死生観
受験勉強に追われているうちに夏はあっという間に過ぎていった。何事もないまま夏休みは終わり9月も半ばを過ぎた。今日は文化祭である。
夏休みを越え、部活は引退。文化祭は高校の想い出作り最後のイベントだ。特に各クラスでの出し物はなく有志による出し物のみ、ということにはなっているが大体のクラスはクラス単位で出し物をする。受験が控えている3年でもメインステージでのショーにエントリーするクラスが大半だ。
私のクラスもその例に漏れることなく、クラス全員でダンスを踊る、という話になっているらしい。らしい、というのは私は出ないからだ。元々はクラス内の有志でという話だったのだが、蓋を開けてみれば私以外の全員が有志になっていた。権力者に誘われて私以外の全員が折れたわけだ。
つまりは、私は今日1日暇なのである。
使われない教室は施錠され、他に行き場もない私は屋上へ続く階段に座っていた。背後にはすぐ屋上への扉がある。もっとも今は施錠されているが。
「帰りたい‥‥‥」
こんな場所でぼんやりしているくらいなら家で勉強でもしていた方がまだマシというものだ。休めばいいものを律儀に来てしまうあたり真面目だ。サボって図書館にでも行けばよかった。1周目の時はなんとなくメインステージを見に行ったが、内輪ネタの出し物ばかりでつまらなかったことだけは覚えている。
やることもなく、片手間に配られた出し物のスケジュール表を眺めていると、階段を上ってくる足音がした。
まずい、こんな場所に1人でいる生徒は間違いなくまともに見えない。しかし背後は施錠された扉、逃げ場はない。先生ならなんと言い訳しようと焦っていると、現れたのは意外な顔だった。
歳は30代前後、ラフな格好をした男性だ。この学校は今時珍しくオープンな文化祭をしている。身分証を提示すれば、関係者でなくても入校できるのだ。恐らくは一般の人だろう、間違いなく先生ではない。しかし、見覚えがある。どこで見たのか。
男性が顔を上げ、階上の私に気づいてあっという顔をした。
「あっ‥‥‥山江さんじゃん!」
「えっ」
私の名前を知っている。どこかで会ったことがあるのか。必死で記憶を手繰っていると男性の方が名乗ってくれた。
「覚えてる? 俺、高戸」
「あっ! 高戸さん」
言われて私も思い出した。高戸 壮。私と同じ三途の川からの生還者であり、私がタイムスリップしたことを唯一知っている人であり、私と健が会えるよう取り計らってくれた人だ。
「な、なんでここに‥‥‥」
「俺ここのOBで、文化祭は毎年来てるんだ。山江さんここの生徒だったんだね」
「あぁ‥‥‥なるほど。はい、偶然ですね」
でも、なぜこんな行き止まりの階段に‥‥‥。
「でもまさか、隠れてタバコ吸いに来たら山江さんに会えるなんてなー」
いや、校内は禁煙‥‥‥と思っていると高戸が右手で弄んでいる棒が目に入る。電子タバコだ。少し前まで父親が吸っていたので見覚えがある。
高戸はそのままスタスタと階段を上ってきた。
「隣、いい?」
「あ、はい」
答えて横にズレて座り直す。
高戸はよっこいせ、とジジ臭い掛け声と共に私の隣に腰を下ろすと嬉しそうな顔で話し始めた。
「にしても、よかったよ〜。山江さんが生きてて」
「え?」
「自殺未遂‥‥‥したって言ってたからさ、また早まらなくてよかった」
「あ、あぁ‥‥‥」
「里中くんとは、どうだった?」
「あ、えっと‥‥‥色々あって、今家庭教師やって貰ってます。その節はありがとうございました」
ペコリと頭を下げると、高戸は笑って手を振った。
「いやいや、役に立てたならよかったよ。それなら、まだ生きてるんだな‥‥‥本当に良かった‥‥‥」
そんなことをしみじみと言う。
「命は大事だからな。山江さんも、もう馬鹿なこと考えちゃダメだよ」
ムッとした。馬鹿なこと、と簡単に言われたことに。でもきっとこれが世間一般の認識なんだろう、と思い直す。それでも、聞かずにはいられなかった。
「なんで‥‥‥ですか?」
「ん?」
「なんで、大事だと思うんですか?」
階下を向いていたから、高戸がどんな顔をしていたのかはわからない。ただ、少し考えてからこう言った。
「‥‥‥命は尊いものだからだ」
「尊い‥‥‥」
「考えてごらんよ。この広い世界で、無限の可能性の中で、こうして俺たちが、山江さんが生まれてきて、こうして出会ってる。奇跡的だろ? 1つ1つの命が、奇跡なんだ」
「だから、尊い、ですか」
「そう思わない?」
思わない。奇跡的なのはわかる。それでも、それなら、私の先祖の1人でも子供を産まなければ、パートナーと出会わなければ、私は生まれずに済んだわけだ。なんて不運なんだろうか。
「よく、わかりました」
私は、肯定も否定もしない答えを返す。高戸はなおも続ける。
「山江さんが時を遡って、こうして会うはずのなかった里中くんと出会って、命を救おうとしてる。ロマンチックだよな。すごい奇跡だ」
どうやら高戸は奇跡が好きらしい。
「私の命は、里中さんが死なずに済むための駒なのかもしれませんよ」
私の命は、健の尊い命のためのただの駒、そんな意地悪を言ってみる。
「逆かもしれない。里中くんの命が、山江さんを生かすための駒って見方もできる」
「私の命は、里中さんの命を駒にするほど神さまにとって重要なものだと思えませんけど」
私は自嘲しながら言い返した。
「さっきも言っただろ。命は尊いんだ。どっちが重要なんてない。重要じゃない、軽い命なんて1つだってない」
自信満々にそう断言した高戸に、私は悟った。この人とは決して分かり合えない。
「そう、ですね」
口先ではそう言って、私は見たいステージがあるからとその場を離れた。当然そんなものはないので、手近なトイレに入る。教室棟であるこの場所には他に誰もいない。
これ以上話していたら八つ当たりしてしまいそうだった。
ふざけるな。何が軽い命なんてない、だ。命の重さなんて、所詮は他人が付けた情の量だ。私の命の重さはせいぜい両親と健たちと数人のクラスメイト程度だろう。健は違う。たくさんの友達、たくさんの教師、私のような教え子も彼女も、その情のすべてが健の命の重さだ。それが私と等価であるはずがない。
「私の命を‥‥‥勝手に重くするな‥‥‥!」
誰もいないのをいいことに個室で1人唸る。
お前らの自己満足のために。
命は大切、なんて言ってる自分が好きなだけのくせに。
私が死んだってすぐに忘れるくせに。
私が生きる辛さも、命の重さも、死ぬ怖さも、一つ残らず私だけのものだ。死なれたら自分が悲しいから、そんな理由で、説教くさく、命は重いなんて、言われたくなかった。