34話 記憶の中の幻
「ふーむ、なるほどのう。いや、ワシはもちろん、覚えておるぞ。なにせ、ワシの知力は100……と少しあるからのう」
学園長室にはなぜかユータだけが通された。
みんなで来たのだけれど、他のみんなは別室でおやつをもらっているのだ。
ユータが一人だけ部屋に通された――そう言ってしまえば、まるでユータのほうが特別なように感じるし、他の三人は差別的に扱われいるようにも思われるだろう。
しかしおやつをもらっているのだし、みんなおやつが好きだから嬉しそうだった。
対してユータの前にはおじいさんしかいない。
白いヒゲを生やした、いかにも魔法使いっぽい丈の長い豪華そうな服を着たおじいさんだ。
おじいさんは――甘くもないし、おいしくもない。
また、見ていても別に楽しくない。
密室、若者とおじいさんが二人きり……
なにもおきない。
ユータはおじいさんとおやつだと、おやつのほうが好きだ。
もちろん、その二つに共通点はないから、比べるのが間違いだとも思うのだけれど、それでもやっぱり甘いほうがいいし、食べられるほうがいい。おじいさんは食べたら変な味がしそうだし、健康に悪いだろう。
たしかに学園長室のソファはふかふかだったけれど、革張りだから感触がよくわかんない感じで、妙に落ちつかないし、調度品の高級さとか部屋の居心地とかを差し引いても、やっぱりおじいさんよりおやつのほうがいいと思うのだ。
「あの、学園長先生、なんで僕だけ部屋に通されたのでしょう? 他のみんなはなぜ、この部屋に来てはいけなかったのですか?」
「ほっほっほ。天才の君に質問されるというのは、いいものじゃのう。……それでは、僭越ながら、ワシが君の疑問を解消してしんぜよう。『なぜ君だけが部屋に通されたのか?』それはじゃな――ワシがうっかりするといけないからじゃ」
「うっかり?」
「そうじゃな。君は、知力1000000じゃ。しかし、対外的には、30ぐらいということにしておる。これは君の高すぎる知力にみなが恐れをなさぬよう、みなが君と付き合いやすいようにという、ワシの見事な配慮じゃが……」
「ご高配痛み入ります」
「う、うむ。君は頭よさそうな合いの手を入れるのう。会話をしていると身が引き締まるようじゃな」
「ありがとうございます」
「……ええっと、そうじゃった、そうじゃった。君は知力1000000じゃが、偽装しておる……しかしなシラギくん、ワシは偽装している君の本当の知力を、みんなの前でうっかりポロッとしちゃうかもしれぬと、そのリスクを恐れたわけじゃ」
「なるほど。リスクヘッジですね」
「うむ。リスクヘッジじゃな。まあ、それがなにかはあとで調べておくが、ようするにじゃ。うっかりポロッとするぐらいなら、最初からポロッとしてもいい環境を作っておくことで、リスクを回避すると、そういうことじゃな」
「なるほど」
「Fクラスの馬鹿な子の相手がイヤだったわけではないぞい」
「わかっていますよ」
「うむ、そうか……では正直に言うとな、ワシは馬鹿の相手は嫌いなのじゃ……あやつらは話が通じぬからのう。だから、ちょっとワシのお馬鹿センサーに引っかかる子がおったもので、思わず遠ざけてしまったんじゃ。さすが、君に嘘はつけんのう」
普通に学園長の言葉を額面通り信じていたのだが、なぜか自白されてしまった。
ユータは言葉に困ったので話題を変えることにする――これが知力1000000の気遣いだ。
「それで学園長先生、メイのことですが……」
「うむ。覚えておるぞ。ワシは今、世界で二番目の……君という例外的な知力を除けば、一番目の知恵者じゃからのう。しかし、捜索のためにはより細かい情報を使い魔にインプットしてやる必要があるのじゃ。ワシの特別製使い魔に、その子の詳しいデータを言ってくれるかのう?」
学園長はコンコンと机を指先で叩き、鳥型使い魔を呼びだした。
それはユータの顔のまわりをぐるぐる飛び回って、すごい邪魔。
使い魔というのはかように邪魔なのだ。
だから学園で暮らす使い魔持ちのほとんどは、使い魔をポケットとか胸の谷間とかバッグの中とかにしまいこんで、必要な時だけ出すようにしている。
「ええっと、メイは白髪の女の子です。おっぱいは並です。年齢は僕と同じぐらいで……目は赤かったと思います。全然しゃべらない子で……ああ、そうだ。本当の名前が『メイ』かどうかはわかりません。『メイ』っていうのは、学園長先生がつけた名前です」
「なんじゃと?」
「……メインヒロインっぽいから、メイということで」
「おお、そうじゃったな。もちろん、覚えておったとも。うむ。ワシが名付けたという話じゃから、ワシの娘か孫と、一瞬びっくりしたとか、そういうのはないぞ。……ところで、その子の情報は以上かね?」
「はい」
「では。――使い魔よ、学園内に条件に当てはまる者はいるか?」
『――検索完了。該当生徒、ゼロ名』
「……む。学園にはおらんようじゃな」
「世界中を探せたりはしないんですか?」
「ははは。シラギくん、ワシは学園長じゃ。世界の長ではないぞい。ワシの力が及ぶのは、学園の中だけじゃ」
「……そうですか」
「しかし、うーむ……のう、知力1000000の君にこんなこと言うのは、ちと畏れ多いのじゃが……」
「なんでしょう?」
「その子は本当にいたのかな?」
「…………?」
「いやのう、今、過去に学園に在籍した生徒も検索しておるようなのじゃが……五十年ほどさかのぼっても、一人もヒットせんのじゃ。それに、誤魔化しておったが……実は、ワシの記憶にも、ない」
「……一人も?」
「そうじゃのう。白髪に赤い目の、並乳の女の子……こういった特徴の生徒は、五十年……おっと、今、六十年になったが……七十年に……む、言っているあいだに九十年じゃ」
「とにかくいないんですね……」
「そうじゃのう。百年前までしかさかのぼれんようじゃが、いないらしい。不思議なもんじゃのう。白髪に赤い目なぞ、一人二人いてもよさそうなものじゃが」
「どのみち、そんな昔の生徒じゃないです。最近、僕と一緒に入学扱いになった……」
「しかしデータにはないぞい」
「……入学手続きを忘れたとかは……」
「君にそう言われるとちょっと弱いがのう。……ともかく、君の言う子は『いない』ということになっておる」
「でも、いたんです。本当に、いたんですよ」
「もちろん、君を疑っているわけではない。君は知力1000000じゃからのう。ワシの知力に対する信頼は絶対じゃ。しかし、データ上では、いない。それは事実であり、使い魔が検索して見つけられぬものを見つけるのは、ワシには難しい」
「……」
「一番簡単な方法では見つけられんということじゃな」
「わかりました。ご協力ありがとうございます」
「なに、君ならいつでもワシを頼ってよいのじゃぞ。またなにかあれば、言いなさい」
「はい」
「これから、どうするね?」
「……探してみます。クラスのみんなに聞き込んだりして……」
「そうか。方法は君が考えるべきじゃろうな。なにせ、君が一番、頭がいい。しかし――」
「……なんでしょうか?」
「頭のいい者の見ている『真実』は、頭の悪い大多数にとって、『わけのわからない幻』ということもある」
「……」
「ワシも革新的な魔法技術を開発する時など、そういう知力の低い周囲に苦労させられたものじゃ。……そうして、中には『幻』のまま終わってしまったものも、ないではない」
「……」
「とっくにどんな技術だったか、忘れてしまったがのう。……人の記憶など、そんなもんじゃ。まあ、君とワシでは知力のけたがいくらか違うから、ワシごときの体験談など聞く意味もないかもしれんが……」
「……メイの存在は、僕にとっての真実ですよ」
「そうじゃろう。結果として『幻』で終わらぬことを願うばかりじゃ。――まあ、これも頭がよさそうな言い回しをしているだけで、意味などないのじゃがな」
学園長はヒゲをなでて笑った。
ユータは一礼して退室する。
どうやら。
事態は思ったよりも、大変な感じかもしれない。