5話 天才、医務室へ行く
『シラギくん、それは、医務室に連れて行くべきじゃろう。人が倒れたら、医務室に連れて行けば、たいてい、なんとかなるもんじゃ』
「なるほど。さすがです、学園長先生。助かりました」
『いやいや。君が学園の施設をちゃんと知っていれば、すぐに導き出された結論じゃろうな。しかし、知力1000000の君にものを教えるというのは、なかなか、気持ちがいいものじゃ。自分の頭が、よくなったように感じる』
「はい」
『ついでじゃから、ナビを送ろう。この学園は天才しかおらんが、みんな、道を覚えるのは苦手じゃからのう。みんな、学園内マップをインストールしたナビ妖精を持っておるものじゃ。君も、入学後渡されるじゃろうが……今は、ワシのナビに案内させよう』
医務室についた。
おっきな学園にあるだけあって、おっきな医務室だ。
壁も天井も真っ白な中に、たくさんのベッドが並んでいる。
ベッドも真っ白だし、家具類も真っ白だから、ちょっと目が痛い。
「あら、新学期も始まってないのに、あわてんぼうがいるみたいね」
ユータが部屋のまぶしさに目を細めていると――
女の人の声が聞こえた。
そちらを見れば、白衣をまとって、メガネをかけた、人がいる。
あの頭の後ろの方で貝みたいにうずいまいた髪型と、エロい雰囲気には見覚えがある。
たしか――
「マルギット先生、ですか?」
「……ああ! あなた、シラギくんね!」
マルギットは、すぐにユータを思い出した。
さすが、天才だらけの学園で、メガネをかけているだけのことはある。
メガネは知能の象徴なので、知能に自信がなければかけない。
メガネに恥じない知能はあるようだ。
「マルギット先生、医務室の先生だったんですね」
「そうよ。医務室担当は、教師の中でいちばん頭がいい人がやるの。だって、白衣を着なければいけないからね。白衣を着ていると、頭がよさそうに思われるもの。人が感じる印象に恥じない知能が必要で、真の知能がない人は、やりたがらないのよ」
白衣とメガネ。
なるほど、たしかに、どちらも身につけるだけで頭がよさそうに見える。
普段からこんな頭のよさそうな格好をしていれば、さぞかしプレッシャーがかかるだろう。
マルギットは、とても自分の知能に自信がある女性のようだった。
「それよりもシラギくん、その背中にかついでいる子はどうしたのかしら?」
「この子はナナっていうんですけど、僕のクラスメイトで、倒れちゃって……」
「まあ、大変! ちょっとベッドに寝かせてあげてくれるかしら? まだ新学期前だから、どこも空いているし、好きなベッドを選んでいいわよ」
好きなベッドを選べと言われても、違いがよくわからない。
みんな清潔で、みんなシーツにはシワの一つもなく、ちゃんとベッドメイクされている。
ユータは一番近くにあったベッドに、背負っていたナナを横たえた。
「マルギット先生、寝かせました」
「はい、ありがとう。それにしても、気絶した女の子をかついで来るだなんて、シラギくんは頭がいいだけじゃなくって、力もあるのね」
「……実家は畑をやってましたから。ナナは、小麦の袋より軽いですよ」
「まあ、袋より軽いの? それはだいぶ、生き物感ないわね……」
「小麦の入った袋より軽いんです」
「ああ、そういうことね。それはまあ、小麦なんて、好きなだけ入れられるから、その子より重く小麦を入れた袋よりは、軽いでしょう。でも、軽いと言われて喜ばない女の子はいないし、いい気遣いができているわ。まだ若いのに、紳士ね」
「いえ、そんなことは」
常人ではなにひとつ理解できないような、頭のいいトークをしてしまった。
その後、二人とも話すことがなくなったのか、並んで、ベッドに寝ているナナをジッと見て、黙っていた。
しばらくして――
ユータが、問いかける。
「……あの、マルギット先生、ナナの治療とか、なさらないんですか?」
「あら、彼女、病気なの?」
「突然倒れたんです。たぶん、寝不足と栄養不足が原因だと思うんですけど」
「シラギくん、あなたは頭がいいかもしれないけれど、それでも、倒れた人の病状を軽々に判断しては、いけないわ。きちんと医者に診断してもらわないと……知力ではなくて、知識が、ないのだからね」
「なるほど……勉強になります」
「これでも、先生ですから」
「じゃあ、お願いします」
「うん?」
「……あの、ナナの症状を判断していただきたいんですけど……」
「シラギくん、私はね、医務室担当だけれど、医者ではないの」
「ええええ!? どういうことですか!?」
「私はこの学園で、二番目に……あなたが来たから、三番目に頭がいいの。だから医務室担当なんだけれど、別に医者ではないのよ」
「えっ、すいません、ちょっとよく呑み込めないんですけど……」
「あら、知力1000000なのに? ……なるほど、私の説明が悪かったのね」
「……いえ、その……」
「いいのよ。私もまだまだ、勉強中だもの。あのね、うーん、わかりやすくなるよう、がんばるから、ちょっと時間をちょうだいね」
「はあ……」
少し、沈黙。
マルギットはメガネの位置を直したり、大きな胸の下で腕を組んだり、そこらを無意味っぽく往復したりして――
「シラギくん、私は、頭がいいわ」
「……はあ」
「医務室は、頭のいい先生が、担当するのよ」
「……はい」
「だから、私は医務室を担当しているわ」
「はい」
「でも、別に、医者ではないわ」
「…………えっと、医者はどこに?」
「まだ新学期が始まってないから、来てないわ。一週間後ぐらいに来るかしら」
「呼んでいただくことは、できないんでしょうか?」
「……なるほど、医者を呼んでほしかったのね。ようやくわかった。シラギくん、あなたは頭がいいから、一つのことを聞いて全部察することができるかもしれないけれど、私たちは、あなたほどの知力はないのだから、ハッキリ言ってくれないと、わからないわ」
「…………気を付けます」
「でも、医者を呼ぶよりいい方法が、あるわ」
「……そうなんですか?」
「ええ。この学園で、生徒や教師の治療は、『回復用ポッド』で行うの」
「でも新学期が始まったら医者が来るんですよね?」
「ポッドの数には限りがあるし、『回復用ポッド』はあんまりみんななじみがないから、生きてる医者がいた方が、安心するのよ」
「なるほど……」
「あと、生徒の大半は、『回復用ポッドで治る』と言われても、うまく理解できないの」
「……そうでしょうか?」
「だって、意味がわからないじゃない。『ポッドで治る』ってなによ? 私の故郷の村では、病気は『まじないし』が治すことになっていたのよ。それがいきなり『ポッド』って。人ですらないじゃない。あんなまあるい大きな容器に入っただけで、人が治るなんて、イメージわかないもの」
「……」
「でも、治るわ。ポッドを使用して、そのあと、苦痛をうったえた生徒は、皆無よ」
「みんなちゃんと治ったんですね」
「苦痛をうったえた生徒が、皆無なの」
「……治った、という意味では?」
「知らないわ。ただ、これまでの医療記録のデータには、『苦痛をうったえた生徒は皆無である』って書かれてるだけよ」
「いえ、しかし……」
「シラギくん、いい? 『知能』っていうのは、『頭に入っているデータの正確性』なの」
「……」
「『苦痛をうったえた生徒は皆無である』――それはひょっとしたら『ちゃんと治った』という意味なのかもしれないわ。でも、データに書かれている言葉を自分の解釈で勝手にゆがめるのは、よくないわ。だから私は、データ通りに、言うのよ」
「なるほど……ちなみに、先生が医務室担当になってからポッドを使用した生徒は、みんなきちんと治ったんですよね?」
「治ったわ」
「じゃあ、彼女をポッドに入れてください」
「わかったわ。じゃあ、出て行ってくれるかしら?」
「なんでですか?」
「ポッドに入る時はね、全裸にならなければならないの。男の子に見られたら、恥ずかしいじゃない」
「……ああ、なるほど……すいません、配慮が足りずに」
「いいのよ。あなたはポッドのことを知らなかったのだから。でも、彼女……ナ、ナ、ナ……なんとかさんがポッドに入ったら、目覚めるまで、一緒にいてもらってもいいかしら?」
「わかりました」
「ありがとう。助かるわ。ポッドに入れられて目覚めた子は、ものすごく混乱して、中からポッドをガンガン叩いたりするから、なだめてほしいのよ」
「……なんでそんなことを」
「目覚めていきなり知らない容器に入れられてたら、怖いじゃない」
「なるほど」
「でも、ポッドはすごく頑固だし、頑丈だから、治療が終わるまで絶対開かないの。開くのは、中の人の治療が不要になった時だけなのよ」
「まあ、医療器具ですからね……でもきちんと治るんですよね?」
「データによれば、苦痛をうったえた生徒は皆無よ」
「ちなみにですけど、ポッドに閉じ込められた精神的苦痛については……」
「『精神』と呼ばれるものが本当に実在するかどうか、データにないわ」
知的な会話を終えて――
ようやく、ポッドによる治療が始まった。