32話 世界中のどこにでも
アリーナの全員を消して、ユータはタイルの攻撃を受け入れた。
全員リタイアで訓練モードは終わり、確認のためにアリーナに入れば、タイルは床だった。
こうして騒ぎは収束したものの、しばらくはみんな、床が飛んで人を襲ったという事件のことを覚えているだろう。
まあ、それもきっと、明日の朝までだ。
人の脳味噌は昨日のことを覚えておくには小さすぎる。
「まさかわたしが被害者だったなんて……ということは、あのダイイングメッセージを遺したのは、わたし自身だったのね」
ナナは床にやられたと思いこんでいるようだった。
この日以来、ナナは屋内に入る際には近くにいる友達に『この床は大丈夫?』と聞くようになるのだが、すごい記憶力だ。
ナナはあんがい、ものを覚えている。
記憶力では本当に一番なのかもしれない。
事件をすっかり解決したナナとユータは、Fクラス宿舎の『床です。』の上にいた。
今日はずっと二人きりだ。
もちろんまわりにはいっぱいクラスメイトがいるので、広いFクラス宿舎に二人きりという意味ではない。ミカヅキとか、アランとか、メイがいないので、精神的に二人きりみたいに感じるという、意味だ。
ミカヅキは、三年Sクラスに行ったらしい。
朝、寝ぼけて間違えて行ってしまったら、普通に生徒として受け入れられて、授業を受ける羽目になったのだという連絡を、ユータは受けている。
夜には戻ってくるか、そのまま一年Fクラスに編入したことを忘れて、三年Sクラスに戻るかするだろう。
すべては三年Sクラスで友達ができるかにかかっている。
たぶん戻ってくるはずだ。
アランは理解不能な用事で実家に帰った。
彼、あるいは彼女ははっきりものを言うのが嫌いなのではっきり言わなかったけれど、ユータはきちんと『実家のお父さんが病気で倒れたので帰ったのだ』と察している。
というかマルギットがハッキリそう言っていた。
先ごろ『父ちゃん仮病だった』という連絡が使い魔に入っていたので、明日には学園に戻っているだろう。
メイが、わからない。
ふらりと消えて、まだ戻らない。
でもきっと、床のある場所には、いることだろう。
床さえあるなら、それはもう、ほとんど一緒にいるのと同義だと言える。
世界は床でつながっている。
温かくて、そんなにじゃりじゃりしない、優しい床で。
「あのラキガキは誰がしたんだろう」
気にするほどでもない、ただのイタズラだとは思う。
でも、なんだか無性に気になった。
だってラクガキをしたら、した人が消すのが筋だろうに、見つからないと、消してもらえない。
たぶんナナじゃないとは思うけれど。
だとしたら、本当に誰なんだろう?
「ねえ、ユー……わたし、明日、ラクガキを消すわ」
たぶんナナは書いてない。たぶんっていうか、ほぼ百%書いてない。
でも、ナナが納得してるなら、それでいいだろう。
「僕も手伝うよ」
「そうね。高い場所とか、わたしには厳しいわ。……っていうか、天井に書いてあるのとか、誰にだって厳しいわよ! 誰よあんなところに書いたの! わたしなの!? 寝てるあいだに飛んだの!? 記憶がないわ……」
「たぶん、書いたのナナじゃないからね」
「でも、死んだのはわたしよ」
「生きてるよ」
「生きてるけど、そういう真剣なやつじゃないわ。死んだのよ。真剣じゃない感じで死んだの。だいたい、真剣な感じで死ぬのとか恐くて想像もしたくないわ」
「そうだね」
「今日はなんか、すごい恐かったわ……いつものぬいぐるみじゃなくて、もっとモフみのあるやつを抱いて寝ることにするからね」
「うん」
「あなたも恐かったでしょ? わたしが普段使ってるの、使う?」
「僕はいいよ」
「強いのね」
「僕は寝る時、いつも大きなものに抱かれているんだ。だから、安心できるんだよ」
「なにに抱かれてるの? なにも見えないけど……おばけ?」
「……秘密」
ユータは笑う。
これは、言えない。
だって――ナナはずいぶん、床を恐がっているから。
床に抱きしめられているだなんて言ったら、恐怖を思い出してしまうだろう。
知力1000000の、気遣いだった。