178話 湖畔の悪夢 1
-ラジャイナ領 アルゼイ城 城門前-
笑顔で見送ってくれる警備兵たちに軽く頭を下げる。早朝、コラーサ家当主のバルラスに逗留の礼と挨拶を済ませた。見舞いをした事でだいぶ心証は良くなった様に見えたし、これでラジャイナ閥として味方を増やせたと思う。予定よりもだいぶ長居してしまったが、シーラとも会えたし、回復の目途も付けられた。ここでの成果は十二分に挙げられたと考えて良いだろう。後は彼女が回復して無事に『輿入れ』が済めば、サマリード家は晴れてラジャイナ閥として生き残る事が出来る。公爵・公妃の思惑は分からないが縁戚となれば後ろ盾として充分。簡単に切り捨てられる心配も無かろう。
実際に確認するまでは不安だったが、思いの外にほぼ確実に治る症状と分かって安心出来た。これが『半身不随』や『四肢損失』等の重傷だとどうにもならなかった。そういった意味では運が良かったのだろう。
さて、これからは急いでサマリードへ戻らねばならない。道中の危険は今は気にしなくても問題あるまい。まだまだオンタリオ平原では公妃が派遣した工兵集団が展開している。賊が出没する懸念は低い。もし出没しても少人数相手なら何とでもなる。とは言え、どこに他人の目が有るか分からないので迂闊な事は出来ない。なるべく一般的なやり方で周囲に疑問を抱かせない様にするべきだな。
そう考えると夜間は基本的に街に泊る事になる。ここからの距離を考慮すれば、今日はカリーニ村までが限界か。不自然に思われても困るし、これは已むを得まい。
ふと思いついてエクスをマニベク湖畔へと飛ばす。この先は当分の間、シーラ達と会う事が無い。最後にもう一度彼女達の姿を見ておこう。今頃はまた湖畔の散歩に出ているはず。距離的にもこれが最後の機会となるのは間違いない。
暫くの間、湖面の上空を舞いつつシーラ達の姿を探す。彼女達が居るのは南側のアルゼイ城からそう離れていない場所のはず。概ねの見当をつけてその方角へ向かうと、果たして遠目に車椅子と思しき影と近くに人影が見えた。
ん?シーラ達以外にも誰か居る。体格からして男性、城の兵士を連れて来たのかも知れない。確かに護衛としては必要かもな。そう思ったが更に近付くと様子がおかしい。男は剣を構えており、ララも抜剣して対峙している。これって襲われてるのか!
事態を理解した俺は直ぐにアルを全速力で駆けさせた。馬より遥かに速く移動出来るアルで向かうのが最善、マリーナでは間に合わない。上空から場所は特定出来ているが、エクスではミサゴ分しか体積が無い。援護は難しいだろう。どうする?どうするのがいい?
俺が独り逡巡していると、男の剣がララを捉えていた。シーラを庇った隙を突かれた恰好だ。血飛沫を上げて膝から崩れ落ちるララ。男は剣を振り被り、止めとばかりに振り下ろした。力無く地に伏せる姿を確認すると、動けないシーラに向かって何事か喋りかけている。畜生!何だよこいつは!何なんだよ!
やがて喋り終えたのか、徐にシーラに近付き、その胸に剣を突き立てた。一部始終を目の当たりにして俺の頭には奇妙な空白が生まれた。それは次の瞬間、冷徹に一切の躊躇も無く俺に指令を与えた。俺は上空を飛ぶエクスを一息に地上へと加速し、遺骸を漁る男の手前でその姿を『槍』へと変化させた。突然の襲撃に男は反応出来ず、背中から貫かれて地面へと縫い付けられ、不思議そうな表情のまま絶命した。
俺は目の前で起きた現実にただただ呆然としていた。彼女達を見つけてから僅か数分も経たぬ時間で、今まで掛けた苦労が無に帰した。いったい何なんだこいつは?盗賊?チンピラ?何でこんなところに居るんだよ!誰だお前!ふざけんな!頭の中が怒りで沸き立つ。その対象は目の前で死体になっている事実に更に腹が立つ。
槍からスライム状に変化してララの顔を撫でる。この娘はまだこんなに若いのに、最期がこれではあまりに可哀想過ぎる。もっと俺に特別な力が有れば、この悲惨な結末を回避出来たのだろうか。いや、そんな都合の良い世界じゃないか。
せめて瞼を閉じてやろうと顔に手を掛けた時、今まで感じた事の無い違和感を覚えた。『吸収』出来ない・・・が『干渉』は出来る。何だこれ?
生きているものに『吸収』を試みると弾かれる様な反応が出て実行できない。それは当初に試して分かっている。死体を『吸収』する場合は端から分解して取り込む様な感覚だ。そのどちらでもない半端な感触。『弄る事は出来るが自分の物には出来ない』という今まで経験した事の無いもの。ふぅむ・・・・・・。
とりあえず俺はララの身体に『干渉』して傷を全て塞いでみた。顔の傷跡も眼球表面の傷も綺麗に整形する。ふとした思い付きだが試してみたい事が有るからだ。アルが到着したのでブラックロータスに変化する。人型にしないとこれはやり難い。
エクスでシーラも同様に身体の修復を試みる。やはりララと同じ反応、『干渉』は出来る状態だ。急ぎ作業を進める。どちらも血液は一部失った物が有るため、男の死体から拝借する。血液型は分からないが今は賭けるしかない。
地面に仰向けに寝かせて胸元を開け、肋骨接合部の下端付近を強めに圧迫する。十数回連続したら顎先を頭側に傾けて鼻を摘み、気道に息を吹き込む。所謂『心肺蘇生法』と言われるやつだ。人が死ぬのは『心臓が停止した』からではなく、『脳に血液が巡らなく』なるから。意外と勘違いしている人が多いが、心臓が停まった結果そうなっているだけの事。重要なのはその『時間』だ。数分であれば脳へのダメージも無く復活する可能性が有る。そこに賭ける。諦めなければ可能性は有るはずだ。
マリーナも少し遅れて到着、結局馬と荷物はその場に置き去りで来てしまった。物陰で犬型に変化したところを見られていないと良いのだが。急ぎ人型に戻してマリーナはシーラの措置に掛かる。数秒が成否を分ける作業だけに全霊で臨む。ここで何としても彼女達を取り戻す。
ただ愚直に圧迫と吹き込みを繰り返す。再び彼女達に会える事を願って。本来は非常に疲れる内容だが、俺は幾らでも続けられる。疲れない体質に感謝だな。
どのぐらい経ったのだろうか。非常に長かった気もするし、実際にはそれ程経過していない様にも思える。先に自発呼吸まで復活したのはシーラだった。弱いが脈も戻り、ゆっくりと胸が上下するのが見て取れる。後は意識の回復を待つ。
少し遅れてララも何とか復活に至った。脈は弱弱しいが胸の動きが確認出来る。問題はここからだ。脳に重篤なダメージを及ぼしていた場合、意識が戻らない事も有る。所謂『植物状態』だ。身体は復活出来ても意識が戻らねば意味が無い。時間的に微妙な線だがどうだったかはまだ分からない。ここは祈るしかない場面だ。
やれる事も少なくなったので、マリーナは馬と荷物の確保に引き上げさせる。エクスを上空へと戻し、周囲の警戒に充てる。当面はこれで様子見か。動けない二人の警護のためにブラックロータスは完全武装で待機。まだ他にも賊が居ないとも限らないからだ。出て来たら先を取ってブチ殺す。容赦はしない。
「うぅ・・・・ん」
少し陽が傾きかけた頃、シーラに漸く意識が戻った。綱渡りではあったが、何とか賭けには勝てたらしい。
「・・・貴女は・・・?私は・・・。ここは・・・」
「今はまだ休んでいなさい。身体が怠く感じるはずです」
「え?・・・周りが普通に見える?何で・・・」
「混乱するのも無理は有りません。ですが今はもう暫く身体を休めなさい」
「はい・・・あの、貴女は?」
「喋るとそれだけ体力を消耗しますよ。お話は後で致しましょう」
マズイな・・・後先考えずにやってしまった感が・・・う~ん・・・。良く考えればそういう反応になるよな。刺されて死んだと思ったら何故か生きていて、しかも身体の傷が全て無くなってたとか、そりゃ混乱もするわ。これどうやって収めようかなぁ・・・。




