世界には愛しかない
「大丈夫?怖かったでしょ。」
アカネは、百合亜の身体をさすりながら、「大丈夫、大丈夫」と言い続けた。
「クリス…なんでぇ」
ナナミがボソッと突っ込む。
「今、今このタイミングで。」
アカネも呆れてため息をついた。
「まぁ、冗談は〜置いといて〜」
「お前が言うんかい!」
2人のやり取りに、さっきまで震えていた百合亜が笑い出した。
「やっと笑った〜。めっちゃ、かわいい〜。」
「で、名前なんて言うの?アタシはアカネ。でこいつがナナミ。」
「こいつちゃうわ。いてこますぞ。」
「ナナミ、怖い、怖い。顔が般若みたいになってる」
「誰が金田や!」
ナナミのドヤ顔で締めた。
「わたしは、早坂百合亜です。」
百合亜に笑顔が戻っていた。「で、j JKがなんでこんな時間にいるの?」
アカネが百合亜の顔を覗き込む。
「…」
百合亜はうつむいて黙り込む。
「無理矢理聞いたらあかんでぇ。生きてたら色々あるわ。」
困っている百合亜を見て、ナナミが割って入る。
「あんな、自分アホやから難しい事はようわからん。せやけど、1つだけ教えられることがある。笑顔や。笑い、百合亜ちゃん。笑ろうとったら、絶対にいい事ある。絶対や。」
ナナミは笑顔を見せながら、優しく百合亜を抱きしめた。
「ナナミって、たまにいい事言うよね。」
「たまには余計。」
3人は顔を見合わせて笑い出した。
「…早坂!」
肩で息をしながら優が近づいて来た。
「!日笠君?なんで?」
百合亜は驚きのあまり、声にならない様な声をもらした。
「…なんでじゃねーよ!このバカ!しんぱ…なんでもねーよ!あーもームカつく!」
優は、はぁはぁと息をしながら、その場にへたり込んだ。
髪は雨にでも打たれたかの様に濡れていた。
「ごめ…」
今にも泣き出しそうな百合亜が、声を震わせながら謝ろうとした時、ナナミが百合亜の方を押さえる。
「遅い。あんたが遅いせいで、百合亜がヤバイ事になってたんだよ!」
「せやで〜。今頃AVに出とったで〜。うちらがおらんかったら、どないなっとったか。」
アカネとナナミが、ニヤニヤと笑いながら、へたり込んだ優を見下ろしていた。
2人の言葉に目を丸くする百合亜と優。
「な…」
百合亜が割って入ろうとすると、ナナミが百合亜にそっと耳打ちした。(「大丈夫や。まかしとき。」)
「タピオカが飲みたい。」
唐突にアカネが言い出す。
「せやな。うちも喉がカラカラや。タピオカが飲みたい。」
ナナミも芝居がかった様子で、優にアピールする。
「はぁ…はぁ?俺、ですか?」
優は突然の事に理解できていない。
「な、た、タピオカなら私が!」
百合亜は慌てて制服のポケットを探す。無い、無い、と焦って探す百合亜を見て、優が思わず笑った。
「実は俺も喉がカラカラで。タピオカ飲みますか。」
笑いながら、立ち上がる。
「おお〜。顔だけじゃ無くイケメンや。」
ナナミはニヤリと笑う。アカネもうん、うんと頷く。
「いつまでやってるんだ。行くぞ。」
まだ探してる百合亜に、優が笑いかける。
「ほら、行くよ。」
アカネに手を引かれあたふたと連れて行かれた。アカネとナナミはタピオカを手にすると、あっさりと去っていった。
百合亜は、気不味いのか、優の少し後ろを歩いていた。優は何事もなかったような素振りで話しかけてくる。百合亜はどうしていいのかわからないまま、うん、うんと頷いていた。
「このまま早坂の家まで送るよ。近くだったよな。」
優は前を向いたまま百合亜に声をかけた。
「え!いいよ!ホント、大丈夫だから!」
百合亜は慌てて手をバタバタさせる。
「大丈夫なわけ…」
優が言いかけた時、突然雨が降ってきた。大粒の雨が2人を濡らす。駆け出す2人。閉まっている店先で雨宿りする。バタバタと音を立てて雨が降る。少し生温い、夏が近づいてきているのを感じる。
「ほら。」
優が百合亜にブレザーを差し出した。
「え…」
百合亜はシャツが濡れて下着が透けている事に初めて気付いた。慌てて胸の辺りを隠す。
「だから着ろよ。」
優は百合亜の方を見ない様に、ブレザーをバタバタさせた。百合亜は優の視線がきてない事を確認しながらブレザーを受け取り、肩にかけた。(大っきい)優のブレザーは百合亜を大きく包み込んだ。
2人は少し沈黙したまま、雨音だけが聞こえていた。
「…なんで。…日笠君。」
雨音でかき消されそうな声で百合亜が言った。
「なんでって…あんな状況で放っておけるか。……いや、悪りぃ。俺の為なんだ。あの状況で他の奴みたいに見て見ぬ振りしてたら俺じゃなくなると思ったんだ。…誰かの価値観を押し付けられるのが嫌なんだ。」
優はどこか自分に言い聞かせる様に言った。
「…午後の授業、サボっちゃったね。」
イタズラっぽく百合亜が言った。
「あ…やべぇ…」
優は今更授業を抜け出した事に気がついた。
「おい、全国模試5位。」
百合亜が突っ込んだ。
2人は小降りになるのを待って、百合亜の家に急いだ。ブレザーを借りてる手前、百合亜は渋々家についてくる事を許した。玄関まで着くと、百合亜はありがとうと言って、ブレザーを返した。優が何かを言いかけた瞬間、玄関のドアが開いた。
「アンタ達!中に入りなさい!」
百合亜の母、洋子は血の気の引いた唇を震わせながら2人を中に引き入れた。
パシッ…乾いた音が鳴った。洋子は驚いた表情で百合亜を叩いた手を眺めていた。百合亜は赤くなった頬を押さえることなく、嗚咽した。
優は2人のやり取りを、静かに見ていた。少し大袈裟だなとも思っていた。
「お母さん…ごめんなさい。」
百合亜は子供の様に泣きじゃくった。洋子は百合亜を抱きしめ、「携帯くらい持ちなさい」と呟いた。
「ずぶ濡れじゃない…あなたも。日笠君よね。学校から連絡がありました。あなたも、何やってるの?学校の授業サボって!親御さんに顔向け出来ないわ。」
洋子は優を見て怒り出した。
「え…す、すいません。」
洋子の勢いに、優は思わず謝った。
「でも…百合亜を連れてきてくれてありがとう。」
洋子は優をハグした。優はあまりに唐突で、固まっていた。
「アンタ達、びしょ濡れね。シャワー浴びて、すぐに着替えなさい。」
あ、日笠君が先ね。と言いながら、優は洋子に連れられて行った。いいです、いいですと言う優を引きずりながら、洋子は浴室に連れていった。
優は居心地の悪い状況で、リビングでもじもじしていた。
「制服乾かしてあるから。もう少し待ってて。夕飯食べて行きなさい。」
洋子はキッチンで、忙しそうにしながら、矢継ぎ早に話しかけてくる。
「いや、もうホントに帰りますから。」
優は、何度同じ事を言っているか忘れるくらい、繰り返していた。
洋子は何言ってるのと言わんばかりに、いいから、いいからと言って料理を続けていた。
「ごめんね。もう、何言っても聞かないから。」
百合亜が部屋着でリビングにやってきた。
「お母さんはホント強引で。もう、恥ずかしい。」
百合亜はリモコンでテレビをつけ、くつろいでいた。
優は百合亜の部屋着にドキドキしていた。学校では見せない表情や、仕草も相まって、知らない女の子を見ている様だった。
「ちょっと、ご飯前にお菓子食べないでよ。」
キッチンから洋子の声が聞こえる。百合亜が伸ばし始めた手を引っ込めた。
「ご飯出来たわよ。」
キッチンから洋子の勢いにが聞こえる。
「はーい。」
日笠君も来て。百合亜は優に声をかけて、手招きをした。ここ、座って。と、隣りの椅子を引いた。
テーブルには、多分いつもより気合の入った料理が並んでいた。百合亜の表情を見れば、一目瞭然だった。
「いただきます。」
優は、もう諦めたように、食事を始める。
「どう、美味しい?」
洋子は感想を聞きたそうに、優の顔を覗き込んだ。
「美味しいです。ホントにすごい。」
優は素直に驚いていた。
「でしょ。お母さん、料理だけはすごいんだから。」
百合亜が自慢そうに優を見る。
「だけは余計。ていうか、百合亜。何で部屋着なんか来てるの。日笠君がいるのに。恥ずかしい。」
洋子は百合亜をからかう様に、恥ずかしい、恥ずかしいと言った。
「え、あ…ちょっと着替えてくる。」
百合亜がバタバタと、階段を上がって行った。
「お邪魔しました。」
優が帰ろうとすると、洋子は寂しそうな顔をしていた。
「男の子も欲しかったわ。また来てね。」
洋子は手を振る。
「もう、やめてよ。」
百合亜は頬を膨らませて、怒る。
じゃあ。と、優が玄関のドアをしめた。
「いい子ね。」
洋子が呟く。
「……お母さん…私…死にたくないよ…」
震える声で百合亜は洋子に顔を埋めた。
「…馬鹿ね…当たり前じゃない…」
洋子は百合亜をきつく抱きしめた。
優は家の玄関を開けるのを躊躇していた。
学校を抜け出した事が伝わっているだろう。優の父親は医者だった。当然のように、優にも小さな頃から医者になる様に育てられていた。逆らうことは許されなかった。学校を抜け出す事も、音楽プロデューサーになる夢も。
「ただいま。」
優は覚悟を決めて玄関のドアを開けた。
「おかえりなさい。遅かったわね。」
母は優の声がする玄関まで出てきた。
「うん、ちょっと友達の所に。」
歯切れの悪い返事に、まぁいいけど。と言いながらリビングに戻って行く。
優がリビングを覗くと、新聞を読む父と、テレビを見る妹がいた。
「ただいま。」
優はいつも通りの光景に、逆に違和感を感じていた。
「遅かったな。」
父は新聞から目を離す事なく言った。
「ちょっと、友達の所に。」
優が言うと、ああそうか。と、新聞を読み続けた。
「ご飯は?」
母が聞く。
「食べたからいい。」
それだけ言い残して、優は階段を上がって部屋へと向かった。
自分の家だと言うのに、いつもながら居心地が悪かった。部屋に入ると、優は深くため息をついた。
コン、コン。ドアをノックする音がした。
優が返事をする前にドアが開いた。
妹のひなただった。
「お前、良いって言ってから入れよ。」
やっと1人になって落ち着いた所を、邪魔された気がした。
「いいの。そんな事言って。お兄ちゃん、学校サボったでしょう。」
ひなたはイタズラっぽく笑った。
「…お前か。道理で。」
優には何で学校をサボった事が親に伝わっていないのか、容易に想像できた。ひなたが母を名乗り電話に出たのだ。
「礼はいらないよ。貸しね。お兄ちゃん。」
ニヤニヤしながら、ひなたはドアを締め自分の部屋に帰っていった。