29話 天才、回想する2
自分の人生はずっと床の上にあったとユータは思う。
けれど知力1000000のユータは、さらに考えを進めることができる。
床の上で過ごしてきたのは、世界に自分だけなのだろうか?
違うのは、知力が1000000もなくたってわかるだろう。
床を踏んだことのない人なんか、一人だっていないはずだ。
寒いときでも『半袖健康法』という古代文献にあった健康法を実践し厚着をしないので風邪を引きやすく、病気がちだったユータのママは、たしかに床の上にいることが多かった。
でも、厚着をするタイプのママだって、きっと、床の上で子供と話すことが多いのだろう。
床の上にはだいたい、家があった。
家っていうのは、家族が一緒に過ごす場所だ。
だからきっとみんな、床の上で多くの優しい時間を過ごしたに違いないのだ。
地面の上で過ごす時間に比べて、床の上で過ごす時間が暖かかったのだって、みんな、同じだろう。
だって――床の横には、だいたい、壁がある。
壁があれば外からの風があんまり入ってこないのだ。
だから寒い日の床の上は暖かかったし、温かい日の床の上はちょっと暑い。
つまり、床と地面を分けるのは、温かさなのか?
わからない。でも、きっとそれも床と地面の違いの一つなのだろうとは思える。
けれど、もっと通俗的で、誰もが言われれば『なるほど!』と思うような、床と地面の違いがあるような気はした。
だからユータはさらに、床の上で過ごした記憶を掘り返す。
なんにもない村だったから、大した事件はそうそう起こらない。
次に床の上で起こった印象深いできごとは――
ユータが『世界中の知的エリートを集める学園』であるオーリック魔法学園に入学することになった、その日だろうか。
◆
なんか突然、ステータス検査をされた。
学園はたまにそういうのやってるらしい。
学園長が世界地図を見てダーツを投げて、刺さった場所にいる子供のステータスをはかるのだ。
神代からとられている方法で、刺さった地域にいる、学園の入学基準を満たす子供の数が、新入生の定員に達するまでおこなうことになっている。
その結果、ユータは知力1000000で、入学できることになった。
「僕はあんまり、この村での生活が向いてない感じがするから、入学しようと思う」
そううったえるのは、けっこう勇気がいることだった。
ユータの実家は農業をしていたし、なにより、大陸からちょっと離れた孤島にあったのだ。
簡単には戻って来られないのはユータならわかることだったし、農業の人は農業を継ぐものだから、継がないのはどうかなあっていうのは、ユータも思っていることだった。
でも、反対はされなかった。
「たしかにな。お前は、村での生活が向いてない」
「そうねえ。あんまり村人っぽくないわ」
両親もそのように感じていたようだ。
たぶんユータや両親だけじゃなくって、他の村人たちも全体的に感じていたことなのだと、知力1000000のユータは察することができていた。
みんな、なんか、冷たい。
たぶんそれは、床じゃなくて地面の上で会う人たちだから、とかいうだけが理由じゃない気はする。
「ユータ、お前に『村の入口さん』の話をしたことはあったかな」
パパの言葉にユータはうなずいた。
もちろんパパが話してくれたんじゃなくって、話してくれたのはママだったけれど、ユータは知力が1000000もあったので、『話したことはあったかな』という表現は『知ってるかな』ぐらいのものだと察したのだ。
マジでヤベー賢さの、片鱗だ。
「そうか。じゃあ、言わない。お前はきっと、覚えてるだろうからな。あの話はな、ようするに、周囲からどう思われようと、やりたいこと、やったもん勝ちだっていう話だ」
パパの解釈は、ママとはちょっと違うようだった。
同じ話でも違った感想を抱くものだと、ユータは深くうなずく――床の上に立ちながら。
「みんなお前のことを、『わけのわからないことを言う、変な子』と思っているみたいだ」
「……」
「でもな、偉い人も、有名な人も、だいたい変な子だ」
「……」
「これがちょっと難しくて、父さんにもよくわからないんだけど、『偉くなること』と『有名になること』と、『変であること』は、なにか、関係があるんだと思う。でも、変な子がみんな偉くなるわけではないと思うから、気を付けろ」
「……はい」
「……ん、それで、なにを話そうとしてたんだっけな」
「僕は、この村を出て、学園に行ってもいいの?」
「だからそれは、『村の入口さん』だ」
「……ええと」
「わからないか? うーん、そうだなあ……あ、うん。『好きにしろ』ってことだ。好きにし続けたら、そのうちなんかすごいもんになるさ。ならなくってもいい。そしたら帰ってきなさい」
「はい」
そうしてユータは、慣れ親しんだ実家の床と別れた。
今は違う床の上にいるが――
床の上にいるという事実は、変わらない。
だって、床はどこにでもあるのだから。