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映画館

 きっともう会うことはない、そんな私の予想は意外と早く外れたのだった。


「今週末の土曜日、空いてる?」


 春休みも間近になった3月。またも健からそんな言葉が出た。


「空いてますけど‥‥‥」

「よかった。一緒に映画見に行かない? チケットがちょうど4枚手に入ったんだよね」

「えっ、また当たったんですか」


 驚いて聞き返したが、健はまさかと首を振った。


「違う違う。友達に貰ったんだ。なんか監督のファンらしくてね、布教に配ってるんだって。なんか恋愛映画みたいなんだけど‥‥‥知ってる?」


 差し出されたチケットはまったく聞いたことのないタイトルだったので、首を振る。


「メンバーはこないだと一緒だし。よかったらどう?」

「行きます」

「お、やった即答」


 どうして私なんですか。と喉元まで出かかっていたが、飲み込む。それは自意識過剰な質問な気がした。




 そして約束の3月31日、またも私は1番に待ち合わせ場所に着いていた。


「早く着きすぎた‥‥‥」


 早々に支度を終えてしまい、ここでソワソワと時間を潰すよりも現地で待とうと思い立って早めに家を出たのだ。それでも、できるだけのんびりと歩いたつもりなのだが‥‥‥。時計を見ると待ち合わせ時間までまだ30分近くある。仕方がないので、手近なベンチに座って待つことにする。




「こんにちは。早いね」


 待つことわずか5分、声をかけながら私が座っていたベンチの隣に腰をおろしてきたのは樹さんだった。


「こんにちは。お久しぶりです‥‥‥樹さんも早いですね」

「もう遅いとは言わせない。アイツに奢らせてやる」

「あはは‥‥‥」


 遊園地での会話を意外と根に持っていたらしい。そのまま会話が止まった。でも嫌な沈黙ではない。樹さんは携帯を弄って、私はぼんやりと通りを眺める。一緒にいながら、何もしない。こういう空気でいられる相手は貴重だ。2人ではなく、1人と1人。こういう状況を何というのだったか‥‥‥最近どこかで見た気がする。そう、たしか、2人ぼっち、だ。思い出せたことにすっきりして少し口角が上がる。

 そうして取り留めのないことを考えながら待つこと20分。ようやく健と菜津さんも現れた。


「おはよう。2人とも早いね」


 言いながら繋いでいた手をするりと解く。今までデートしていたのだろうか。またもや、胸がモヤっとしたが、無視して挨拶を返す。


「おはようございます」

「遅いぞ、ケン。何か奢れ」

「遅くないよ。まだ5分前だ」

「俺はもう20分待ってるし、山江さんはその前から来てたから遅い」


 途端に健が焦った顔をする。


「えっ、ごめんね。僕伝える時間‥‥‥」

「いえ! すみません私が早く来すぎただけです!」


 健が申し訳なさそうにし始めたので、慌てて謝る。こういうことがあるから早く着くのは嫌なのだ。日当たりが良かったからベンチに座っていたが、こんなことなら10分前くらいまでどこかに隠れているんだったと悔やむ。


「それで、お詫びにポップコーン奢ってくれるんだよな」

「ええー‥‥‥まぁ、いいけど」


 いいんだ。


「よっしゃ」

「私が出す」

「えっ」

「えっ」

「えっ」


 3人の声がハモった。言ったのは今まで空気と化していた菜津さんだ。


「なんでナツが」

「私だって遅かったし‥‥‥」

「いいよ、これくらい僕が出すし」

「健は奢りすぎ」

「僕も同じだけ奢ってもらってるから」


 健が苦笑するが、菜津さんも引かない。


「健には借りがあるし。これくらいさせて」


‥‥‥借りってなんだろう。


「借り? そんなのあったっけ」


 どうやら健にも心当たりがないらしい。


「それは‥‥‥その、色々と‥‥‥」


 言いながら顔を赤らめる。かわいい。


「これじゃ俺が悪者みたいじゃん‥‥‥」


 隣でぼそりと樹さんが呟くが、その呟きは私にしか聞こえなかったようだ。健は菜津さんを見ながら本気で不思議そうな顔をしている。

 健には無意識で細かい気配りをするという特技があるから自覚なく借りを量産させていても不思議ではないな、なんて呑気に考えていると私に矛先が向いてきた。


「山江さんは誰に奢って欲しい?」

「うえっ!? 私ですか!?」


 樹さんは急に何を言い出すのか。


「えー、ええーっと‥‥‥」

「文香ちゃんを困らせるなよ」

「いいです! 自分で払います!」

「じゃあ、俺も諦めるかー。行こうぜ、そろそろ入場始まってるだろ」

「ああー、ならちょっと待って。券渡すから」


 どうやらこれが狙いだったらしい。


「ありがとうございます!」


 健に差し出されたチケットをお礼を言って受け取る。そのまま誰が奢るか論争はうやむやになって終わった。というか、誰も軽食を買わなかった。あのくだりはなんだったのか。


 映画はというと、よくある純愛ラブストーリーだった。身分違いの男女が恋をして、最終的に駆け落ちして終わった。ただ当て馬役の女性が同性愛者だったのには驚いた。自分が主人公を誘惑し、彼女と別れさせたところで、自分がその彼女をいただこうとしていたのだ。徹底的に隙のない計画を立てるその様が結構好きなキャラクターだ。まぁ、すべては所謂愛の力の前では無力だったわけだが。


「どれにするか決まった?」


 映画を見終わった私たちは同じ建物に入っているカフェに来ていた。4人がけの席、みんなの視線は中央に置いたメニューに注がれている。私の向かいには樹さん、隣には菜津さんの配置だ。


「俺コーヒー」

「僕もコーヒー、とシフォンケーキも頼もうかな。ナツは?」

「カフェラテとベリータルテ」

「私もカフェラテにします」


 ということで、各々注文を済ませると健が席を立った。


「お手洗い行ってくるね」

「あ、私も」


 続いて菜津さんも立ち上がる。かくして、席には私と樹さんが残された。


「さっき、ごめん。ありがとう」

「え、なんのことですか?」

「映画館入る前、話振っちゃって。助かったよ。あの2人、ああなると長いんだ」


 そこまで言われて、ああと思い至った。誰が奢るかで揉めたことだ。


「いえ、いつもあんな感じなんですか?」

「うん。ケンはあの通りすごい優しいし、明戸さんも明戸さんでそのことに引け目があるみたいで。よく疲れないもんだ。俺なら絶対無理」

「ああ‥‥‥」


 確かになんとなく察しがつく。私でさえ恐縮しきりなのだ。彼女ともなれば推して知るべしである。その割に遊園地では自分から奢ってくれるんだよね、なんて言っているあたり割り切ってる感はあるが。なんてことを考えていたら不意に樹さんが話しかけてきた。


「‥‥‥山江さんて‥‥‥」

「はい?」

「いや、なんでもない」

「え、なんですか」

「忘れて」


 そんなことを言われては余計に気になるのだが、忘れてと言われると深く突っ込みにくい。


「なんの話?」


 健が戻ってきた。


「んー、優しい彼氏がいて明戸さんは羨ましいなーって話」

「え、そう? やった」

「謙遜とかないんだ‥‥‥」

「え、して欲しかった?」

「いや、されたらムカつくわ」

「でも、優しい彼女がいる僕のことも羨ましいんじゃない?」

「惚気かよ」

「事実だよ」

「なんの話してるとこ?」


 菜津さんも戻ってきた。健と同じことを聞くんだなぁと考えつつも、悪戯心が働いてふざけて答える。


「優しい彼女さんがいて健さんはいいなーって話です」

「えっ」


 菜津さんが固まった。


「えっ」


 何かまずいことを言っただろうか。つられて私まで固まっていると、健が呑気な声で相槌を打つ。


「ナツは優しいって言うと怒るんだよ」

「そ、それは健が言うから」

「え、僕以外なら怒らないの」

「だって、健は‥‥‥私より優しいし‥‥‥」


 惚気が始まってしまった。菜津さんの頬が心なしか赤く染まっている。


「そんなことないよ」


 いや、そんなことあるだろ。とは私の心の声だが、恐らくイツキさんも同じことを思っている。菜津さんが優しくないわけでは決してないのだけれど、なんというか、こうして接していても『慣れ』が違うのだ。健のフォローの早さは一種の才能だ。あれに勝てる人はそういないだろう。

 そのまま2人の言い合いが始まってしまった。健は菜津さんの言い分を理解しようと理由を求める。しかし、菜津さんがそれを説明するには、自分がいかに丁重な扱いを受けたかを説明しないといけない。そして、それを説明したところで恐らく健は納得しない。というか、それを私たちの前で話すのは恥ずかしいだろう。普段のフォローは素晴らしい早さなのに、どうしてこうも変なところでこの人は鈍感なのか。


「ナツはもうちょっとワガママ言ってもいいのに‥‥‥」

「これ以上を求めないで‥‥‥」


 なんだか話が逸れてきている。


「すみません‥‥‥」


 小声で樹さんに謝る。


「いや、俺も悪かった‥‥‥」


 その言い合いは間もなくケーキが届くまで続いたのだった。


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