夢のような夢
夢の世界に入り込んだと認識してしまう、不思議な世界。そんな世界で起こる不思議なお話。自分の素直な感情と、ただそこにある装飾のつかない事実に、実は大事な意味が込められている。
目を開けるとそこには、見知らぬ天井が広がっていた。見たこともないくらい白く、私の家のそれよりはるかに広かった。こんな真っ白な雲があったら、飛び込んで、抱きしめて、もう一生離さない。きっと柔らかくて、暖かいのだろう。こんな瞬間が永遠に続けばいいのに。夢と現実の境が、まだ宙を漂っている。そんなことをぼんやりと考えていたら、遠くで名前を呼ばれた。
「七海」
寝ぼけ眼でそちらを見ると、金髪の少年が立っていた。誰だろう。知らない部屋に、知らない少年。夢の続きかと思い、もう一度布団にもぐりこむ。
「もう八時だよ、起きて!」
そうやって半ば強引に布団から引きずりだされた私は、窓から外を見渡して、「あっ。」と小さく叫んだ。辺り一面に広がる緑、緑、緑。地平線のその先まで、建物はおろか、人影や樹すら見えない。鮮やかな緑。金髪の少年を押しのけて、思わず家の外に飛び出した。どこまでも続く草原の中に、ポツンとたたずむ小さな家。白いボックスのような形をしていて、驚くほど、この大自然に似合わない。人工的な香りがぷんぷんする。果てのない地平線のその先を眺めていると、
「ご飯出来ているよ。」
のんびりとした口調で少年が後ろから呼んでいる。動けずにいる私の袖は彼に引っ張られ、不安と焦燥と
好奇心をそこに残し、扉は閉められた。
「ここはどこなの。」
悠長にパンを口に押し込む彼に、私はやんわりと聞いてみた。
「ここはね、どこだろうね。」
真剣に考える風もなく、ご飯を口に運ぶことで忙しそうだ。仕方がないから私もご飯を食べた。私の手料理
よりもおいしいことに、少しむっとしてみる。こういう図太さというか、妙に肝が据わっているところが、こういう突拍子もない状況では役に立つようだ。自分のいいところだと思いたい。そんなことを考えていると、
「ピンポーン」
ドアのベルがなった。しばらく私と彼は視線を合わせていたが、私はリビングに彼を残し、人影のうつる扉の方へと向かった。すると、どこからきたのか、そこには小さな女の子が立っていた。辺り一面に広がる草原には、ほかになにも見当たらない。
「どうしたの。」
ちいさく屈んで、女の子に尋ねてみた。
「迷子になってしまったの。お母さんはどこ?」
今にも零れ落ちてしまいそうな涙をたくさん集めて、そのかわりに言葉を吐き出すような、そんな彼女を前に、私はたじろいでしまった。
「お母さん?きみはどこから来たの?」
わっと泣き出してしまった彼女に困惑した私は、金髪の少年に助けを求めようとした。しかし、さっきまでリビングでご飯を食べていた彼の姿がどこにも見当たらない。風の音、草花の声に包まれた朝のひと時はもうそこにはなく、ただ少女の悲しみだけが残されていた。何を聞いても彼女は答えないため、仕方がないから朝ご飯を一緒に食べることにした。キッチンにあった、甘いクッキーを添えて。
「・・・おいしい。」
金髪の少年が作ってくれたご飯のおかげだ。そんなことを考えながらやっと泣き止んでくれた彼女とすこしばかり言葉を交わした。
「君はどこから来たの?」
「どこからでもないよ。私はずっとここにいるの。」
「でも最初に外に出たときは、確かにだれもいなかったんだけどな。」
彼女がなにか言いかけた時、再びベルがなった。
「今度は誰だろう。」
私は女の子に待っているように言うと、ドアの方に向かった。するとそこにはまだ若く、すらりと背の高い女の人が立っていた。
「すみません。こちらに小さな女の子が訪ねてきませんでしたか。」
「あ、今家の中で一緒にお母さんを待っていたんです。どうぞお入りください。」
そういって女の人を招き入れ、リビングへともどると、さっきまで女の子が座っていたはずの椅子にはもう誰もいなかった。
「おかしいな。さっきまでここにいたのに。」
困惑してキョロキョロとしている私をよそに、女の人はその椅子に座り、
「きっとまた迷子になったのでしょう。すぐ戻ってきますよ。」
と言って、女の子が残していったお茶とクッキーをつまんだ。迷子なのに戻ってこれるのかな、そんなことを思いつつ、私も椅子に腰掛けた。
「あなたはどこから来たのですか。」
私は女の子にした質問を、彼女にもしてみた。
「どこからでもありませんよ。私はずっとここにいます。」
小さな女の子と同じ回答が返ってきた。私はそれが何を意味しているのか、さっぱり見当もつかなかった。
「困ったなあ。ここはどこなんだろう。」
「どんなにでこぼこに見える世界でも、じつは思ったより平坦であって、そこに自分でいろんな建物を建設しているだけなの。それがログハウスであり、アスファルトの道路であり、同じこと。分からなければ心をまっさらにして歩いてみればいいじゃない。」
私はじっと彼女を見つめていた。すると、再びベルがなった。
「ただいま。」
そこには金髪の少年が立っていた。私は急いでリビングに戻ると、やはりあの女の人はいなくなっていた。
「どこに行っていたの?」
私は少年に詰め寄った。
「どこにも行っていないよ。僕はずっとここにいるよ。」
「嘘。今、外から帰ってきたじゃない。」
「そうだね、外から、帰ってきたよ。」
そういって笑うと、家の中に入っていった。
そこはいつもの天井だった。少しくすんだ白で、やはり狭い。私はいつものように起きて、おいしくもない朝ご飯を食べて、いつものように家を出た。
いつも通りの、私の世界へ。
自分が知らないと思う人も、ものも、そう思い込むのは忘れているだけなのかもしれない。きっと一生で抱えられる思い出はほんのひと握りなのだろう。そしてその思い出には、悲しいことも楽しいこともごちゃ混ぜになった、幸せな世界がある。出会いと別れを繰り返すけれど、そのどれもが自分自身を形作っている。別れたと思い込んだ人も、不思議な縁で繋がっており、思いも寄らず再会する。でもそれはきっと、記憶の中から一瞬消えただけであり、ずっと私の中にいたもの。悲しみも喜びも、すべて抱きしめて、生きていきたいと思う。