31話
佐久穂さんが呟いた直後、東御先生のスマホが部屋に鳴り響き、電話に出ると僕達に断りを入れて部室から出て行った。
残された僕達は、特に会話も無く黙々と勉強を続ける。集中力が高まり、静かな時間が流れていた時、不意に佐久穂さんが顔を上げ、窓の外を見つめている。何かあるのだろうかと視線を追うとそこには――
「……雨?」
「みたいね」
ポツリポツリと降り出したそれは、瞬く間に勢いを増していく。天気予報は晴れだったのに、どうして? と不思議に思ったが、答えは直ぐに出た。
「そっか。今朝のニュースで梅雨入りが発表されたんだ……」
「ああ、そういえばそんな事言ってた気がする。夜には降り始めるかもって予想してたけど、まさかこんなにも早いなんて」
「予報だと、一週間続くらしいよ。アオイは傘持って来てた?」
「折り畳みならありますけど、この様子じゃ意味なさそうですね」
「だよねぇ……」
僕と佐久穂さんは同時に溜息を漏らす。すると先生が電話を終えて戻って来た。
「二人共、今日はお開きだ。視界が悪くなる前に生徒を帰宅させる様にと、お達しが出た。戸締りを忘れないようにな」
『はーい』
「良い返事だ」
そう言い残すなり、足早に出て行く先生を見送った後、僕と佐久穂さんは机の上を片付け始めた。部室の扉を閉め、鍵を掛け、電気を消すと、薄暗い空間が出来上がった。
外は既に暗くなっており、窓ガラスに映る僕と佐久穂さんの姿がぼんやりと見えている。先程までの喧騒が嘘のように静まり返る室内。聞こえてくるのは、雨の音と時計の針が進む音だけだ。
「そんじゃ、帰る準備も出来たわけだし、センセーの言ったとおり、ささっと出ちゃおうか」
「そうですね」
佐久穂さんの言葉に同意すると、僕と彼女は下駄箱に向けて歩み出す。
その際、隣同士で肩が触れ合うと、佐久穂さんは頬を赤く染めながら僕から目を逸らす。きっと僕も同じように照れてしまっているだろう。
学園で出会って以来、彼女と過ごして二ヶ月が経過していた。最初はただの隣人。それだけの関係だったと思うが、今は少し違う。
隣人として接していた時間は極めて短く、他人であるが故に存在するはずの距離感は、ゼロと言っても過言ではない。
「……何を考えてるの? アタシの事?」
「え?」
「こっちを見てぼーっとしてたら、誰だって分かるって」
「そ、そうですか? そんなに佐久穂さんを見てますかね」
「そりゃもう。穴でも開くんじゃないかってぐらい、アタシの事をガン見してくる時があるよね、アオイって」
「そこまでは流石に……」
「無いとは言わせないぞ!」
「……ごめん」
僕が謝ると、佐久穂さんはクスッと笑う。
「ふふっ。別に怒ってる訳じゃないって。ま、冗談はさておくとしても、そんなに見られてちゃ、気になってしょうがないって」
佐久穂さんは笑みを浮かべながら、そう告げる。
確かに僕が佐久穂さんを見る回数は、自分で思っているよりも多いかもしれない。彼女の姿を目で追っていたのは確かだから、その指摘に反論する事は出来ない。
「僕が佐久穂さんを見てしまう理由は、なんとなく分かっているんです。だけど、どうすればいいのか分からなくて。佐久穂さんともっと仲良くなれればと思っています。けれど、それが上手く出来なくて」
「アタシ達の関係は、出会った時から変わってないじゃん?」
「そうかもしれませんが、僕にとっては大きな進歩なんです」
会話を続けながらも校内を歩き、気が付けば下駄箱まで辿り着いていた。
外は雨。昇降口には、僕達と同じように傘を片手に外に出ようとする人達がいる。下校する人の中には、クラスメイトの姿があり、こちらに気が付いて挨拶をしてくれる。
僕と佐久穂さんは会釈をしながら「お疲れ様」や「また明日」と声を掛ける。こうして話している間に、靴を履き替え終えた佐久穂さんは、僕の方を向き口を開く。
「これだけ雨の降りが激しいと、傘なんて意味ないかもね」
「それでも無いよりはマシですよ。ほら、佐久穂さんも傘の準備をして下さい」
「うーん、でもなぁ。どうせ濡れちゃうだろうし、いっか!」
「ちょっと!?」
僕の意見を無視して、佐久穂さんは躊躇い無く外へと飛び出す。
彼女が飛び込むと、ローファーが水溜まりを弾き、まるでバケツの水を被ったかのように全身がびしょぬれになった。制服が水を含み、身体に貼り付く様に透けて見えてしまう。
僕は慌てて彼女に近寄ると、彼女は嬉しそうに笑みを深めながら、「ほらね」と言うのだ。
「アオイなら追いかけて来てくれると思った!」
「風邪を引いたりしたら大変でしょう! どうしてこんな無茶をしたんですか!」
「あはは。怒った?」
「当たり前です!」
「うん。ありがとう。怒ってくれて」
佐久穂さんは、僕の目の前で楽しげに笑みをこぼす彼女。
「僕を試したの? もし僕が佐久穂さんを追いかけなかったら、ずぶ濡れで帰ろうと考えてたの?」
「半分正解。アオイが追い掛けてくれるかどうかで、この後の予定が決まるかなって思ってた。もしも何も反応が無かったら、一人で帰ってたよ」
「じゃあ、どうして僕が佐久穂さんを追い掛けた時は、そんな風に笑っていられるの?」
「それはね――」
僕が問い掛けると、佐久穂さんは僕の手を取る。突然の出来事に対応出来ずにいると、佐久穂さんの指先が僕の掌に触れ、温もりが伝わる。
雨に打たれている筈なのに、どうしてここまで温かいのだろうか。僕の思考は佐久穂さんに絡め取られ、身動きが取れない。
「こうやって、一緒に帰りたかったからだよ!」
佐久穂さんは満面の笑顔でそう言うと、僕の手を引っ張り雨の中、走り出すのであった。




