遊園地1/3
健に遊園地に誘われた、その2週間後の土曜日。いよいよ今日は遊園地に行く日だ。健たちの大学は今日から春休みである。緊張と興奮で昨晩はよく眠れなかった。何しろ遊園地に行くのなんてひどく久しぶりである上に、家族以外と行くに至っては初めてのことである。
アラームより早く目覚めた私は珍しいことに服の選別を始めていた。といっても大した服は持っていない。外出時は基本的に制服‥‥‥というか学校以外の用で外出することなどほぼないのだ。数少ない服から迷った末に私はピンクを基調としたセーターと動きやすいジーンズを選んだ。上着は迷うほど持っていないのでいつもと同じ黒のモッズコートだ。
朝食を済ませ、家を出るのにちょうどいい時間をソワソワと待った後ドキドキしながら遊園地へ向かう。部外者の私のために待たせるわけにはいかない。
知らず早足になっていた私は余裕を持って家を出たこともあって約束の時間よりかなり早く着いてしまった。目印の噴水の周りをぐるりと一周するが、健の姿はない。他の2人については顔がわからないため仕方なく噴水の縁に腰掛けて待つことにする。
健のことだから「ごめんね、待った?」なんてことを言うかもしれない。そう言いつつもやはり時間よりは早いのだろう。私が先に来ていることで気を遣わせたくはない。時間までどこかに隠れていようか、と半ば本気で考え始めたとき目の前をスッと人が横切った。なんとなく顔を上げると、美しい人がいた。その人は噴水に沿って歩いていく。後ろ姿を思わず目で追いかけてしまう。
色白で、目は一重。スッと通った鼻先に形のいい唇。サラサラの髪、モデルさんのように長い足、スッキリと細い手足には、誰もが振り返るだろう。
私が呆けているとその人は噴水を一周して再び私の前まで来て、ふっと顔を逸らすと手を上げた。一瞬後に待ち人が来たのだということに気づいて、彼女の視線の先を目で追う。健がいた。
何かがストンと胸の中に落ちた気がした。この人がナツさんなのだ。なるほど、こんなにも美しい彼女がいれば死ぬわけにはいかないだろう。
「あ、文香ちゃん。もう来てたんだ」
健が私にも気づいて駆け寄ってきたので、立ち上がって会釈を返す。あの後、大学の試験期間で家庭教師は休みだったので誘われた日以来だ。
「ナツ、紹介するよ。僕の教え子の文香ちゃん」
「あっ、山江文香です。よろしくお願いします」
慌ててペコリと頭を下げる。
「こちらこそよろしくね。明戸 菜津です」
かわいい。健と並ぶと健より少しだけ背が低いことがわかる。
「会ってみたかったんだ。占いできるって本当?」
しまった。そんな設定を作ったのだった。だってまさかここまで親しい関係になるなんて思ってなかったのだ。
「え、えぇ。まぁ」
曖昧に返事して目を逸らす。このまま話題にも逸れていただきたいが、菜津さんにその気配はない。
「そうだナツのことも占ってみてよ」
健まで乗ってきた。やばい、どうしよう、どうすれば、と頭の中がぐるぐるし始めた時に、新たな声がかけられた。
「ケン、俺にも紹介して」
声をかけてきたのは、眼鏡をかけた利発そうな青年だった。健が年の割に幼く見えることもあってか、健より年上に見える。
「あ、イツキ。遅いぞ」
「集合時間ちょうどだ。遅くない」
「女子2人を待たせてるんだから遅い」
「なんだその謎理論は」
「あっ、てことは健も遅いんじゃない? お詫びに私たちに何か奢ってくれるのよね」
「もちろん。何がいい?」
「まじか、ラッキー」
「イツキは奢る側だろ。奢られるのは文香ちゃんとナツだけ」
「えっ、いや私はいいです!」
「遠慮しないでいいから」
「いいよ、それくらい」
「貰えるものは貰っとこうよ」
三者三様に大人しく奢られろと言われて、答えに窮しているとどうやら話はそれでまとまったようだった。私たち一行はぞろぞろと入場口に向かう。何はともあれ、私の占いの話は忘れられたようで何よりだ。
おそらくは小学生以来の遊園地は随分とキラキラして見えた。通りの両側にはお洒落な土産物店が並び、耳のついたカチューシャをつけた人たちが楽しげに談笑しながら歩いている。手入れの行き届いた花壇も、賑やかな人混みも、あの頃と変わらないはずなのに私の気分はかつてよりも高揚していた。
「まずどこ行く?」
健が園内マップを開きながら尋ねる。
「私はどこでもいいよ」
微笑みながら菜津さんが言う。
「俺はジェットコースターがいい」
イツキさんの目が眼鏡の奥でキラリと輝く。
「僕はここがいいなぁ」
健がマップのどこかを指差すが、3人の一歩後ろを歩く私には角度的によく見えない。
「‥‥‥文香ちゃんはどこがいい?」
「えっ」
思いがけず話を振られて言葉に詰まる。いや、流れから考えれば今の間は私の発言待ちだったのかもしれない。悪いことをしてしまった。
「え、えっと、私は、別に‥‥‥」
「あっ、今ならここ空いてるみたいよ」
菜津さんが携帯を健に見せる。ここでは混み具合をリアルタイムで見れるアプリがあるのだ。その距離の近さに改めてこの2人は恋人同士なのだな、と思い知る。
「じゃあ、そこ行こっか」
その後も私たちは空いているアトラクションを見つけては片っ端から乗りまくった。2人ずつのものは、健と菜津さんが一緒に乗るので自然と私はイツキさんと一緒になる。会話はなかったが、不思議と沈黙が気にならない。健と話していると何か相槌を打たなければと必死になってしまうけれど、その必要がない分楽でもあった。
遊園地のおよそ4割をまわったあたりで昼時になった。晴れ渡った青空が清々しい。こんな風に空を見上げて、周囲を見回して、美しいと思ったのはいつ以来だろうか。
「そろそろご飯食べない?」
菜津さんの言葉にふと空腹を自覚する。
「早くないか?」
たしかに時計を確認するとまだ11時前だ。
「そろそろ行かないと混みそうだから」
「そうだね、キリもいいしどっか行こっか‥‥‥文香ちゃんもいい?」
「はい!」
健は一々私が置いていかれないように一言声をかけてくれていた。さっさと話を進めてくれても大丈夫なのだが、こうして声をかけて貰えるのはこの場にいることを許されている気がして心地よい。
園内ということもあって、少し割高なメニューを今日だけの贅沢と思って注文する。どのアトラクションが楽しかった、午後はどれに乗りたいといった話で盛り上がる3人を見ていると幸福感が胸を満たしてくる。話に混ざりたい、と思わなくもないがそれは贅沢というものだろう。