉しいんだから。それにさ……こういう事は二人で共有していきたいじゃん? ね、そうでしょ、アオイ」
佐久穂さんは、僕の左手を両手で包み込むと、自分の頬へと持っていき、優しく触れるように押し当てる。
柔らかい感触に意識が集中するも、なんとか言葉を絞り出した。
「はい」
「だから、まずは慣れていけばいいよ。これから、ずっと一緒なんだしさ」
「……」
佐久穂さんは僕の手にそっと手を重ねてくれる。
カノジョからの励ましの言葉に、胸の奥に温かいものが広がる。
僕は大きく深呼吸をし、心を落ち着かせる。
「ありがとうございます、瑠依」
「うんうん。どういたしまして! さっ! 学園に急ごうぜ!」
佐久穂さんは僕の手を握り締めると、勢いよく引っ張り始める。僕はその力に引っ張られ、体勢が崩れそうになる。
「あ、危ないのでもう少しゆっくり……」
「大丈夫だって! このまま行こう!」
「分かりました。分かりましたので、一旦手を離してくれませんか?」
「やーだよっ! 幸せは掴んでいないと逃げちゃうのさ! という訳なので却下です!」
「いやまあ、それはそうだと思いますが、でもやっぱり、その……ですね……」
「へへっ。よいではないか、よいではないか! 恥ずかしがる必要なんて全然、これっぽっちもないんだからね!」




