15話 城塞の外へ
-リベスタン城塞 礼拝堂-
「領内を回ってみたい、ですか。見分を広めるには必要と」
マイネル司教は難しい顔で考え込んでいる。
10歳を迎えた俺は城内で出来ることがほぼ尽きたと考えていた。
身体も若干大きくなった(した)し、日常的な会話に不安も無い。そこらの野生動物なら問題にならん程度の技術は身に着けた。
充分に城外に出ても大丈夫な状態のはず。後は心配性を拗らせた両親の許可だけが無い。特に母親のクレアはトラウマなのか俺を城から出そうとしないのだ。
「しかしご両親の説得は難しいでしょう。特にクレア様は承服されないのでは?」
分かり切ったことを敢えて大仰な言い方で俺に確認してくる。
その通り、俺だってそのぐらい理解している。だから司教を巻き込みたいのだ。
口元が少し笑っている。分かっててやってるな。楽しそうだな、クソ爺め。
実際、ここで司教の協力が得られないとほぼ詰みだ。
「単独行動ではありませんし、いずれは城から出ることになりますので」
自警団の連中に誰か同行してくれるようメリッサ経由で頼んでいる。その程度の根回しは済ませてある。稽古を通じて彼女とはだいぶ仲良くなれたと思う。
「ハミル様にお話ししてみましょう。体験からしか得られない知見も多いものですし」
どうやら協力してくれるようだ。もったいぶるのは勘弁して欲しい。
「司教が頼みの綱ですので、よろしくお願いいたします」
礼を述べ、頭を下げる。これでダメならあと数年は軟禁状態だな。
「可愛い教え子の頼みですからね。何とか取りなしてみましょう」
司教は両親への影響力がかなり高い人だ。特に父が信頼を置いているのは間違いない。説得の勝算は十分に有るだろう。母へは父から言ってもらえば納まるはずだ。
数日後、タニアかメリッサの付き添いが有ることを条件に許可が出た。
まぁ、そりゃ女性限定になるわな。親としては当然の配慮か。
自警団長を連れ回すわけにもいかないから、実際はメリッサ一択になりそうだけど。
専属ってわけにはいかないし、都合が付いた時だけでもお願いしてみよう。
とりあえず出れるようになっただけでも充分だ。
-リベスタン城塞 衛門-
「まずは麓の村へ行ってみましょうか」
自警団に連絡を付けると予想通りメリッサが来てくれた。本人曰く城からその都度手当がもらえるのでいつでもかまわないとのこと。小遣い稼ぎみたいなものらしい。
俺は一人で馬に乗れないのでメリッサの前に乗せてもらっている。今使っている鞍は城から貸し出された特注品なんだそうな。そりゃ二人乗り用の鞍なんて無いものな。ご丁寧に握る部分が作られていて、それで身体を固定する仕組みだ。足置きみたいなのも有る。
「あの大きな犬はマリーナの?」
城からは連れてきている。残して置く理由が無いし、何か起こった時の準備は必要だ。
馬が驚いても良くないので後方に少し離れて追従している。
「そうですけど、邪魔ですか?」
「いや、かまわないよ。大人しいね。何て名前なの?」
名前か・・・自分の分身みたいなものだから気にしたこと無かったな。
咄嗟に思いつかないや。
「アル」
飼っていた猫の名前だ。あれからどうなったのかなぁ。
「そうなんだ。アル、よろしくね」
犬に向かって軽く手を振ると前に向き直る。
「この道沿いにしばらく下ったところに在るのがロコナ村ね」
村の名は初めて聞いたな。在るのは知っているけど。訪れるのは二度目だ。
「今通っているのがオルナの森。奥に入ると危ないから行かないでね」
はい、分かってます。野生動物の宝庫です。奥地には大型動物も生息している。
以前、犬型で探索したらグリズリーみたいなデカい熊がいた。この森ヤバイわ。
「そろそろ見えるかな」
さっき川を渡ったのでもうすぐだろう。
「村の何が見たいの?」
「いろいろです」
まぁ、実態調査みたいなものだ。
「ふ~ん、誰かに付いてきてもらおうか?」
「都度聞いて回るので大丈夫でしょう」
まぁ、勝手に来ているのだから迷惑は掛けれない。
幾人かの住民に若干でも聞き取りが出来れば良いだろう。
-サマリード領 ロコナ村 メリッサ-
ロコナ村に到着後、村長宅に伺い事情を説明すると、興味無さげに『何か有れば呼んでくれ』と言い残し、トーラスはどこかへ行ってしまった。
彼はここの領主を良く思っていないのでこの反応も仕方ないか。馬を繋いで、私はマリーナの後に付いて回る。
弓の稽古を見るようになってからそれなりに経つ。
この子はだいぶ変わっている。そこらの子供が興味を持つことに全く関心が無い。それに領主の娘なのに驕ったところが無い。いつも私に丁寧な喋り方をする。確かに弓術の師弟関係ではあるけども。それだけでなく、城内の誰にも同じく丁寧な口調で話す。良く出来た子だ。マイネル司教の影響?それだけでこうはならない。
井戸を調べたり倉庫の周りを見たり。置きっぱなしの農具を手に取って調べている。今度は裏手の船着き場へ向かっている。脇の水場にも興味が有るようだ。何が気になるのか熱心に観察している。
広場に戻ると近くに居る者に声を掛け、家の外壁や屋根、部屋の中を観察している。見終わったら幾つか質問をする。『昨日何を食べたか』『今日の夕食は何か』『身体の具合はどうか』そんなこと聞いてどうするの?
一通り見て回ると畑に向かった。収穫が済んでいるので何も無い。何も無い畑をじっくりと見て回る。時々掘り起こして観察している。
村へ戻ると共用の資材置き場で立ち止まった。斧や鋤を手に取って調べている。何が彼女の興味を引くところなのだろう?本当に不思議な子だ。
「だいだい見終わりました。他の村もこんな感じですか?」
「南に下ったところに小さな開拓村が在ったかな。そっちも見に行きたい?」
マリーナは腕を組み頬に手を当て、何やら少し考え込んでいる。
「いえ、結構です。充分見たので城へ戻りましょう」
「分かった。馬連れて来るから待ってて」
ずっと付いて回ったが、彼女の目的も狙いも私には見当もつかない。
城へと戻る間も彼女はずっと考え込んでいる様子だった。
私もただ黙々と山道を進む。城に到着して馬から降ろすと彼女は深々と頭を下げた。
「退屈なのに付き合わせて御免なさい。今日はありがとう。助かりました」
いけない、そう見えていたのね。子供に気を使われるとは間抜け過ぎる、最低だ。
「マリーナ、気にしないで。またいつでも呼んでちょうだい」
こんなんじゃ師匠失格だわ。今日はタニア呼んで朝まで反省会だなぁ。
-リベスタン城塞 マリーナの部屋-
メリッサに付き添ってもらい、麓に在るロコナ村をいろいろと調べて回った。村の生活環境、ひいては文化水準の確認が目的だ。やはり直接見聞きしないと正確なところが分からない。推測で判断出来るほどの知識量も経験値も俺には無い。思い込みは失敗の元だ。
同行中、彼女はずっと渋い表情だった。よほど退屈だったのだろう。悪いことをしてしまったな。しかし俺が単独で出歩けない以上、諦めてもらうしかない。
村との関係性は良くも悪くもない。同伴者は付かなかったが要求や質問には抵抗なく応じてもらえていた。統治状態によって警戒されるか歓迎されるか分かれる。どちらでもないということは現状可もなく不可もなくという評価がされているわけだ。いや、領主の娘が来ての対応がアレでは不可寄りの可かな。良く思われてはいまい。
村人の健康状態に問題は無い。肥満の者は居なかったが変に痩せた者も見なかった。食糧事情は悪くなさそうだ。病人もとりあえず居ない。少し会話して歯や指先を観察したが欠損している者は見付からなかった。衛生状態はそれほど悪く無い。衣服はそれぞれが複数所持しているようで、家屋の横でいくつか干されていた。
家屋の状態はこの辺りが寒いせいか案外しっかりしたものだ。ほぼ全ての家で毛皮を敷いている。森が近いので手に入れ易いのだろう。寝具にも毛皮が使われていた。皮工技術が普及しているらしい。基本的に建物は木造で基礎部分に石が使われている。木工と石工の技術を持った者が村人に居るようだ。
村の中に炭焼き小屋が無かったので離れた場所に在るはずだ。どこかに木材の切り出し場所が在って、そこに建っているのかもな。石材の切り出し場所もそう離れていないだろう。村へは川から船で運んでいると思われる。
寒冷地帯だけに害虫の類を見ない。森との間に川を挟んでいるせいか鼠などの小動物の害が少ないようだ。倉庫の状態は悪くない。備蓄量もそれなりに確保してあった。
飲料水は井戸から充分供給されている。洗い物などは川で済ませるのだろう。
生ゴミなどを集めて乾燥させる場所がある。焼いた後に畑に撒くらしい。
おそらく村には鍛冶師が居ない。どの農具も鉄製部分が摩耗し、かなり使い込まれているが修復の跡が無い。機織り、縫製用の機材が見当たらなかった。ガラス類も製作施設を見なかった。この辺は他の村か行商人からの購入か。
見て気付いたのは概ねこの程度だな。まぁ剣と魔法の世界ではなかったようだ。魔法やら魔物が存在するとは思っていなかったが。一先ず領内に基礎的技術が在ることに安心した。辺境とはいえ、最低限必要なところは伝わるものらしい。
この時代の主な技術や知見は教会が独占している。各地から集まる情報は教会を通じて王都に集約され、教会を通じて普及される。当然、管理して意図的に普及させていないものも多数有るだろう。
そうやって教会の権勢を維持している側面が有る。商業的な優位性も保てる。地方領主の台頭を防ぐ意味でも有効な手段なので、タジク王家の意向もあるのは間違いない。大抵の技術は軍事に応用可能だからな。
技術供与を教会に依頼するには莫大なお布施を要求される。技術水準が上がる代わりに経済力に負担を強いる。上手く調節されているわけだが、力関係を維持する方策として良く考えられている。反乱の未然防止、中央への求心力の維持、そのための仕組みとして機能している。
どの世界でも軍事力と経済力と技術力、この3つが優れていなければルールを作る側にはなれない。逆に前出のどれか1つでも劣るとルールを守る(押し付けられる)側に回るしかなくなる。
その点、王家の宰相は非常に優秀な統治能力を持っていると言える。常に有利な立場に在るようにバランスを取っているのだろう。当然、情報の有用さも理解して上手く利用しているはずだ。各地に居る教会勢力は彼らの間諜を兼ねていると思われる。
リベスタン城塞の有る山岳地帯は鉱物資源が豊富だ。分かっているだけでも鉄鉱石が露天掘り出来る程度には有る。人口も少なく、寒冷地帯なので比較的貧しい印象だが、森林資源も多く技術さえ有れば充分な発展が見込める。辺境域の開発を目的に造られた砦ということで、開発が順調に行けば戦略的重要拠点になる。成り行き次第では力を持ち過ぎる懸念も在る、微妙な位置付けだ。
仮に鎮圧する場合、北端の僻地に位置するため中央から兵を派遣するのは多大な出費を要する上に時間もかかり過ぎる。離反された時の被害が大きいので意図的に急に発展するのを阻害しているのかも知れない。いや、これは考えすぎか。
そもそも期待値が高ければもっと有能な者が赴任しているはずだ。よくよく考えると技術を帯同せずに来ていることがおかしい。
そう考えると寒冷地の山奥など『誰も来たくなかった』のでは?という推論も出来る。辺境開発には誰か行かなければならないが『自分は嫌だ』という話の中で名前が挙がったのがサマリード家の先代。序列も低い身の上なので体よく押し付けられたと。この方がいろいろとしっくりくるな。
であれば技術も無く、まともに開発が進んでいないのも頷ける。少なくともこの領地に製鉄技術は無いからな。採掘技術も有るのか怪しいところだ。俺が最初に居たあそこが鉱山だとすれば、採掘も全然進んでいないという事になる。
なかなか前途多難な感じだが、可能性だけは充分といったところか。




