8話 天才、戦う
購買部が迫り来る。
「二人とも、逃げなさい!」
マルギットが、するどく叫んだ。
同時に、女神のように慈愛あふれる表情のまま迫っていた購買部が、なにかにはじかれたように後退した。
「ここは私が、止めるから!」
ユータが振り返れば、マルギットが右手を突き出していた。
その右手の平には複雑な模様が浮かび上がっていた。
魔法だ。
手の平に浮かび上がる模様の色で、属性がわかる。
緑色なので、風の魔法なのだろう。
なにぶん一瞬のことだったので、どういう魔法かまでは、わからなかった。
学園教師であるマルギットの魔法は、相当な威力になるのだろう。
だけれど――
「――確保。確保。確保。確保」
はじき飛ばされた購買部が、狂った抑揚でつぶやきながら、また、せまってくる。
ぜんぜん、効いている感じがしない。
「マルギット先生、あいつに魔法は効くんですか?」
「ちょっとは効くみたい。でも、昔、討伐しようとして、学園の全員で魔法を放ったこともあったけれど、だめだった――と、データにはあるわ」
「……」
「その時、私も学生だったから、記憶にもあるわ。……あいつと私はね、ちょっとした因縁があるのよ」
「因縁?」
「ええ。昔――少しスカートの丈を短くしていただけで、『脱ぎ散らかされている』と判断されて、服を奪われたことがあるの」
「判定、厳しくないですか?」
「あいつはほしい服だったら、なんでも『脱ぎ散らかされている』と判断してるみたいなところ、あるわ」
「……」
「とにかく、逃げなさい。ナナさんの、攻めた衣装が、どうやらあいつに気に入られたみたいだから。あいつは一度気に入った衣装だったら、どんなにしっかり着てても、必ず奪っていくわ。私の時みたいに……」
もはや『脱ぎ散らかされているかどうか』は関係なさそうだった。
そうまで自由に服をはいでいく事実があるのに、なんで『脱ぎ散らかされている服を奪っていく』というようなデータになっているのか、ユータの知力1000000をもってしてもわからなかった。
「シラギくん、女の子に恥ずかしい思いをさせては、だめよ」
「……」
「だから、ナナさんを連れて、逃げなさい。私がどうにか、食い止めるから」
「……でも」
「だってあなた、まだ、魔法を習っていないでしょう? ……大丈夫よ。あいつに勝つために、私は、高い知力をもって、色々考えているんだから」
そう言うと――
マルギットは、ばさぁ! と白衣を脱ぎ捨てた。
中から現れたのは、水着だった。
真っ黒な、露出度の高い、水着だ。
なんで急に脱ぎだしたのか、ユータが困惑しつつも、マルギットの見事なプロポーションに視線を奪われていると――
購買部に、動きがあった。
「――露出度の高い衣装を発見しました。確保優先順位を変更します。入学式衣装ガチャの目玉を変更。衣装の確保に移行します」
どうやら、ターゲットを変えたようだ。
マルギットが「ふふん」と得意げに笑う。
「お前のデータは、すでに集めていたのよ。お前は――露出度の高い服を優先して奪う傾向にある! そのための、セパレート水着よ!」
『入学式衣装ガチャ』という単語と、『水着』のあいだに、いかなる関連性があるのか、それは誰にもわからないが――
さすがはデータ派のマルギットである。傾向と対策は万全だ。
「お前に服を奪われたあの日から、お前を倒すために対策は練ってきた! さあ、あとは私を狙うお前を倒せばいいだけ!」
「す、すごい! さすがです、マルギット先生!」
ユータは思わず賞賛した。
ちょっと興奮しているのは、マルギットの露出度が高いからだけではないだろう。
「マルギット先生、それで、あいつをどうやって倒すんですか!?」
「ふふ。それはね、データがないわ」
「……」
「あいつを倒したことがある人が誰もいないんだもの。倒し方のデータなんか、とれないに決まってるでしょう?」
「じゃあ、ここからどうするんですか?」
「困ったわ……私、データにないことは、苦手なの」
「……」
購買部がホバリングしながらせまりくる。
マルギットは魔法を放つために右手を突き出しながら、
「逃げなさい、シラギくん。私が全裸になったら、次はナナさんが剥かれるわ。だから私が時間を稼いでいるあいだに、少しでも、人から見られず、着替えのあるような場所に……!」
「でも!」
「大丈夫よ! 今は、周囲に人がいないもの! 誰にも見られなかったら、恥ずかしくないわ! それに、白衣があるから、私はどうにでもなる!」
魔法を放つ。
風属性の、弾丸を撃ち出す魔法のようだ。
購買部に当たれば、購買部ははじかれて下がるが――
姿勢をもちなおすと、なにごともなかったかのように、向かってくる。
このままでは、マルギットが力尽きたら、それで終わりだ。
ユータは知力1000000なので、今後の展開をハッキリ思い浮かべることができた。
襲い来る購買部。
力尽き、へたりこむマルギット。
購買部の白い指が、マルギットの着た露出度の高い水着にかかり、そして――
「――女の子に、恥ずかしい思いをさせては、いけない」
ユータは、逃げないことにした。
そして――
「マルギット先生」
「なあに!? いい加減に、逃げてほしいのだけれど……!」
「僕に、魔法を教えてください」
「今じゃないとダメかしら!?」
「ダメです。だって――購買部を倒すのに、魔法を使いたいから」
――魔法の威力は、知力のステータスによって決まる。
だから、『国家最高の知力を持つ学園』では、主に魔法を教えることになっている。
……そこの教師であるマルギットの魔法は、どうやら効いていない。
そもそも、以前に行ったという、『学園にいるものすべてでの一斉攻撃』も、効かなかったという話なんだから、当たり前だろう。
――でも、知力1000000の魔法なら?
購買部に対する総攻撃の時に、いったい何人が戦闘に参加したのか、それは知らない。
だけれど――学園長でさえ、100かそこらなのだ。
きっと総攻撃時の全員ぶんの知力を合わせたって、1000000には及ぶまい。
「先生、お願いです。僕なら、やれるかもしれません」
「でも……」
「がんばるのは、たしかに怖いですけど……」
「?」
「でも、なんか、無理なんです。見過ごせないんです。お願いします」
しばし、沈黙。
マルギットはせまりくる購買部を、魔法を一発撃って遠ざけてから――
「……初歩の『弾丸を撃ち出す魔法』は、まず、手のひらを相手に向けて」
観念したように、言う。
ユータは状況を理解できていないナナを背負ったまま、言われた通りにした。
「次は?」
「手のひらに、熱を集めるイメージをして。そうしたら、あとは、放つだけよ。属性は、勝手に決まるわ」
「放つ……」
「『なんのために、魔法を使うのか』――それを考えて。残念ながら、これは個人差があるから、ハッキリ『こうすればいい』っていうデータはないの。あなたの中の、一番強い気持ちが、あなたの力を、相手にとどけるわ。……知的でない説明で、ごめんなさいね」
一番強い気持ちはなんだろう?
考える。
一生懸命、考える。
考えてもわからないことはたくさんあった。
たとえば――『なぜ自分は、他者とうまくやれないのか』ということ。
正しいことを、してきたつもりだ。
よく考えて、話してきたつもりだ。
でも、ユータの言葉が相手にとどくことは、なかった。
仲良くしたくて、相手のためを思って、そうして口から出た忠告は、いつでも『よくわからない、おかしなことを言っている』と思われてきた。
知力が高いと言われたけれど、ユータは自分をそうは思わない。
だって、人と仲良くする方法が、どんなに考えても、わからないから。
知力1000000――バカみたいだ。
そんな数値はいらない。
そんな数値で人の可能性が決まるなら、『賢い』自分は、もっとずっと、うまくやれてきたはずだと彼は思っている。
だから――学園に来たのは。
賢いと思われたいわけでもなくって。
一番になりたいわけではなくって。
因縁のある相手がいるとかいうことでも、なくって。
ただ、ただ――
「……ナナ、マルギット先生」
二人が首をかしげたのが、わかる。
――ああ、お腹の底が、寒い。
自分でもわかるぐらい、緊張している。
客観視すれば滑稽なぐらい、恐怖している。
勇気がないから、こんな時でもないと、言えないけれど――
「僕は、二人を、友達だと思ってもいいかな? 僕は――友達のために、がんばって、いいのかな?」
――人のために行ったすべてを、人に理解されずに生きてきた。
それでも、彼の中の一番強い気持ちは、『誰かのためになりたい』というものだった。
「「がんばって」」
二人の声が、重なる。
――手のひらでため込まれ続けた熱が、放たれる。
敵に向かい一直線に撃ち出されるのは、金色に輝く弾丸だ。
――光。それが彼の属性。
夕闇に染まる世界を裂いて飛ぶ一条の光弾が、あやまたず敵へと吸い込まれていく――その光景を、彼はスローモーションのように知覚していた。
命中する。
瞬間、光が弾けた。
夜へとさしかかる世界に、本日二度目の朝日がきらめく。
彼の放った光弾は、爆ぜて、爆ぜて、大きく大きく、世界そのものを真っ白に染め上げていき、そして――