手がかり
そして、約束の土曜日がやってきた。ここまで二週間生き延びた自分に拍手を送りたい。席を立てばすれ違いざまに肩をぶつけられ、お手洗いに行けば突き飛ばされ、ノートには落書きをされ、体育では‥‥‥‥‥‥やめよう。私は頭を振って思考を振り払うと約束したカフェの扉を開けた。
「いらっしゃいませ、1名様ですか?」
「いえ、人と約束をしているので‥‥‥」
店員さんに答えながら店内を見まわす。目印はキャラもののタオルと言われていたが、果たして彼はすぐに見つかった。でかでかと美少女がプリントされたタオルを頭に被っている。オシャレな店内でははっきり言って異彩を放っていた。店員さんに会釈をして彼のもとへと向かう。正面に回り込むと人の良さそうな青年だった。暖かそうなタートルネックを着ている。こちらに気づくと、あっと顔を綻ばせた。30代くらいだろうか。
「こんにちは。あなたがメールをくれた‥‥‥?」
「あ、はい‥‥‥よろしくお願いします」
一瞬迷ったが名乗らずにおく。男は私に座るように促しつつ頭に被っていたタオルを肩にかけ直した。その後私が飲み物を頼み終えると男は切り出した。
「じゃあ改めてはじめまして。俺は高戸 壮。よかったらあなたの名前も教えてくれる?」
「はい‥‥‥山江 文香です」
警戒しつつも話が聞きたい気持ちが優って正直に答える。
「山江さんか。で、メールではあなたも三途の川へ行ったって話だったけど‥‥‥」
「は、はい! 私‥‥‥えっと、たぶん死んで、気づいたら河原にいて、でも六文銭なくて」
「ないと渡れなかった?」
「はい。それで、資格がないんだって言われたので待ってたら体が消えて」
「へぇ‥‥‥対岸、対岸はどう見えた?」
高戸の声が興奮に上ずる。
「なんか、キラキラ? してました」
「それは、いつ頃の話?」
「つい、最近です。1ヶ月くらい前の‥‥‥」
正確には1年後なのだが、どうにも説明しにくい。
「よかったらなんだけど、なんで死にかけたのか聞いてもいい? 元気そうに見えるけど‥‥‥」
「え‥‥‥と、自殺未遂、です」
迷ったが隠しても仕方がないので正直に答える。
「‥‥‥‥‥‥そっか‥‥‥なんか、ごめん。もうその時の傷は治ったの‥‥‥?」
「いえ、それなんですけど。傷が、なかったんです」
若干前のめりになって答える。
「‥‥‥え? それは、どういう‥‥‥」
「すみません。最初から話します」
そう前置きをしてから私は自分が1年後に死んでいて、おそらくはタイムスリップしたのだということを説明した。私が話し終えてからも高戸はしばらくううんと唸っていたが、やがて口を開いた。
「ってことは、山江さんはこれから起こることを知ってるってこと?」
「いえ‥‥‥それはちょっと‥‥‥」
「そうなのか‥‥‥タイムパラドックスをなくすためとかあるのかな‥‥‥」
実際には何が起こったかなんて興味がないことを元から覚えていないだけなのだが、彼は私の記憶が欠落したと捉えたらしい。しかし訂正するのも面倒なので黙っておく。
「俺はさ、六文銭を手に入れてからも結構渡らずに待ってたんだ。死にたくなかったから。そしたらある時突然俺も体が消え始めた。でも、こっちで目を覚ました時に時間はそんなに経ってなかったんだ。てっきり向こうとこっちで時間の進み方が違うのかと思ったんだけど‥‥‥」
「向こうで、話を聞きました。六文銭を手に入れてからも渡らずにいたら現世に戻った人がいるって」
「へぇ、もしかして俺のこと噂になってるの」
「私にその話をしてくれた人は、自分もその奇跡をずっと待ってるんだって言ってました‥‥‥ただ‥‥‥私はそこから1年前に来てるので‥‥‥」
「‥‥‥その人は、まだ死んでないかもしれない?」
「はい‥‥‥でも、名前しか手がかりがないのに見つかるわけないですよね」
そう言って苦笑する。
「うーん、助けられるのかもわからないしね。命運が決まっているのかもしれないし‥‥‥ところで、その人の名前はなんていうの?」
「サトナカ タケル、って言ってました」
その名前を聞くと、高戸は考え込むような表情になった。
「サトナカ‥‥‥里中 タケル‥‥‥? その人、年齢は?」
「えっと、はっきりとは聞いてないですけど高校生くらいに見えました」
「高校生‥‥‥ちょっと、心当たりがあるから聞いてみるよ」
「えっ! 本当ですか!?」
「あ、ああ。同姓同名の別人かもしれないけど‥‥‥わかったらまたメールするよ」
「は、はい‥‥‥ありがとうございます」
嘘みたいだ。まさかこんなところで繋がるなんて、世間は狭いものだ。
そして、高戸から連絡が来たのはそのちょうど1週間後だった。待ち侘びた連絡に震える指でメールを開くと、そこにはそれらしい人物を見つけたという文字と、添付ファイルがついていた。
「嘘‥‥‥いや、でも‥‥‥」
はやる気持ちで添付されていた画像ファイルを開くと、そこにはあの少年が、私が会ったタケルの姿が写っている。角度からして隠し撮りのようだ。場所は自宅だろうか。
思わず持っていた携帯をベッドの上に取り落とした私は、空いた手でそのまま口を覆った。そんなまさか。本当に見つかるなんて。心臓はさっきからずっと早鐘を打っている。
「会わないと‥‥‥」
会って、何ができるのかはわからない。ただそれでも。あの場所で見た彼の横顔を思い出す。このまま何をせずに死んだら、きっと後悔する。それだけはわかるのだった。