3話 天才、宿舎に案内される
「ここが『Fクラス』に所属する子たち専用の宿舎じゃな。今日から君には、ここで暮らしてもらう」
学園長の示した先には、オンボロの一階建て木造建築があった。
壁に穴が空いていたり、周囲にゴミが散らかっていたりする。
もちろん、学園全体がこんな様子なのではない。
ここは『国のエリート』を育てる全寮制の学校なので、予算は潤沢に使われている。
真っ白な石畳で舗装された道――
宿舎の集まった区画から、校舎のある区画まで綺麗に並べられた花壇――
広場には噴水もあった。
建物自体だって、だいたいが石造りで、ぴかぴかしている。
だからこの、ゴミだめみたいなところに『ぽつん』と建っている『Fクラスの宿舎』だけが、異常なのだ。
爽やかな昼の日差しを受けているのに、瘴気みたいなものでよどんで見える。
「あの、学園長先生、質問よろしいでしょうか?」
ユータが問いかける。
学園長は、ちょっと身構えた。
ユータの質問は、学園長の知力ステータスをもってさえ、ちょっと難しいものが多いのだ。
さすが知力1000000である。
「なんじゃね、シラギくん。お手柔らかに頼むよ」
「この学園は、『国家の知的エリートを育てる学校』ですよね?」
「そうじゃな」
「この学園に集められる生徒は、最高のSクラスから、最低のFクラスまで、『国中から選りすぐられたエリートたち』なんですよね?」
「……すまんなシラギくん、もちっとゆっくりしゃべってもらえんかのう? ワシの知力は100と少しあるが、なにぶん、年寄りでのう。君の言葉をかみ砕くまで、ちょっと、かかるのじゃよ」
「……ええと……この学園の生徒は、みんな頭がいいんですよね?」
「うむ。そうじゃな」
「その『頭のいい生徒』であるはずのFクラスを、いくら学園内での順位が低いとはいえ、ここまで差別的に扱う必要はあるんですか?」
「…………さべつてき?」
「だって、こんなオンボロなの、Fクラスの宿舎だけじゃないですか。他の建物は、なんか、ピカピカしてましたよ」
「うむ。毎日、掃除をがんばっとるからの。しかし、Fクラスだって、掃除をがんばっとるはずじゃ。ピカピカでないからといって、Fクラスのみんなを責めてはならんぞ。がんばりだけではどうしようもないことも、あるからのう」
「そうではなく……」
ユータが自分の額を人差し指で小突くような動作をした。
たぶん、考え事をしているのだろう。
なるほど、知力1000000は考え事をする時こんな動作をするのか、ワシも次からやろう――学園長はひそかにそう決めた。
「学園長先生、なぜ、Fクラスはこんな、『がんばりだけではどうしようもない状況』になっているのでしょうか?」
「いや、がんばれば、Fクラスから抜けることは、できるぞ。ステータスは、生き方や鍛え方によって、いくらでも伸びるからのう。伸びたら、上のランクになり、上のクラスに行ける」
「そうではなく……『Fクラスから抜ける』とかではなくって、Fクラス自体の現状についてうかがっているのですけれど」
「むむむむ……」
学園長はうなるしかできなかった。
どうにも、論旨をつかめていないようなのは、学園長だって、賢いから、わかる。
でも、ユータがなにを言おうとしているのかが、全然わからない。
「すまんがシラギくん、君の知力は、ワシの一万倍……いや、九千何倍かあるのじゃ。己で言うのもどうかと思うのじゃが、君からすれば、ワシは『バカ』ということになる」
「いえ、その……」
「まあまあまあ、聞きなさい。ワシは君の知力が本来1000000あることを知っておるし、この国で一番……いや、君の次に知力のステータスが高く、『至高の賢者』というあだ名で呼ばれておる。じゃから、君が『なにか頭のいいことを言っている』のは、わかる」
「はあ……」
「しかし、君の知力ステータスを知らなければ、今の君の一連の発言は、『なにかおかしなこと言ってる人がいる』としか思われんのじゃぞ」
「……そうですね。はい。おっしゃるとおりです」
「そうじゃ。わけのわからないことを、早口でまくしたてられても、たいていの人は『こいつは、きちがいなんだろう』としか、思わぬものじゃ」
「……なるほど」
「Fクラスで、君はステータスを偽って過ごすこととなるのじゃ。知力30程度と思われている状況で、君が今のような発言をしたならば、きっとクラスのみんなは『なんか気持ち悪い』としか思わんじゃろう」
「……そうかもしれません」
「それにじゃ。君のステータスを知っている教師たちの中でさえ、素直に君の賢さを認めぬものがおる。ステータスを測る機材と、測った者の失敗を疑っているものも、おるのじゃ。気を付けて付き合わねばならんぞ。今みたいな早口で難しいことばっかり言うのは、よくない」
「まあ、ステータスが間違いなんじゃないかとは、僕も思いますけど……」
「いいや、入学審査は、みな、がんばって準備しとるんじゃ。失敗はない」
「『がんばりだけではどうしようもないこともある』と、先ほどおっしゃっていたではないですか」
「それはそれ、これはこれじゃ」
「……」
ユータは全然納得していない顔だった。
学園長はため息をつく。
学園長も、頭のいい人生を送ってきたから、わかるが――
頭がいいと、『理論で説明できないことはあり得ない』と思いがちなのだ。
世の中、そうでもない。
人の世界はもっと非合理的で、理不尽で、理屈通りにはいかぬものだ。
やはり、彼には『経験』が不足している――学園長は改めて、そう思った。
「シラギくん、Fクラスに所属したあと、ワシは、君を特別扱いはせんぞ」
「それは別にかまいませんけど……」
「君は己の力だけで、Fクラスに居場所を見つけ、バカたちと――君から見ればバカな同年代の少年少女と、うまくやらねばならん」
「……はい」
「なにか困ったことがあれば、いつでも言いなさい。ワシが力になろう。特別にな」
「……あの、『特別扱いはしない』のでは?」
「こっそりとなら、いいじゃろう」
「……はあ」
「ワシは君を、実の孫のように思っておるからのう」
「え……なぜ……?」
「君は賢い子じゃからな」
バカな子ほどかわいくないものだ。
子供は賢い方がいい。
学園長はその優れた知力で、今までさんざんバカの相手ばかりしてきたので、なるべくバカとはかかわりたくないと強く思っていた。
だから、賢い子とは可能な限り仲良くしたいのだ。
なので孫扱いだ。
『仲良くしたいから孫扱い』という『どうしてそうなるのかわからない、一見して連続性を欠くように見える論理』に、学園長の高い知性がうかがえる。
「……なんだかよくわかりませんが、格別のご配慮、痛み入ります」
「うむ……気にすることは、ないぞ。それでは、ここからは、君一人で進むのじゃ。学生寮の中までワシがついていっては、特別扱いがみんなにバレてしまうからのう」
「はあ……」
「困った時は、『ウィスパー』の魔法で、ワシの頭に直接語りかけなさい。君との回線はいつでもつないでおくからのう。まだ魔法は習っておらんじゃろうが、通信魔法の使い方は、入学案内に書いてあったじゃろ?」
「あ、はい。通信魔法だけなら、覚えました。重ね重ね、お気遣いありがとうございます……」
「まだ入学式前じゃから、Fクラス全員が宿舎にいるわけではなかろうが……お友達ができるといいのう」
「はい」
ユータは強くうなずく。
学園長は、思わず微笑んだ。
だって、知力1000000の彼がなにを考えているのか、今まで全然わからなかったけれど――
その力強い首肯には、ようやく『友達がほしい』という、彼の本心が見えた気がしたから。