0話 プロローグ
-現代:JR東京駅構内-
久しぶりに東京に戻って来れた。思いの他長くなってしまったな。
今は東海道新幹線からの乗り換えで、混雑した東京駅の中を中央線下り方面に向かって移動している。行き交う人が多いが若い頃からの電車通学でこういうのは慣れている。やはり田舎の人影疎らな駅とは全然違う。地方への転勤が嫌だった訳ではないが、長年住み慣れて土地勘の有る場所というのは心証が全く違うものだ。
まだ若い頃であれば知らない土地への転勤生活も楽しめたのだろうが、三十半ばも過ぎた年齢では新しい土地での冒険など億劫でやる気にならない。結局、家と会社を往復するだけで終わった。
俺が所帯持ちなら全く別の感想になったかも知れないが、生憎と縁には恵まれずに気楽な独身生活を続けている。
社会人になり、仕事では人並み以上に成果を挙げてきたが、忙しく過ごすうちに人生は後半戦に突入していた。それなりに充実していたし、後悔することもない。良い事だけの事象は無く、悪い点だけの物事も無い。その程度の分別は付けられる様になった。歳相応ということか。世間並みに我慢も苦労もしてきたからな。
さて、食べていくには金に困らないし、久しぶりに都会に来れたから新しく何か趣味でも始めるかね。まぁ、まずは新しい職場に顔を出さないと。挨拶は大事だ。約束の時間にはまだ余裕は有るな。
【ドッガーーーーーーーーーーーーーーーーーン】
突然、身体全体に強い衝撃を受け、浮遊感と共に視界が横移動して右半身に硬い物を叩き付けられた。
衝撃は酷かったが不思議と痛み方が鈍い。いや、勢いが強過ぎて痛覚が麻痺しているのか。
耳鳴りの様な音がしている。周囲の騒めきは感じ取れるが音は遠くて良く聞こえない。
左の頬に硬くて冷たい感触が有る。ようやく目の焦点が合ってきた。眼鏡は外れてしまっているらしく、はっきりとは見えない。目を凝らして少しでも事態を認識するべく考える。
目の前のこれは・・・黄色と灰色・・・歩道に良くあるアレか?俺は自身が倒れていると理解した。
首が上手く回せない。周囲の状況を確認しなければ。何が起きた?爆発?
壁が焼け焦げた様な黒色に染まっている。少し煙っぽい。
段々と音が聴こえ難くなってきた。視界が狭まって徐々に暗くなっていく。
何だ?どうなっている?体を動かそうにも指先はおろか手足の感覚も無い。
寒気がだいぶ酷くなってきた。頬の触感も既に無いので浮いているような感じだ。
前後左右どころか上下の感覚も無い。これはヤバイな。以前、車に撥ねられた時と良く似た感じだ。あの時は運良く助かったけど、流石に今回は無理そうだ。
長生きする気も無かったが、今日が俺の人生最後の日だとは思ってもいなかったなぁ。
結局、やりたい事は何にも出来ていなかったな。
学生の時は勉強に追われ、社会人になったら仕事に追われ・・・。
忙しくて慌ただしいことの繰り返し。やっと余裕が出て来たらこういうオチとはね。
まぁ、どうにもならんか。もし次の人生ってのが有るなら、今度はゆっくりのんびりと生きてみたいなぁ。いや、人間じゃ無理か。猫とか自由そうでいいかもな。日向ぼっこして一日中寝て過ごしたい。周りに気を使って疲れるのは勘弁だな。
今から死ぬという現実を認めたくない。認めることが怖い。目を逸らしていたい一心で下らないことを妄想しつつ、俺の意識は途絶えた。