夏祭り2/3
1時間ほどかけて屋台の並ぶ通りの3分の2ほどを歩いてきた私は樹さんとメインステージがある広場の隅に並べられたテーブルの1つで休憩していた。祭り特有の香ばしい匂いが鼻孔をくすぐり、やたらと音量の大きい祭囃子が鼓膜を叩く。
それにしても菜津さんがこういう場所が好きなのは意外だった。健はいかにも好きそうなイメージがあるが、今日はむしろ菜津さんの方がはしゃいでいた気がする。その健と菜津さんは今食べるものを買いに行ってくれていた。ちなみにお金は割り勘である。
チラリと樹さんの顔を盗み見る。樹さんは付かず離れずの微妙な距離で私と同じベンチに座って携帯をいじっている。
何やってんだろ私。お祭りなんて、似合わない場所に来て。思わず自嘲する。
私は変わらない。遊園地に行ったあの頃から少しも。誘われたことが嬉しくて、予定も空いていて、断る理由もないからと参加する。仲良くなれたかも、今なら楽しめるかも、そんなことを期待してもいざ来てみればこんな場所でぼーっとしているだけだ。
ふと視界の端に知った顔が写って顔を上げる。ネガティブな思考に合わせて視線も下がっていたらしい。玲奈がいた。ピンク色の可愛らしい浴衣を着ている。一緒にクラスメイトの女子2人と男子が3人いた。うち1人は久川くんだった。そういえば体育祭以来話してないな、と思って一行を目で追っていると久川くんとパチリと目が合った。続けて玲奈もこちらを見る。
目が合うのとほとんど同時に顔を逸らしたが、玲奈にも気づかれただろう。面倒なことになった‥‥‥と冷や冷やしていると、意外なことに玲奈はそのまま談笑しながら去っていった。気づかなかったのか、はたまた男子の目が気になったのか、それはわからないが絡まれなくて済んだことにホッと息をつく。
「知り合いでもいた?」
突然樹さんに話しかけられてギクリとする。
「は、はい。まぁ。クラスメイトが‥‥‥」
「声かけなくていいの?」
「ただの、クラスメイトですから」
見かけたからって声をかけるような仲ではない。
「そっか」
それだけ言って携帯に視線を戻そうとした樹さんが何かに気づいたように顔を上げる。私もつられて視線を追って振り返ると、久川くんがいた。
「えーっと‥‥‥山江さんを見かけたから抜けてきちゃった」
気恥ずかしげにそんなことを言う。
「え? 私に何か用?」
「いや、用ってほどじゃないんだけど。良かったら一緒にまわらないかな〜なんて。でも、取り込み中だったかな」
チラリと樹さんの方を見る。
「まわるって、みんなと?」
「いや、できれば俺と‥‥‥」
これはもしかしなくてもデートのお誘いだろうか。しかし今私は健たちと遊びに来ているのだ。抜けるわけにはいかないだろう。
「いいじゃん、行ってくれば」
なんて断ろうかと考えている私に樹さんがそう言った。
「え、でも」
「ケンたちには俺から言っとくし。別にそれくらい誰も気にしない」
「そう言ってくれてるし俺と行かね?」
久川くんまで便乗してくる。
もしかして、樹さんは私に行って欲しいんじゃないだろうか。だって、そもそも樹さんは私に付き合ってここにいるのだ。私がいなくなれば帰れる。
「私‥‥‥」
行く、とたった一言が出ない。久川くんのことは嫌いじゃない。でも、ここで行ってしまったらもう二度とこの場所に戻って来れないような気がする。もちろん、健がこの程度のこと気にしないのはわかっている。それでも
「あー‥‥‥やっぱいいや。ごめんな話してるとこ邪魔して」
返事が言えずにいる私に何かを察したのか久川くんはそう言って走り去って行った。
「あっ」
思わず声を上げるが、やっぱり行く、とも言えないまま彼の背中は遠ざかっていった。心の中で、今更のごめんを呟く。
「よかったの」
「‥‥‥はい‥‥‥すみません」
「それは‥‥‥何の謝罪?」
「せっかく気を遣ってくださったのに‥‥‥」
あと、結局樹さんが帰れないことに対しても。
「ああ、なるほど」
樹さんは本当に不思議だったようで、納得したように呟いた。
「‥‥‥山江さんてさ‥‥‥」
「はい」
「‥‥‥いや、やっぱいいや」
「えっ‥‥‥前にも言いかけたことありましたよね。言ってください」
しばらく迷った末に、樹さんは再度口を開いた。
「その‥‥‥ケンのこと、好きなの?」
空気が凍った。この暑いのに。確かに考えないようにはしていたが、私も思っていた。健と菜津さんを見たときに感じるモヤモヤは、菜津さんへの、嫉妬。なんじゃないか、なんて。でも
「人としては‥‥‥好きです」
「恋愛対象じゃない?」
「それは‥‥‥」
否定できなかった。たぶんそうと意識すれば恋するのに時間はかからない。そんな気がした。
「でも、健さんには‥‥‥」
「明戸さんがいる」
私の言葉を継ぐように樹さんが言う。でも、私が言おうとしたことは違った。首を振って言葉を継ぐ。
「ときめかないです」
健に対してドキドキしたりしたことがない。そう、これはまるで。
「テレビの向こうの人たちを見てるみたいで」
最近どこかで同じことを言ったな、と思い出す。そうだ、玲奈だ。玲奈とは真逆の意味で健はあまりに遠い。そこまで考えたところで、私はようやく合点がいった。あのモヤモヤは、菜津さんに対してじゃなくて。
私は、健に嫉妬してる‥‥‥?
「お待たせー」
私の思考は、買い出しから戻ってきた健の声で中断された。
「‥‥‥って、あれ? なにかあった?」
「いや、随分たくさん買ったな」
場の空気に敏感な健が何かを察するが、即座に樹さんが話を逸らす。
「ナツが色々食べたいって言うからさ。ちょっと奮発しちゃった」
「ごめん‥‥‥こういうとこ来るの初めてで‥‥‥つい」
菜津さんが照れながら言う。
「えっ、菜津さんお祭り来たことないんですか?」
「うーん、あんまり興味なくて。一緒に来る人もいなかったし」
それならあのはしゃぎようも納得である。この賑々しさを初めて見たら、テンションも上がるというものだろう。
「どう? 初めてのお祭りは楽しい?」
健が聞くと、菜津さんはとびきりの笑顔で答えた。
「すっごく」
かわいい。私だけでなく健も見惚れているみたいだった。
「早く食べないと、花火が始まるぞ」
樹さんの一言に再び机上の食料に一同の注目が戻る。1時間後に迫った花火のために私たちは急いで食べ物を胃袋に収め始めたのだった。