『お伽噺』
遠い昔、決して許されることのない恋をした二人の男女がいました。
女は、山奥の小屋に住んでいる魔女でした。
幼い人間の少年が獣に襲われ怪我をしているところを、魔女が助けたのが、二人の出会いでした。
それから幼い少年は度々山へと赴き、魔女に会いに行くようになったのです。
少年は月日が流れるとともに年を取り、立派な青年へと成長しました。しかし、魔女は老けるどころか、年を取ることもありませんでした。
「魔女っていうのは年を取らないものなのかい?」
いくら月日が流れても変わらぬマリアの姿を見て浮かんだ、単純な疑問でした。
「⋅⋅⋅⋅⋅⋅」
いつもは笑顔で何でも答えてくれるマリアが、その質問にだけは答えませんでした。
青年の歳が、魔女の外見と同じくらいになった頃、青年は魔女に想いを告げました。青年は魔女に恋をしていたのです。
しかし魔女は、自分は人間ではないのだという理由でそれを拒絶しました。
青年の幸せのためと思い、自分の気持ちに嘘をついたのです。
それでも諦めようとしない青年に、魔女は魔法の力を使って、自分のことを忘れさせました。
青年は、その日を境に魔女のもとへは来なくなりました。
魔女は、これで良かったのだと自分に言い聞かせながらも、悲嘆に暮れました。
そして数ヶ月が経ったある日、山に狩りに来ていた青年は、一件の木造りの家を見つけました。その家の中からは女性の咽び泣く声が聞こえてくるので、青年は気がかりになり、その戸を開けました。
中では、自分と同じ齢くらいの美しい女性が涙を流して伏していました。
女性は彼の存在に気付くと、青年の腰に手を回し強く抱き締め、子供のように大声で泣き始めてしまいました。
青年は驚き、最初は戸惑いましたが、彼女の頭を撫でて宥めているうちにどうでもよくなってしまいました。
青年は、しばらくして落ち着きを取り戻した彼女に名前を訊ねました。彼女は静かな声で自分の名を告げました。
『マリア⋅⋅⋅⋅⋅⋅』
その瞬間、青年の中から何かが込み上げてきました。自分でも何かは分かりません。それでも溢れてくる熱いものは止まらないのです。一向に止まる気配のない涙。止めたくても、止められません。
自分が愛したマリアという名の魔女のことを思い出すのに、時間は要りませんでした。魔女が消したのは記憶であり、想いまでは消えていなかったのです。
青年は魔女を抱き寄せました。そして先程のように、頭を撫でました。ですが、先程までのように宥めるわけではなく、長い間会えなかった寂しさを拭い取るように頭を撫でました。
青年は魔女の涙を目にしました。自分がいないことを寂しいと思ってくれる女性の姿を見ました。
青年は再び、魔女に想いを告げました。魔女の言い訳に、聞く耳など持ちません。ただ愛を込めて、魔女を抱擁しました。
「何度忘れても、私は君に恋をする」
青年は本当に何度でも魔女のことを愛するでしょう。
とうとう魔女は観念して、アーサーの愛を受け入れることにしました。
それでも魔女はどうしても聞いて欲しいことがあると、話を始めました。
自分が呪いによって、年を取ることも死ぬことも赦されず、永遠に生き続けている人間であり、自分と一緒にいる人間もまた呪いの影響で命を奪われるということを。かつて愛した人をそのために亡くしたということを。
マリアはその呪いを解くために魔法を勉強し、魔女になったのでした。
魔女は、愛した人を再び失うのが怖かったのです。だから魔法を使い、青年から自分の記憶を消し去り、距離を置こうとしたのでした。自分が彼のことを愛してしまえば、きっと彼のことを不幸にしてしまうと分かっていたから。
青年は魔女の手を強く握り締め、誓いました。
「自分が君を置いて死ぬことはあり得ない。必ず呪いを解く方法を見つけだし、君を幸せにしてみせる」
魔女の瞳からは、自然と涙が溢れていました。青年は優しく涙をぬぐい、笑って見せました。魔女も青年に釣られるようにして笑みを浮かべました。
その数日後、マリアにかけられた呪いを解く方法を探しに、青年は村を旅立ちました。
それから数年の歳月が流れた頃でした。突然、魔女は忌むべき存在として世間に認知されるようになり、魔女は人里から姿を消したのです。そして、魔女狩りが横行するようになり、関係のない人間の女性、またはそれを庇う者までもが、残酷な刑に処されるようになりました。
そして、その魔の手は、マリアにも迫っていました。
どこかから山の奥に住む魔女の噂を聞きつけた村人たちは、闇が深くなった頃に、松明の火を頼りに山奥へと進み、とうとう魔女の家らしき小屋を見つけました。
ーーーー冷たい床の上に転がり、マリアの体温は徐々に奪われていきます。
しかし、マリアにはどうすることもできませんでした。四肢は焼け焦げ、立つこともままなりません。
半壊したドアが開けられ、誰かがマリアに近寄りました。
マリアの残った片方の眼には一人の人間の姿が映っていました。
その人間はマリアのことを抱き抱え、その部屋をあとにしました。
マリアは人間に何かを伝えようとしますが、喉は潰されていて音など出るはずもありません。
マリアを抱えた人間が一歩外に出ると、そこ一体は灰に覆われていました。
「すまない⋅⋅⋅⋅⋅⋅私のせいだ。こんな姿になっても⋅⋅⋅⋅⋅⋅君は死ぬことを赦してもらえないのか⋅⋅⋅⋅⋅⋅」
その人間は、数年の間に一段と逞しくなった青年でした。
マリアは、涙を浮かべて謝る青年に、首を横に振りました。
青年はマリアをそっと灰の上に寝かせ、左手の薬指に指輪を嵌めたあと、懐から一本のナイフを取り出しました。
「これぐらいしか、私は君にしてやれない」
青年は取り出したナイフを翳し、そのまま振り下ろしました。しかし、ナイフはマリアの胸の上数センチの距離で制止し、彼はその手からナイフを放ってしまいました。アーサーの溢した涙がマリアの頬を伝います。
「どうして君ばかりが⋅⋅⋅⋅⋅⋅こんな目に遭わなくてはいけないんだ!!」
悔しさと、自分の何も出来ない弱さに、怒りにも似た感情が込み上げました。そんな青年の姿を目にし、マリアは口角を少し上げ、その焼け焦げた手で彼の涙を拭い、ナイフを指差しました。そして、喉を潰され掠れた音ぐらいしか出せない口を動かしたのです。『ありがとう』そう言っているように見えました。
アーサーはナイフを拾い、ナイフを持って震えた手をもう一方の手で押さえつけました。
「ーー次は、幸せになってくれ」
それから数日の間、血と灰と哀しみを洗い流すように、雨が降り注ぎましたーーーー。
これは、とある国に伝わるお伽噺の一部。
そしてこれから語られるのは、この物語の続きである。お伽噺ではない、人間と魔女、二人が選んだ途のその先にある物語。