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先延ばし

 帰宅した私はベッドに体を投げ出した。今度こそ終わりにしよう。彼のことが気にならないわけではない。しかしもう会うこともないだろう。これ以上生きたところで、辛いだけだ。

 右手を伸ばして手だけでトートバッグの中を探る。中でくしゃくしゃになっていたチラシを取り出した。別れ際に彼からもらったものだ。家庭教師をしているからよかったら、ということだった。しかし家庭教師に習いたいなんて、親に言うのは面倒だ。何より気恥ずかしい。そういえば、いつだったか塾に行かなくていいのか、と話を振られたことがあったなと思い出す。私は断固拒否したわけだが。

 その時、ガチャリと部屋の扉が開かれた。視線を向けて確認すると母親が入ってきたところだった。咄嗟に手に持っていたチラシをベッドに投げ出す。興味があるのだと思われたくなかった。


「文香また部屋散らかして。掃除くらい自分でしなさいよ」

「んー」


 いつもの小言に生返事を返す。私しか使わない部屋が散らかっていたところで困るのは私だけなのだから放っておけばいいのになぁ、と思いつつも口には出さない。


「そうやっていつもダラダラしてるけど、塾とか行く気はないの?」


 ああ、と思い出す。そうだった。冬休みが始まったその日に言われた気がする。


「ない」

「でも、みんな行ってるんじゃないの」


 最近は皆塾へ行く。学校でも進学希望で塾に通っていない同級生は片手で数えるほどだろう。つまりは、塾に通えば必然的にクラスメイトと顔を合わせることになる。そんなのはごめんだ。何を好き好んで学校以外でまで会わなければならないのか。


「絶対嫌」

「あんたそんなに勉強嫌いだったの」


 そういう問題じゃないのだけれど、面倒なので黙っておく。


「来年には大学受験だってあるのに、そんなことで‥‥‥あら、家庭教師?」


 ベッドに投げ捨てていたチラシに母親が目を止めたらしい。


「あんた家庭教師の方がいいの?」

「いいよ、家庭教師高いでしょ」

「それくらい出すわよ」


 ここで私は自分の失言に気がついた。高いからいい、ではまるで遠慮しているようだ。


「試しに電話してみるわね」

「えっ! いや、ちょっ」


 言って部屋を出て行こうとする母親に慌てて飛び起きるが、私の目の前で扉はバタンとしまった。起き上がりはしたものの、わざわざ階下まで降りて引き止めるほどの嫌悪感はなかった。再度、ベッドにどさりと体を投げ出す。クラスメイトに会わなくて済むなら私としては全然構わないのだ。


「まぁ、会う前に死ぬか」


 ふっ、と笑う。死にたいと思うのが癖になったのはいつからだったか。今もまた『死ぬ』なんて言っておいてその実、体は動こうともしない。思えばあの時も半分は勢いだった。学校の屋上の鍵が壊されたと聞いて、それからすぐに「死ね」と言われた。なら、鍵が直される前にと思ったのだ。つまりは今すぐに死ぬとなるとまた別の方法を考えなくてはならない。それが億劫だった。




 時間が経つのはあっという間だ。私が惰性で生きている間に世間では年を越え、冬休みは今日で終わる。宿題も当然のごとく終わらせている。つくづく自分は真面目だ。死ねばやらなくていい、という当然の思考はあったが、正直なところ長期休暇は死ぬほど辛いわけではない。死にたくなるのは明日からだ。


「文香ー、いつまで寝てるの。明日起きられないわよ」

「大丈夫、若いから」


 扉をあけて入ってきたいつも通りの母の小言に答えながらも、とりあえず体は起こしておく。この後もどうせ昼食は何がいいかといういつも通りのセリフが


「あ、そうだ。家庭教師のお兄さん、明日から来てくれるってから」


 続かなかった。


「え!?」


 あれから余りにも音沙汰がないから、てっきり電話しなかったものと思っていた。


「ごめんね、言うのすっかり忘れてたわ。だから、明日は寄り道しないで帰ってくるのよ。お昼ご飯何がいい?」

「明日‥‥‥?」


 前日になって思い出すか普通。


「ちなみに私は炒飯が食べたいんだけど」

「そう」


 機械的に相槌を打ちながらも話の中身は頭に入ってきていない。明日‥‥‥明日‥‥‥。


「だから炒飯にするわね」


 自己完結した母はそのまま部屋を出て行った。いったいこの人は何のために聞きにきたのか。いや、落ち着け。家庭教師といっても誰が来るかはわからない。むしろ健でない可能性の方が高いんじゃないだろうか。そうだ。そんな偶然あるわけがない。



 そんな私の希望的観測は翌日あっさり裏切られるのだった。


「久しぶり。山江さん」


 私の部屋にはニコニコと笑う健の姿があった。


「オヒサシブリデス‥‥‥」


 無神論者の私でもいよいよ運命とかいうものを信じたくなる。


「まさか本当に連絡してくれるなんて思わなかったよ」

「はい‥‥‥私も‥‥‥」

「?」

「あっいえ。えっと‥‥‥‥‥‥よろしくお願いします」


 言って深々と頭を下げる。


「いえいえ、こちらこそよろしくお願いします」


 健も合わせて頭を下げる。


「じゃあ、さっそく始めよっか!」




 健の教え方は、上手かった。内容は主に受験範囲の予習と復習。教科は数学と英語。もっともタイムスリップした私はすべて習っているため予習にはなっていないが。カリカリとシャーペンを動かしながら、たまに横目で健を盗み見る。教科書を眺めながら何事か考えている健の横顔は好きだった。

 休憩時間には健が大学の話をしてくれた。私の志望校は健の学校ということになっている。この時間が私は特に好きだった。ただ、この場所でこうして話を聞いて相槌を打っているだけで、なんとなく心が温かくなるのだ。

 週に2日の健が来る日を私は待ち遠しく感じるようになっていた。学校は相変わらずだったけれど、それでも私は自殺した頃からは想像もできないような充実した日々を送っていた。

 そして、その日も健は私の部屋で大学の友達の話をしてくれていた。2月5日、大学ではそろそろ後期試験、そしてそれが終われば春休みだ。高校生の春休みはまだ先だけれど。


「それで、イツキが遊園地のペアチケット当てたんだ」

「じゃあ、春休みに2人で行くんですか?」

「そのつもりだったんだけどね。この話には続きがあって、僕も同じの当てたんだよ」

「えっ! すごいですね‥‥‥」

「うん、ただそうなると一緒に行く人がいなくてさ。僕とナツとイツキと、もう1人行けるんだけど‥‥‥そうだ、文香ちゃんも一緒に行かない?」


 ナツというのは健の彼女さんの名前だ。


「えっ、いやでも‥‥‥」


 高校生が一緒に行っていいものか。そもそも私はただの健の生徒である上に他の2人とも面識がない。行ったところで気まずくなることは目に見えている。


「ナツも文香ちゃんに会いたがってたんだよね」


 健はまさに名案だという顔をしている。


「無理にとは言わないけど‥‥‥文香ちゃん優秀だし、頑張ってるご褒美と思って」


 こう見えて意外と健は押しが強い。それでなくとも私は健のこういうワクワクした顔には弱いのだ。悩んだ末に私は頷いていた。


「行ってもいいですか‥‥‥?」


 健の顔がパッと明るくなる。


「もちろん!」


 健の押しに折れた、というのもあるが、実を言えばナツさんに会いたい気持ちも強かった。三途の川であそこまで健を引き留めた彼女はどんな人なのか、非常に興味があったのだ。


 

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