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作戦五、避けてみる(2)

「出かけるの?」


 朝早くに家を出る直前でニルスに捕まって、私は踏鞴を踏んだ。

 顔を合わせずに出る予定がうまく行きそうだったところに突然話しかけられたので、心臓がばくばくと脈打った。


「はい。友達と約束があって」


 寝起きのちょっとボサボサとした頭のまま、ニルスはへらりと笑った。


「いってらっしゃい。楽しんでおいで」

「……いってきます」


 友達と会うことは嘘ではないのに、居心地が悪い。

 この日は一日中外出して、家に帰ったのは夜遅くだった。







「風邪? ううん、熱はなさそうだけど」


 朝起きたら頭がズキズキと痛くて、頭をさすった。


 どうしよう、と考えたものの。

 そもそも風邪で休んでる人とか見たことない。みんな風邪なんて引かないのか、風邪をひいてても働いているのかもしれない。


 休むほどでもないしと、いつも通り出勤した。





 終業後に薬品庫の整理をする頃には、昼はあまり変わらなかった頭痛が段々とひどくなっていった。

 半ば意地になっていつもの時間まで働いてみたものの、途中で帰れば良かったと後悔した。


「悪化してる。さすがに残業するべきじゃなかったな……」


 外をトボトボと歩きながら、呟いた。


 家に帰りたくないな……。

 いつもよりその気持ちが強くて、体調不良で気弱になっているのかもしれない。


 ちょうど目に入った公園のベンチに座り込んで、そのまま動けなくなった。

 本当、何してるんだろう。こんなところで座り込んでも、何も解決しないのはわかってるんだけど。

 なんだか眠いし、動くのも億劫で。


 うとうとしていたら、辺りから人気もなくなっていた。

 もしかしたら少し眠ってしまったのかもしれない。


 慌てて立ち上がって、家へ歩き出す。

 真っ暗で、誰もいない道。

 いつもなら、暗くても隣にニルスがいるんだけど……。治安が良いから大丈夫って言ったのは私なのに、心細いだなんて都合が良すぎじゃないの?


 頭の中で毒づきながら家に辿り着くと、明かりが漏れていて、少しだけ気が休まった。

 そういえば、随分遅くなってしまったから、心配をかけてしまったかもしれないと思い至る。


「ただいま」


 恐る恐るリビングへ顔を出したけど、誰もいなかった。

 他の部屋からやってくる気配もない。

 こんなことは始めてで、おかしいな、と思いながらうろうろと家の中を歩き回る。


「いない、のかな」


 誰もいない部屋で、ポツリと言葉をこぼす。

 動き回ることにも疲れて、いつものソファに身体を預けて、はぁ、と息を吐いた。


 勝手に食べるのも気が引けるけど、珍しく今日は何も用意されてない。もしかしたら外で食べる予定だったのを、私が帰ってこないから買い物に出かけてしまったのかも。


 自分で何か用意しても良いんだけど、動くのがだるい。

 帰ってきたら謝らないと。そう思いながらソファに身を沈めて、少しだけ休もうと目を瞑った。





 コーヒーを飲んでる夢を見た。


 薄目を開けるといつもと違う景色が視界に飛び込んできたので、昨日のことを思い出した。どうやら、ソファでそのまま寝入ってしまったらしい。身体には毛布がかけられていて、これのおかげでぐっすり眠れたのだとわかった。


 夢の中で嗅いでいたコーヒーの香りが漂ってきて、もう朝かと身体を起こす。

 ニルスはちょうどコーヒーカップを手に持ってやってきたところだった。


「おはよう」

「……私、ここで寝てました?」

「うん。部屋に勝手に入るとは悪いと思ったから、毛布だけ掛けておいたけど」

「ありがとうございます」


 ローテーブルにカップを置いた後、ニルスの手が伸びてきて、何だろうと身構えた。そのまま私の顎の下あたりに触れてきて、心臓が跳ねる。


「……もう熱はないね。体調はどう?」

「多分、平気です」


 昨日からガンガンと続いていた頭痛は、すでに治っていた。

 私が答えると、ニルスは安心したように小さく笑みを浮かべた。


「スープ持ってくるから、ちょっと待ってて」


 返事を待たずに出て行って、遠くから棚を開ける音や、食器がぶつかる音が小さく聞こえてくる。

 さほど待たずに戻ってきたニルスは暖かそうなスープを持っていて、私に差し出した。


「ありがとうございます」


 正直に言えば、お腹はペコペコだった。昨日の夜から何にも食べてないから。素直に受け取って食べ始めると、温かくてホッとする。私の体調を鑑みて、用意してくれていたのかもしれない。


 ニルスは布団が掛かったままのソファに腰を下ろして、私の隣でコーヒーを飲んでいた。

 帰ってきたら謝らないと、と思っていたことを思い出して、スープから顔を上げた。


「昨日の夜は連絡もせず遅くなってしまって、ごめんなさい」

「いつもの時間を過ぎても全然帰ってこないから迎えに行ったんだけど、見つからなくて探し回ってた」


 帰ってきたらいなかったのは、探してくれていたからか、とハッとした。


「昨日は遅くまでどこにいた?」

「ええと……途中で休もうと思って公園でベンチに座ったら、いつの間にか時間が経ってて。慌てて帰ってきたんです」

「そっか、公園。もう少し周りを見ていれば、見つけられたかもしれないな……無事で良かった」


 ニルスの目からは安堵の色が見て取れて、申し訳なくなる。


「心配をかけてごめんなさい」

「すごく心配した。でもちゃんと帰ってきてくれたし、いいよ」


 そう言って私の髪を掬うように触った。

 なんとなく、どこか縋るような視線に感じて身が竦む。


 ……私が昨日帰ってこなかったら、どうなったんだろう。


 今日はただの風邪で、自力で帰ってくることができた。

 ヒロインのための前座として、本当に私が死ぬのかどうかはわからない。

 ニルスは誰か大切な人を亡くしたような過去を持っているような雰囲気ではないから、私か、あるいは次の恋人なのかもしれないけど。




 もしかしたら、私は今日、明日にでも死ぬかもしれない。

 どうやって彼の大切な人が亡くなったのか、思い出せない。




 私が考え込んでいると、ニルスはじっと目を覗き込んできた。


「何をそんなに怖がってるの?」


 ニルスからふいに問いかけられた言葉は『どうして避けるの』という言葉でもないことに驚いて、匙に掬ったスープを器の中に落としてしまった。

 怖くないわけがない、このままでは死んでしまうかもしれないのに。


「何か言いたいことがあるんでしょ?」

「……」


 きっと、今言うべきなんだろうとわかってる。わかってるけど、うまく言葉が出てこない。 

 ニルスは何も言わずずっと待っていて、きっと私が話さなければ、この時間は終わらないんだろう。


「……別れてもらえますか?」

「どうして?」

「好きでは、なくなったので……それで、気まずくなってしまって」


 ようやくそう言うと、少し怒ったように首を振った。


「その言葉が嘘だってことくらいわかってる。今まで通りそばにいてくれれば、不安を感じないように俺だって頑張れるのに。そうやって避けられてたら、具合が悪いのも気づいてあげられない」


 なんでわかってしまうんだろう。その理由が全然わからなくて、ただ困って俯いた。

 小さな声で、ごめんなさい、と言うことしかできない。


「ほら、また不安そうな顔をしてる。……もう言えないなら言えないでいいから、逃げ出さないで、俺のそばにいて」


 ああ、やっぱり逃がしてくれない。全部わかっていて絡め取ってくる。

作戦五、避けてみる。失敗。

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