日本に異世界転移してしまった錬金術師
「成功だ、成功したぞ。おおお、これで! ついに!」
私の目の前で顔に皺の入った人物が興奮して何か言っている。この人物、もしかして老化か? 老化を治療せずに老いるに任せているのか? 自然主義者か?
足下には見たことも無い魔術陣がある。ざっと見て召喚と従属にパターンは近い。
我が家で相剋根源波動の研究をしていたところ、突然に干渉を受け、目眩から覚めると私はここにいた。ここは何処だ?
目の前の御老体は黒い本を片手に、私にもう片方の手を向ける。
「偉大なる方の御名の下、ワシと契約せよ、悪魔!」
「……悪魔? 私は悪魔では無いのですが?」
「いや、お前は悪魔だ! ワシと契約しワシの願いを叶えるのだ!」
「半端な界面干渉で上位の悪魔と契約というのは、止めた方がよろしいでしょう」
「悪魔よ! ワシと契約を結べ! ワシの魂と引き換えにワシの願いを叶えろ」
聞いてやしねえぞ、この御老体。私を悪魔だと? 私はカートルーフ国、一級錬金術師、イスルクラセオだ。けっして悪魔では無い。無いのだが、目の前の御老体の目が狂気に輝いているので、少し怖い。下手に刺激しない方が良さそうだ。
「どうした悪魔? 応えろ。ワシに従え。悪魔の真名をワシに教えろ!」
どうやら不完全な世界面干渉で私はここに呼び出されたらしい。もとの世界に戻るにもここの座標が解らない。
「応えろ悪魔! えぇと、従属、従属させるのは、この本は字が小さいのぉ」
御老体は眼鏡を取り出して顔にかけ、黒い本を顔に近づけたり遠ざけたりして読もうとしている。
眼鏡をファッションでは無く、実用品として使っている? 奇妙な人物だ。
少し訊ねてみよう。
「悪魔を召喚して何をするおつもりか?」
「復讐だ! ワシを貶めた、人の心を無くした外道に復讐するのだ!」
「復讐、その為に悪魔を使おうと。その代償はご存知ですか?」
「ワシの復讐を叶えられるのなら、ワシの魂をくれてやるわい!」
目が尋常では無い。発言が狂気に囚われていて、正気とは思えない。これは論理的に会話をすることは難しそうだ。
観察してると興奮し過ぎたのか、ゲホゲホと咳き込み膝をつく。呼吸が苦しそうだ。
仕方無い。私は御老体に近づき背をさする。軽く治癒に鎮痛、気管の筋肉の収縮を弛緩させ気道を確保。呼吸を回復、と。
御老体が驚いて私を見ている。
「ば、バカな? この封印の魔方陣の外に悪魔は出られぬはず、」
「私は悪魔では無いのですが」
「そんなはずは無い! この本の通りにすれば悪魔を呼び出して願いが叶うのだと! お前は悪魔だ! 悪魔なのじゃー! ゲホゲホッ!」
「あー、ハイハイ。落ち着いて下さい」
とりあえずはこの御老体から情報を聞き出すこととしようか。その為には、この御老体の狂気に乗ってみよう。否定して興奮させるとポックリと逝ってしまうかもしれない。
「はい、私は悪魔です。凄く上位の悪魔なので、こんなものでは封印できませんよ」
「ぬうう、封印から出て自由にできるのならば、どうやってワシの言うこときかせたらいいのか」
「私の、この悪魔の知りたいことを教えてくれたら、御老体の言うことをききましょうか。ただし、私のできる範囲内でね。まずは御老体、横になって休みましょう。興奮し過ぎです」
「むむ、悪魔のくせにワシをいたわるのか」
「悪魔はそうやって人の心の隙間に忍び込むのですよ」
「そうか! ワシは簡単には騙されんぞ!」
「ハイハイ、御老体。ベッドは何処ですか?」
御老体を布団に寝かせる。小さな一軒家にこの御老体は一人で住んでいるらしい。
御老体の世話をして、名前を聞き出し、この世界のことについて話してもらう。
「この世界の名前は地球、そしてこの国の名前が日本、と。聞いたこと無いですね。そしてあなたの名前が、昔庭英雄、76歳と」
「そうだ。お前はなかなか礼儀正しい悪魔だな? えぇと、イスルクラセオ?」
「はい、イスルクラセオ、186歳です」
「随分と若く見えるが」
「悪魔ですから」
「そうか、だが、これで悪魔の真名を知ったぞ。これでお前はワシの下僕に」
「あー、ハイハイ、そうですね。でも雑な召喚のせいで私はこちらのことがよく解りません。御老体の願いを叶えるには、こちらの世界の情報が必要ですね」
「む、そうか。それならそこのパソコンを使ってインターネットでも。あとはテレビがある」
いろいろと調べて、この世界の座標が解ればもとの世界に帰ることもできる。調べる間はこの御老体の家に住まわせてもらおう。
と、なれば悪魔の振りをして、御老体の御機嫌をとることにしようか。
もとの世界には無いトラブルに巻き込まれ、不安もあるが。怪我も無く、身体は無事。未だ誰も知らない未知の世界に来たことに、少し楽しくなってきた。
台所を調べてみる。この世界の技術水準はあまり高くは無さそうだ。
「む、ソーメンか」
「はい、このくらいの料理ならできますので」
「悪魔のソーメン、か」
御老体とふたりでソーメンをチュルチュルと食す。あまり美味しくは無い。この世界の食材はあまり良いものでは無いらしい。
食べながら御老体に聞くとしよう。
「悪魔の力で復讐したいと」
「そうだ、ワシの生涯を壊してくれたものに、復讐するのだ」
「ほほう、詳しく聞かせて下さい」
「ワシは今でこそ落ちぶれてしまったが、これでも政治の世界で生きてきた……」
昔庭英雄という御老体は日本で官僚という職についていたという。それなりに権力を持ち、資産を稼ぎ、わりとやりたい放題やってたらしい。それが猥褻事件を起こして追放されたと。
「事件を起こし職を追われ財産を失った、と」
「ワシは猥褻事件も盗撮もしとらん! 証拠を捏造されて冤罪で追われたのだ!」
「冤罪ですか?」
「そうだ。冤罪だと裁判で晴らす前に職を追われた。その上、娘の婿に裏切られ、ワシの財産はその男に奪われてしまった」
「その娘婿に復讐したいのですか?」
「いいや、ワシの恨みはその男一人で晴れるものでは無い。ワシが復讐したいのは法律だ」
「法律ですか?」
「そうだ。無実の罪で人を貶め、これまでワシが稼いできたものをあの男が奪う。それを合法だと認める、この国の法律に復讐したい。いいや、この国のみならず、世界中の法律を無くしてしまいたい。法律が人の心の善悪の判断を歪めて、人を貶めて狂わせる。世界中の法律をこの地上から無くしてくれ」
「法律、ですか。難しいですね」
「悪魔でも難しいか?」
「上手くできるかどうか、調べる時間が欲しいです。復讐の相手は法律ですか? あ、少し待ってて下さい」
御老体はよく食べる。そうめんを新しく茹でて追加を作る。
「お待たせしました」
「悪魔というわりに、庶民的じゃの」
「そうですか? それで私はこの地上から法律を無くせば良いのですか?」
「復讐の相手はもうひとつ。金だ」
「金ですか?」
「金を稼ぎ、金持ちになれば幸せになると思っていた。ワシの生涯はそれに費やしたようなものだ。それが金を稼げば、その金を狙って下らん奴等がハエのようにたかってくる。そいつらを相手に心休まる時も無く、挙げ句にワシの稼いだ金は、財産は、ほとんど奪われてしまった」
「それはそれは、残念というか災難というか」
「金が人を狂わせる。金の価値が他の価値を消していく。金に踊らされていろんなものを見失う。ならば金をこの世界から消してくれ」
「これもまた難しいですね」
「やってくれるか、悪魔イスルクラセオよ」
「できるかどうか。こちらの世界、地球と、この国、日本について調べてみないと」
「ワシではどうにもならん。悪魔にでも頼らんと、ワシの復讐は果たせそうに無いんじゃ。頼む、やってくれ」
「まぁ、できるだけやってみますよ」
「おぉ、やってくれるか。悪魔イスルクラセオよ」
「ソーメン、お代わりは?」
「いや、もういい。ごちそうさま」
言うだけ言ってスッキリしたのか、御老体は肩を落として少し縮んだように見えた。この屋敷の中の物は好きに使っていい、と許可を得た。
しかし、金に法律、とは。
この日本はどうも技術水準も文化水準も低い未開の蛮人の住む国のようだ。
インターネットというのは私のもとの世界のマギライブラに似ている。ただ、マギライブラほど整理されてもおらず、使いにくい。やたらと広告がある、という辺り、広告というものがまだある文明水準か。
どうやらこの世界に私の世界のような魔術は無いらしい。化学というのは錬金術に似ているか。
魔術が無いためなのか、技術水準は低い。あの御老体が極端な自然主義派ということでは無く、この日本では未だに老化を克服していない。
その為に80、90という年齢で高齢者などと呼んでいる。
私の世界では寿命は300歳前後で老化は既に治療可能な病気のひとつ。寿命で死ぬときも若い肉体のままだ。老化した年寄りなど極端な自然主義者でしか見たことは無い。
日本では医療の分野はまだそれほど発展していないようだ。
技術水準が低いこともあり、法律は細かく多い。これはこの日本で住む住人の知識水準が低く、個人で善悪の判断ができない者が多いからだろう。その為に法律が多くなる。しかしその法律も利益を守ることを優先としているようで、全てが十全に活用されてはいない。
個人の寿命が短いことが学習時間の少なさと、個人の知能及び判断力を低下させているのだろうか?
また、この日本では魔術も無ければスキルも無い。そのために前時代的な貨幣を使っている。御老体からサンプルとして貨幣に紙幣をいくつか貰っている。これでこちらの世界での服など買え、ということらしい。
紙の金にはこの国の過去の偉人の顔が描かれる。貨幣に紙幣など、私の世界では未開の野蛮人しか使ってはいない。
鑑定スキルがあれば物の価値は誰でも解る。芸術的な価値、文化的な価値はまた別の知識が必要だが、物質としての価値は鑑定スキルさえあれば一目瞭然。
誰もが鑑定スキルを持っている世界では貨幣など不要。物々交換に労働報酬などは、全て物質で得る。いちいち貨幣や紙幣に交換するという無駄が無い。
更には貨幣を製造するという資源の無駄使いも無ければ、貨幣の総量をコントロールし、ニセ金を警戒するなど、余計な手間も必要無い。
この日本ではニセ札を海外にばら蒔くというのが経済活動のひとつ、というのもよく解らない。
貨幣と紙幣の価値を信用する社会とは、取り引き、交渉をする目の前の人物を信用せずに、金の価値を信じるということ。
何より取り引きする人物が物の価値を解っていない無知であること。
無知と不信が金の価値を信用する、という状態を作る。なんとも寂しく虚しい社会だ。
相手を信用できるかどうかを見抜く目と、物の価値を正確に測る鑑定眼を国民全てが持てば、貨幣も紙幣も必要無いのだが。
この日本はまだ文明として未熟なのだろう。
だが、どうにもこの日本という国の技術水準は奇妙だ。
「今晩は、うな丼か」
「夏のこの時期はスタミナ回復に良いと聞きまして」
「悪魔のうな丼、か」
御老体と二人でうな丼を食べる。農耕も輸送もレベルの低い日本では入手できる食材のレベルも低い。その代わりに素材の味を誤魔化す為の料理技術だけは進んでいる。不味いものを如何に美味しく食べるか、という奇妙な進歩をしている。
もとの食材の汚染はあまり気にしないらしい。ありとあらゆる面で中途半端に見える。
御老体が聞いてくる。
「どうだ? ワシの復讐は上手く行きそうか?」
「難しいですね。私がこの日本のことをもっと良く知らなければ、方法も思い付きません」
「では、明日は図書館にでも行くか」
図書館にインターネットでだいたいのことは解ってきた。日本の技術水準の奇妙なちぐはぐさが。
この国では幼少期から子供を幼稚園や小学校に預けているのだ。信じられないことに。
私の世界ではある程度の年齢となれば集団行動を体験するために、塾などに預けることもある。
しかし、主義や思想などの根源を形造る幼少期に教育を他人に預けるなど、狂気の沙汰としか思えない。
知識も技術も経験も親から子へ、子から孫へと受け継いで行くもの。それを他人任せにするとは。
それではまるで、自分の血を引く我が子に伝えるべき知識の積み重ねも、教えるべき技術の研鑽も、まるで無価値と放り出すことに等しい。
引いては己の価値を無いというのと同じだ。
伝えるべき物をリセットする行為。なるほど、この日本で文明の発展が遅いのはその為か。
我が子に知識と技術を伝え、親が達成しえなかった研究を子が引き継いでいく。我が子に己の生涯で得た経験を伝え、世代を重ねて進歩する。それに価値を見出だせなければ、なるほど、少子化ともなるだろう。
そして科学技術でも底上げをしようとはしない。その為に、まれに産まれる天才が技術を発展させるが、使う人間に知識は無い。
この国では電気をエネルギー源としているが、その発電所が爆発し汚染が広がることも、便利な生活の維持の為、と受け入れている。
無知な猿に雷精石と起動術式を与えて玩具にさせるようなものに近いか。いずれ感電して死ぬことになるが、当の猿は知識が無いからそれを予想することができない。
知らないのだから仕方無い、と、扱い切れない危険なものを使うことをやめない。やめられない。
なんとも恐ろしい国に来てしまったものだ。
「お、何を始めたんじゃ?」
「錬金術で黄金を作っています」
調べてみたところ金の価値を支えるのが黄金のようだ。希少金属であり、加工はしやすく腐食に強い、抗菌作用もある、純金。この世界の人達はこの黄金に別の更なる価値を与えている。
「なので黄金を大量に作り、一斉に市場に流し黄金の価値を暴落させれば、世界の金の価値もまた暴落するかと」
「おお、そうか。よし、頑張ってくれ悪魔イスルクラセオよ」
「はい、それと今晩は茄子と豚肉の炒め物でいいですか?」
「うむ、悪魔の晩餐は旨いからの」
もとの世界に戻るにも、未だに現在地の座標が割り出せない。妨害がかかっている。
あの御老体の呪いか、それとも執念か。召喚の際に契約がかけられている。
御老体の願いを叶えないと私はもとの世界に帰れないらしい。
茄子と豚肉の味噌炒めを作りながら、この世界の金と法律を無くす手段を考える。
この地球という世界に住む人達も、ボタンをかけ違ったところまで戻って、やり直さないと滅ぶだろうし。
金という魔王と法律という邪神を滅ぼすまで、私はもとの世界に帰れない。
まいった。