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図書館

 5月も半ば、その日部活をサボった私は図書館に来ていた。去年健の情報を得ようと何度か通ってから、図書館の空気は割と好きだった。部活をサボるのも数日に1回なら問題ないのでちょくちょく来ているのだ。元より顧問もやる気がなく、たまにしか部室に顔を出さない。

 シンと静まり返った空気には仄かに緊張感がある。ここでこうして勉強しているとなんとなく賢くなったような気分になる。今こそ出すべき集中力を発揮して夢中で物理問題を解いていると不意に声をかけられた。


「文香ちゃん?」


 ぶわっという効果音が聞こえそうな勢いで一気に集中状態から引き戻される。振り返ると、菜津さんがいた。


「やっぱり。勉強中? 邪魔しちゃったかな」

「いえ、ちょうど休憩しようと思ってたので。偶然ですね」


 本当はまだ頑張るつもりだったが、問題のキリもよかったのでそういうことにしておく。図書館で知り合いに会ったのはこれが初めてだ。


「うん。文香ちゃんはよく来るの?」


 言いながら私の隣に腰掛ける。ここは別に自習室ではない、強いて言うのであれば休憩スペースだ。談笑しても問題ない場所だが、何故か普段から人が少ないし静かだ。今も私と菜津さんしかいなかった。自習室も別にあるが、あそこの空気は物音一つ立てられないレベルにピリピリしていて好きじゃない。


「はい。たまに」

「私はレポートの資料を探しに来たんだ。同じテーマで出るから学校の図書館のは借り尽くされちゃってて」

「そうなんですね‥‥‥今日は1人ですか?」

「うん。健にはここに来てたこと内緒ね?」

「えっ、どうして‥‥‥」


 意外だ。隠し事なんてないのかと勝手に思っていた。


「行き先言ってないと怒るから」

「えー、もしかして意外と独占欲強い人なんですか‥‥‥?」

「んー、そんなことはないんだけど‥‥‥私がいつも心配かけてるから‥‥‥」


 そう言って菜津さんは苦笑する。いったいどんな冒険をしていたら、彼氏に一々行き先を告げる必要が出てくるのか。心配の内容は気になったが、そこまで聞くのは野暮な気もする。迷っていると、入り口の方からキャイキャイと女の子の声が聞こえてきた。3人、高校生、には見えない。大学生だろうか。普段せいぜい物静かな大人が数人いるだけのこの場所に団体で女子大生が現れるとは珍しい。

 あまりジロジロ見るのも失礼か、と菜津さんの方に視線を戻す。


「私もここでレポートやってっていい?」

「もちろんです。嬉しいです」


 一緒に作業する人がいると緊張感も出て捗るのだ。早速菜津さんが荷物からパソコンを取り出し始めたのを確認して私も物理の問題集に向き直る。改めて頑張ろうと、問題を目で追い始めた時、またもや声をかけられた。


「あっ、なっちゃんじゃん」


 先ほどの女子大生だ。声をかけられたのは私ではなく菜津さんである。


「偶然。なっちゃんもレポート? あのテーマ面倒だよね」

「うん、そう」


 菜津さんは笑って答える。こういう友達がいたんだな、と少し意外に思いつつ邪魔しちゃいけないと再び問題に向き直るが、会話が気になって目は問題文の上を滑るばかりだ。


「今日は、カレシ一緒じゃないんだ」

「珍しー、四六時中一緒にいるのに」


 言葉に少し棘が含まれたような気がした。


「‥‥‥そんなことないよ」


 やんわりと否定する。菜津さんはまったく動じていない。


「あるでしょ。学校じゃずっと一緒だし。もう同棲してるの?」


 揶揄するような響きが混じった。


「してないよ」

「えー嘘〜」


 どちらの言葉も笑っているが、3人組の方はどうにも不穏だ。これだから女子は怖い。

 

「ほんとに全然近づけないし」

「なっちゃん、独占欲強すぎるんじゃない? そんなんじゃ振られちゃうよ」


 余計なお世話だ。聞いている私の方がイライラしてくる。


「んー、そうだよね。気をつける」


 菜津さんは穏やかさを崩さない。これだけ言われて何とも思わないのか。


「そうだよー、気をつけなよ」

「何目線よそれ」

「もう行こ、早くレポートやらないと」

「あっそうだった。じゃあまたね、なっちゃん」

「うん、また」


 3人が去っていったことを確認してから、私は問題集から顔を上げた。菜津さんはパソコンの電源を入れたところだった。


「菜津さんは‥‥‥強いですね」


 あれだけ好き放題言われても、表情一つ変わらない。終始穏やかな笑顔のままだ。それとも本当に何も感じなかったのか。


「えー‥‥‥そんなこと、ないよ」

「いえ‥‥‥」


 少し迷ってから続ける。


「かっこいいです」

「‥‥‥えへへ、そんなこと言われると照れちゃうな」


 菜津さんはそう、おどけたように笑った。


 その後、改めて気を取り直した私は今度こそ誰に邪魔されることもなく、作業に熱中したのだった。

 そろそろ帰るかと集中を解いた時、空は赤く染まっていた。もうこんな時間か、思ったより今日は頑張れたなと思いながら何気なく出入り口の方に目を向けるとちょうど誰かが入ってきたところだった。あれは。


「‥‥‥健さん?」

「え?」


 隣で菜津さんが顔をあげる。同時に健の方も私たちに気づいたようで、あっという顔をする。


「ナツ、また‥‥‥」


 健が一瞬何か言いたげな顔をした気がしたが、次の瞬間にはまたいつもの健だ。


「文香ちゃんも一緒だったんだ。僕も誘ってくれればよかったのに」

「健はバイトだったじゃん」

「そうだけど。いいなー、今度は僕も誘ってよ」

「いや、たまたま会っただけなので‥‥‥」

「へぇ‥‥‥」


 チラリと菜津さんを見る。そういえば行き先を言わないと怒ると話していた、1人で出掛けるのは心配する、なんてことがあるだろうか。それはさすがに過保護な気がする。


「大丈夫だよ、図書館くらい」

「文香ちゃん、今日ナツ変な女の子とかに絡まれてなかった?」

「えっ‥‥‥あっ」


 あの女子大生のことだろうか。私の反応で健はだいたい察したらしい。心配ってもしかしてそのことなのだろうか。


「大丈夫だよ。悪い子たちじゃないから。健は気にしすぎ」

「いや、あれは‥‥‥」


 私が口を出す話ではない、とは思いつつも黙っていられなかった。あそこにはたしかに悪意があったように思う。


「僕が気にしてるのはそういうことじゃ‥‥‥まぁいいや。今日は大したこと言われなかったみたいだし」


 普段はもっと露骨な嫌味を言われているのか。


「文香ちゃん、もう帰るとこ?」

「え、あ、はい。そろそろ」

「そっか、気をつけてね」

「はい」

「私もだいたい書けたし帰ろうかな」


 私に続いて、菜津さんも立ち上がる。


「ナツは少し待ってて、送ってくよ。すぐ資料探してきちゃうから」


 おお、これが彼女特権か。


「‥‥‥わかった。ありがとう」


 少し迷った後に菜津さんは大人しく座り直した。


「じゃあ、お疲れ様です」

「お疲れ様」

「またね〜」


 2人に見送られて図書館を出る。菜津さんが女子に嫌味を言われているなんて少し意外だった。それにいつもはもっと酷いらしい。そういえば健はどうして、大したことを言われていないとわかったのだろうか。不思議には思ったが、深く考えずに菜津さんのことを思い出す。なんだか少しだけ、菜津さんに親近感を覚えた私なのだった。


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