87話 サマリード領への帰還 5
-バンダーク~トーノッハ 移動中の馬車の中-
オレオン川を渡ってベスパー領内を北上する。トーノッハまでは道路も幅広で走り易く整備されている。軍用道路だった頃の名残りだ。馬車や荷車での通行がし易く、道路環境の良さが流通の発展にそのまま繋がった。物が動けば金も人も動く。結果、ベスパー領の中心地であるトーノッハは人口が増え、イシュマル地域への中継地点でもあるため、非常に交易が盛んな都市となった。
「往路では寄りませんでしたが、少し見ておきたいのです」
短時間だけだが、復路で寄ることに決めていた。トーノッハの市場を見ておきたい。
「私らはお嬢に付き合うだけさ。お目当ては何だい?」
ここでの目的は種子と調味料、加えて相場の確認だな。トリスタンでも別の目的で調査はするつもりでいる。今後は買い付け量も増えていく。距離は価格に反映されると見ていいし、全てが取引されているとは限らない。需要が無ければ買い付けはされないからだ。実物の存在が確認出来なくては頼むことも難しい。適正な取引をするには情報を集めなければならない。いずれはサマリード領からも交易をすることになる。大雑把にでも価格相場を知る事は必要不可欠だ。
「なるほど、もっと開拓して畑は増やすって言ってたものね」
俺の考えを話したところ、皆概ね理解を示してくれた。
「先の展望も見据えてか。確かに機会を作って見ておくべきだろうね」
「領主の娘と聞いてはいたが、貴女はそんなことも既に考えているのだな」
ノーマは微妙に勘違い系なのかな。そんな難しい話じゃないんだが。誰だってボッタくられたり買い叩かれるのは避けたいはずだ。ごく普通の感覚だと思うんだがな。
トーノッハに着いたのは丁度陽が高くなった頃だった。商業地区は西側のはず。小窓からミランに指示して向かってもらう。大通りを進めば着けるだろう。
「マハルでは色々と食べていましたが、皆さんは元の素材が分かってましたか?」
「いや全然。そもそも料理自体が初めて見るものが多かったからね」
「残念ながらサマリード領内には無いものが多くて、料理の再現はほぼ不可能です。この街の市場で、育て易いものだけでも元を手に入れたいところです」
「材料が無ければ作り様もないか。食べ物ですら王都とはかけ離れている訳だね」
「戻ってから畑は増やすのよね。そこで作るってこと?」
「気候が違うので試してみないと何とも言えないところです。簡単には行きません」
「そうなんだ。少しでも上手く行くといいね」
農作物を得るのは実際かなり難しい。農業って技術職だからな。土に種を蒔いて簡単に生えるのは雑草だけだ。手間と時間を掛けて何も得られない事も有る。なるべくハードルの低いものを選ぶつもりだが、それでも難しいだろうなぁ。
-ベスパー領 トーノッハ砦 中央市場-
トーノッハの市場は予想よりもかなり大きなものだった。やはり人口が多い都市はそれだけで相当な違いが出る。総需要の量が比較にならんからな。数が揃えば質は自然と向上するものだ。
台上に陳列された野菜、果物は見た目も良い。ここまで至るには相当な月日が掛かるだろう。季節が変ったら並ぶ物は替わるはずだ。また見に来たいものだな。
「思ったよりも沢山の種類が有るのだな。初めて見るものも多かった」
「私らが知らないだけなんだねぇ。ホントに田舎者だわ。参っちゃうね」
シンタックと同様に劣等感を刺激されたらしい。比べたところで良い事は何も無いぞ。
「ここは各地の物が集まって来る土地です。違って当然ですよ」
「サマリード領は農業が盛んではないのか?」
俺は小麦、じゃが芋、玉葱ぐらいしか知らん。畑自体が言うほど無いしな。
「私らは山育ちだからね。ノーマから見たら辺境って言葉がしっくり来るだろうさ」
そうか、ノーマはマハルで暮らしていたのだから違いに慣れるまで辛いかもな。
「もう何年も行商の旅暮らしなので、腰を落ち着けられるだけで有難いですよ」
そう言って彼女は穏やかに笑い返す。人に言えない苦労をしていそうだな。
「マリーナは何を買ってきたの?」
「種です。あと苗も幾つか」
金額的には大した額じゃない。無駄に終わる公算も高いので多くは要らないしな。
「それって結構前に作った甘くなるやつも入ってる?」
「有りますよ。気候には合っているみたいなので作付は増やすつもりです」
甜菜の事だな。全部失敗すると精神的に辛い。確実なところからやっておかんとな。
あまり時間も掛けれないので、急ぎ馬車へと乗り込んでトリスタンへと向かう。
明日の出発前に家畜の価格相場を見ておかないとな。鶏なら安く譲って貰えるかも知れない。牛と豚は牧場の用意が済まないと駄目だろう。農業、畜産業とやるべき事は多い。技術開発も全然足りない。ある程度はボンデ達でも進めてはいるはずだ。俺の不在間にどの程度進捗したのかを急いで確認しなければならんな。
この街道もトリスタンまでは広くて走り易いが、その先は狭くなる上に路面状態も悪いので速度が出ない。改善しないと流通の妨げになる。つくづく道路というのは大切だと思い知る。しかし、俺の立場では手を出せる領分では無い。歯がゆいところだが、そこは割り切らないと面倒な事になりかねない。儘ならないものだ。
ふと横窓を見ると陽が傾き出している。今はメラニーを過ぎた辺りだ。周囲に不審な影も無いし、このまま行けば暗くなる前にはトリスタンに入れる。宿は前回使った西門近くのところで良いな。部屋が空いてないってことも無いだろう。
-カシムーン領 商業都市トリスタン 宿屋-
少し遅くなったが無事にトリスタンに到着出来た。宿は予定通り、前回の場所を使う。
「今晩は。5人部屋をお願いします」
「おや、嬢ちゃん達は少し前にも泊ってたね。5人ならここを使ってくれ」
案外と覚えられてるものだと感心する。組み合わせ的に珍しいからだろうか。若い女子供だけの客は確かに目立つ。それでも変に詮索して来ないのは客商売を弁えてる証拠だ。こういう点も期待して値段の張る商人用の宿を選んでいる。
「一先ずは食事にしましょう。ここは確か部屋で食べれたはずです」
「そう言えば前回も部屋で食べてた気がするね。その方が落ち着けていいかも」
「献立の選択肢は少なかったよね。私らは前のと同じので良いわ」
「あ、では私注文して来ますね。ノーマさんはご希望有りますか?」
「任せる。特に苦手なものも無いので適当に頼んで」
前回ここで食べたのって何だったかな。全員同じ物だったとは覚えているんだが、正直記憶に無い。まぁ、変な物は出てこないだろう。
「ところでノーマさんの今後ですが、自警団の建屋で寝泊りしてもらおうかと考えています。タニアさん、何か支障有りますか?」
「元々が泊まれる様な造りになっているから構わないが・・・あそこに住むのかい?」
「いずれは誰かに常駐してもらう算段ではありましたので。以前に自警団で商会みたいな事をするって言ったのを覚えてますか」
「あぁ、あれ本気だったのか。大丈夫なのかい、そんな事をしても」
「特に問題にはならないでしょう。ただ、管理をお願い出来る方が必要になるので、そこをノーマさんで充てようかと」
「私は寝泊り出来る環境は助かるので、願ったり叶ったりだよ」
彼女を城や村に住まわせるのは難しい。只でさえ少ない鍛冶師が急に湧いて出るはずも無く、衆目が有れば話題にならない訳が無い。俺が作成した道具にほぼ関わる事になるので、技術漏洩防止のためには囲う必要が有る。狭い村社会でも行商人の対人能力で渡り歩けるだろうが、勝手に商売をさせる気は無い。村の需要程度ならダンが対応しているし、彼の仕事を奪うのは後の事を考えると避けておきたい。
「まぁ、元々が交替で詰めてた訳だから、常駐してくれるなら有難い話だね」
実際、農繁期には一斉に村の作業に参加するので長期間無人になる。最低限の留守番を置かないと事業的な真似等は出来ない。何時までも俺一人が金や証文を抱えていても具合が悪いからな。今はアルに持たせているけど、ずっとこの状態は良くない。
金庫でも作るか。鍵の仕組みを作るのが面倒だが、出来なくもないな。




