4話 天才、クラスメイトと会う
「あなた、頭が悪いわね!」
宿舎に入ったユータを待ち受けていたのは、そんな言葉だった。
びっくりした。
ユータは今まで、建物に入ったとたん『あなた、頭が悪いわね』と言われた経験がなかったのだ。
言ってきた相手は、目の前にいる女の子だろうと、知力1000000のユータは素早く判断した。
だって『Fクラス宿舎』は仕切りのない一階建ての建物なのだ。
だだっぴろいだけの空間が、一つあるだけだ。
そして、入学式前だから、ほんとに、誰もいない。
いるのは、学生寮の入口そばで、腰に手を当てて立ちながら、人差し指をユータに向けてくる女の子だけである。
よって、この女の子が、ユータに声をかけた相手だと、導き出される。
常人ではまず不可能なほどに難解な推理をピタリと的中させつつ――
ユータは、女の子を見た。
男の子が女の子を見る時、まずは胸のあたりに目がいってしまいがちだが、ユータだって、男の子なので、そうなった。
でも、それも一瞬だ。
だって平べったくて、見るほどの胸はなかったから。
次に顔を見ると、なんだか気が強そうだなあ、という印象だった。
まあ、気が弱かったら、人にいきなり『あなた、頭が悪いわね』とは言わないだろう。
気は強いと思われる――ユータは論理的に帰結した。
でも、怖くはない。
なんでだろうなあと考えてみたら、たぶん、その子の体がちっちゃいからだろうと、ユータの1000000の知力は導き出した。
頭の高さが、ユータの胸ぐらいまでしかない。
ユータだって大きいわけではない。むしろ同年代の同性と比べたら、背が低い方だったような気がするから、たぶん、女の子はけっこうちっちゃいんじゃないだろうか。
実際に、制服のうえに身につけているマントは長すぎるみたいで、裾を引きずっていた。
そうだ、制服というのがこの学園にはあるのだ。
ユータも着ているコレだ。
『ブレザー』と呼ばれる古代服で、世間では古くさすぎてあんまり見ないタイプのアレだ。
この世界を作った神さまが、まだこの世界を見捨てていなかったころ、神のあいだで人気だったという伝説がある――ユータは知識もあるので、そういう情報を知っていた。
男の子はズボンをはくけれど、女の子は、スカートをはく。
このスカートが、やっぱり世間ではあんまり見ないぐらい、短い。
走ったらパンツが見えるレベルなのだった。
でも、これは別に、女の子が痴女なわけじゃない。
伝統的でマナーに沿った着こなしをすると、女の子はスカートが短くなるのだ。
女の子は素足に靴をはいていた。
靴下をはくことも伝統的でマナーに沿った着こなしのはずなのだけれど、女の子のマナー的バランス感覚は、ユータにはよくわからない。
素足に靴をはいて、ミニスカートのせいで細い生足が向き出しで、ブレザーの前ボタンをきっちりしめて、肩につけたマントを引きずっている、背の低い、気の強そうな女の子。
長い金髪を頭の左右でまとめた彼女は、しばらく、ユータを指さしたままの体勢でジッとしていた。
「あなた、頭が悪いわね!」
しばらくして、女の子は繰り返した。
ユータは首をかしげる。
「えっと、僕はどういう反応をしたらいいの?」
「……えっ?」
「いや、君は、僕に『頭が悪い』と言うことで、どういう反応を求めているのかと思って……」
「わけのわからないことを! やっぱり頭が悪いようね!」
女の子は満足そうだった。
だからユータは『それでいいか』と思った。
「わたしは一番なのよ?」
「……ええと」
「見なさい、この誰もいない宿舎を! わたしが、最初に来たの! どう? 一番よ!」
「…………」
「一番だけど?」
「……えっと、すごいね?」
「そう、すごいでしょう!」
女の子は胸を反らした。
どうやら褒められたかったようだ。
「わたしはね、一番が好きなの」
「……そうなんだ」
「そうなの! だから、頭のよさも一番なの! あなたはわたしより頭が悪いから、まだ私の頭のよさが一番なのよ!」
「でも、ここ、Fクラスだから……宿舎の外に出たら、もっと頭のいい人はいっぱいいると思うんだけど……」
「……なにを言っているの? どういうこと?」
「……ええと、ここは、ほら、この学園の中だと最低のクラスだから。ここで一番でも、もっと広い観点で見れば、そう高い位置にもいないんじゃないかなって」
「ようするに、あなた、わたしが一番であることに異議を唱えているのね?」
「……まあ、そうなるのかな……」
「でも、あなたはわたしより頭が悪いことになったわ。やっぱり最初の関係性構築は大事ね! わたし、決めてたの! わたしの次に宿舎に誰か入ってきたら、そいつの頭がわたしより悪いって決めつけてやろうって!」
「はあ」
「だからあなた、今日からわたしの手下よ!」
「手下?」
「そうよ。わたしの村では、みんな私の手下だったの! わたしは一番で、それはここでも変わらないのよ!」
「そうなんだ……よくわからないけど……」
「この調子で、入って来た人みんな『頭が悪い』って決めつけてやるつもりよ!」
「そうなんだ……がんばってね……」
「がんばってじゃないわ! あなたもがんばるのよ!」
「どうして?」
「だってあなた、わたしより頭が悪いじゃない!」
「まあ、なにをもって『頭がいい』とするのかは、ちょっと定義を定める必要がありそうなんだけれど……」
「ほうら! わけのわからない、ハッキリしないことを言う!」
「……」
「『知能』は『自信』なのよ!」
「……そうかな?」
「そうよ! あなた、自信が感じられないわよね。頭のいい人は、みんな自信に満ちあふれているわ。でもあなたボンヤリしてて、冴えなくって、なんか頭悪そうね!」
「うーん……たしかにそうかもね」
「でしょう! わたしに同意するなんて、あなた見所あるわ! だって、地元の村では、知能が違いすぎて、みんなわたしの言ってること理解できなかったもの! あなた、理解できているものね!」
「まあ……」
「やっぱりこの学園は、わたしが一番になるにふさわしい場所のようね」
「一番になってどうするの?」
「えっ? なにが?」
「いや、一番になる目的とかはあるのかなって……優秀な成績を修めて将来安定したいとか」
「なにを言っているのかわからないわ……一番よ? あなた、なりたくないの?」
「僕は別に」
「そう、変わってるのね……」
女の子は心底理解できないような顔でユータを見ていた。
どうやらユータの言葉を理解できていないようだった。
「ところで僕はFクラスの生徒なんだけど、君も、Fクラスに入学予定の生徒なんだよね?」
「そのようね!」
「だったらクラスメイトになるわけだし、自己紹介とか、しない?」
「自己紹介? いいわ、素敵ね! でもあなた、わたしの名前覚えていられるの?」
「名前、長いの?」
「長くないわ。でも、普通は人の名前なんて全然覚えられないものじゃない? 何度も聞いて、一緒に遊んでいるうちに、ようやく覚えるものっていうか……」
「大丈夫だよ」
「あら、そうなの? さすがね。人の名前を覚えられるだなんて、さすが国で一番頭のいい人たちが通う学校の生徒。あなた、頭がいいわ」
「……僕の名前はシラギ・ユータだけど」
「シラギなの? ユータなの?」
「『シラギ』が苗字で、『ユータ』が名前だよ」
「あら、複雑なのね。わたしの村では、その『苗字』ってやつがないわ」
「……じゃあ、『ユータ』でいいよ」
「ユータね。まあ、しばらくは覚えられないから、手下一号って呼ぶけど……」
「…………君の名前は?」
「ご主人様と呼んでくれていいわよ?」
「いや、名前を聞きたいな」
「そうなの? 頭の悪い人向けの、配慮だったのだけれど……じゃあ、名乗るわよ。いいわね。わたし、同じ質問を二度されるの嫌いだから、名前を忘れたらご主人様って呼んでね」
「わかったよ」
「わたしの名前は――『ナナ』よ」
「……本当に短いね」
「あんまり長いと、お父さんとお母さんが、忘れちゃうでしょう?」
「…………そうかなあ?」
「どんなに子供を愛している親だって、名前が長ければ、忘れちゃうものよ。忘れなくたって、長い名前は、呼ぶ時に、ちょっとまごまごするわ」
「……そうかなあ?」
「わたしの名前は切れ味がいいから覚えやすいの」
「切れ味?」
「そう、切れ味よ。スパッとしてるわ! ……あら、ごめんなさい。わたしの名前、『スパッ』じゃないわよ。混乱させたら、ごめんなさいね」
「いや、ナナでしょ? 覚えてるよ」
「本当に一回聞いただけで名前を覚えたの!? あなた、天才なのかしら!」
ナナは目を輝かせた。
一方、ユータは表情を曇らせた。
「……まあとにかく、よろしくね。ナナ……さん? ナナちゃん?」
「もう名前を忘れたの? 『ナナサン』でも『ナナチャン』でもないわ。ナナよ。なんでそうやって文字数を増やす方向で忘れるのかしら? あなたやっぱり変わってるわね」
「……ナナ。覚えたよ」
「そうよ。鋭い名前よ。スパッとしているわ! ……あ、ごめんなさい。わたしの名前――」
「『スパッ』じゃなくて、『ナナ』だよね?」
「そうよ! どうしてわたしの言おうとしていること、わかったのかしら?」
「さっき一回聞いたから……」
「まあ、誰から?」
「……」
ユータは黙ったまま微笑んだ。
ナナは気にしていないようだ。
「とにかくユダ」
「ユータです」
「あんまり変わらないじゃない……もうめんどうくさいわね。手下一号、今までわたしが三日間、寮の入口を見張っていたけれど、これからは、あなたと交代で見張るわ」
「なんのために?」
「『あなた、頭が悪いわね』って入って来た人に言うためによ」
「…………なんのために?」
「わたし、同じことを二回言うのが嫌いなの」
「いや、そうじゃなくって……ああ、そうか。『一番になるため』?」
「そうよ! あなたはわたしより頭が悪いことになったでしょう? つまり、あなたより頭の悪い人は、自動的にわたしより頭が悪いことになるわ!」
「う、うーん……まあ、そうなりはするんだろうけど……」
「あらあなた、高度な知性をお持ちね。わたしの言葉が理解できるなんて」
「ど、どうも……」
「でも、わたしよりは下よね!」
「……ちなみに、入学の際に『知力』のステータスを測られるはずだけど……それで君よりステータスの高い人が来たら、どうすればいいの?」
「なにを言っているの?」
「え……? あ、ひょっとして、君も『ステータスで人の才能を測るのは間違っている』って思ってる?」
「思ってないわ。ステータスは正しく私の知能の高さを示してくれたもの」
「ちなみに、いくつ?」
「30前後よ!」
「……正確には?」
「ちょっと向こうの方の荷物に、入学案内を入れてあるから、そこに正確な数字が書いてあったと思うわ。気になるなら見てもいいわよ。どうせ、わたしの荷物しかないし、あなたの知能でも、きっとどれが私の荷物かは、わかるでしょう」
「……まあ、いいよ」
「そうね。とにかく、知能は『自信』なの。ステータスは神さまが決めた絶対的なものだと思うけれど、でも、生きていくってそういうことじゃないでしょう?」
「う、うーん……同意できるような、できないような」
「とにかく! ステータスの高さなんか、聞かれるまで答えなくていいのよ。大事なのは、最初の印象なんだから。最初にガツンと『あ、この人頭いい』と思わせれば、数字なんかどうだってよくなるはずよ!」
「……そうかなあ?」
「そうよ! だから、断言するの! 実際にあなた、ステータスを聞く前に、わたしの手下になったじゃない!」
「手下になった……うーん……でも、今、ステータスを確認しようとしたけど……それは止めなくてよかったの? ステータスを隠して知力の優劣を決めたなら、隠し通さないと……」
「隠し事はしないわ。人に隠すほど恥ずかしいことなんか、なにもないもの!」
「……うーん」
「とにかく――あ、ダメだわ」
「どうしたの?」
「三日三晩、誰も来なかったから、ずっと休みなしで寮の入口を見張っていたの」
「休みなし!?」
「寝てないし、食べてないし、ここから全然、動いてないわ。だってわたしがいないあいだに誰か来たら、くやしいでしょう? だからもう眠いし、お腹空いたし、立ちっぱなしで足も痛いし、色々ほかにも限界よ」
「えええ!? バカじゃないの!?」
「バカじゃないわ! わたしがもしバカだったら、あなたはそれ以下よ!? だからわたし、バカと呼ばれるわけには――あ、ダメだわ。倒れます。手下、どうにかして」
ナナはパターンと倒れた。
本当に倒れた。
「…………どうにかして、と言われても」
ユータは困り果てる。
知力1000000だけれど、この状況を打開する方法が、すぐには思いつかなかった。