過去と今がこんにちは
「あ、シバ先生だ」
酷く抑揚のない声は、酷く聞き覚えがあり、条件反射で眉を寄せてしまう。
振り返った先には、案の定と言うべきか、過去の教え子が立っていた。
中学のセーラー服ではなく、進学先のものであろうブレザーを着ている。
着られてるようには見えないが、見慣れないので違和感はあった。
「お久し振りです。お休みですか」
疑問符も付けずに、まるでどうせそうだろう、とでもいう問い掛けだ。
実際そうだが、年上に対してお前はそれでいいのかと逆に問い掛けたい。
「……作間は珍しく一人か」
「ボクは基本的に一人ですけど?」
はて、とでも言うように首を捻る作間。
中学時代はポニーテールだったが、高校に入ってからはサイドテールにしたらしく、ひょこひょこと動く癖毛が見られない。
その代わり、やけに伸びた前髪が横に流れる。
俺の言葉が理解出来ない、と言うような顔をしているが、中学時代、作間の隣には基本的に三人の幼馴染みがいた。
全員が全員一緒ではないが、必ず一人、作間の隣を陣取っていた気がする。
「……文崎とか創間とか絵崎とか、お前いっつも一緒だったろ」
作間を含むその三人は、やはりまとめて過去の教え子で、それぞれが独特のキャラクターだった。
作間はマイペースで口を開けば、無意識に毒を吐いている上に、他人への興味が薄く、まともな交友関係が見られなかった。
高校になって、交友関係くらいは改善されていて欲しいと心の底から思う。
そんな作間の幼馴染みである文崎は、成績優秀で品行方正で、文武両道という言葉を体現したような生徒だった。
が、眼鏡の奥からこちらを見ているあの目は、嫌味なくらい大人びていた気がする。
聡過ぎる子供と言うべきか、何かと器用だが、息抜きを知らなかったが、高校ではどうだろうか。
同じく幼馴染みだが、幼馴染みの中で唯一の男である創間は、成績の良い素行不良だった。
時折他校と揉め事を起こしていたが、売られた喧嘩を買っただけだったりする。
だった、で済む話ではないが、幼馴染みが絡まれたというのが殆どだったので、保護欲と言うか庇護欲が強いのだろう。
それでも血の気が多かったので、高校生になって血も抜けていれば良い。
そんな二人の幼馴染みに対して、三人目の幼馴染みである絵崎は大人しかったと思う。
髪色は自分の手で染め上げたらしい赤だったが、その容姿に対して我は強くなく、いつも笑っていた。
髪の色のことで追い掛け回したが、逃げ切られることが多かったことを思い出し、頭が痛くなる。
しかし、そんな姿とは逆に、何かと自信が無さそうに作間に助言を求めているのを見て、周りが首を傾げることもあった。
高校生になったのだから、少しは自信を付けていることを願うばかりだ。
「……凄く遠い目になってますけど、ボク達は相変わらずボク達ですよ」
つい、と控えめに袖が掴まれた。
見下ろした先には、相変わらず首を捻った状態でこちらを見上げる作間がいる。
髪全体が長くなり、前髪で表情が更に読み取りにくいが、髪型も変え、制服も着慣れているようだ。
顔色も心なしか中学時代よりも良い気がする。
「この前、テスト前だからってクラスメイトも交えて、勉強会したんですよ。ほら」
差し出された薄っぺらな端末。
黒い機体に濃紺のカバーで、女の子らしさの欠片もないが、その画面の中に閉じ込められた画像は、まぁ、楽しそうだ。
ポッキーを咥えたまま、シャープペンシルを握っている作間。
勉強会の段階でうつ伏せになっている絵崎。
参考書を開いて眺めている創間。
誰かのプリントを丸つけしている文崎。
そんな過去の教え子達以外にも、赤い眼鏡を押し上げながらテキストと向かう男。
うつ伏せになっている絵崎を必死に起こしている、髪の長い女。
中学時代には考えられない光景だった。
例えば、文崎や絵崎なら簡単に作り出す光景だが、作間には出来ない。
それくらいに交友関係が狭かった。
創間の場合は男なので、男女交えてというのが幼馴染み以外で成立しないのだが。
「やっぱり幼馴染み同士の時間の方が多いけど、前よりは少し、他の人に割く時間が出来たんです」
「……何か泣きそうだわ」
別に涙なんて浮かんでないが、目頭を指先で掴めば、抑揚のない「ウケる」という言葉が聞こえた。
全くもって言葉が笑っていないのだが。
視線を向けてみても、表情は無表情と言うか、真顔だ。
「いつになっても、教え子がちゃんと成長してるんだって分かると、嬉しいんだよ」
「……それは、ボクがちゃんとシバ先生の生徒だったってことですね」
癖毛が僅かに跳ねた髪を見ながら、作間の頭の天辺に手を置いた。
頭の形を確かめるように撫で回せば、抵抗する気もないのか、ぐりぐりと撫でる方向に首を回す。
「何お前、俺のこと先生だと思わなかったのか」
ちょっと強めに頭を押さえ付けてやれば、うぅっ、と唸り声が聞こえてくる。
「いえ。逆です」
「逆?」
「シバ先生の方が、ボクを生徒だと思いたくないんじゃないかと思いまして」
ぽむり、頭を一つ叩く。
先程飛び出ていた癖毛の本数が増えており、本人もそれに気付いて髪を撫で付ける。
いや、生徒だろ、という言葉は出なかったが、目を見開いてしまう。
文崎や創間は、ハッキリと思っていることや考えを口にするタイプだ。
絵崎だって、納得のいかないことなどは言う。
言えなくても行動で分かる――例えば、赤毛の校則違反の件で追い掛ければ、猛スピードで逃げるなど――のだが、作間は違う。
はぁ、はぁ、と曖昧に頷きながら人の話を聞き、自分の思いや考えは言わず、それらしい行動も見せない。
中学一年生の頃から三年生の卒業まで見てきたが、意思薄弱と言うべきか、何を考えているのか全く分からなかった。
こう言っては何だが、ある意味一番扱いにくい生徒だろう。
「大事な大事な生徒だろ。成長してるようで、何よりだ」
長い前髪を掻き上げ、そう言って見れば、ぱちぱちと真っ黒な目が瞬きを繰り返す。
それから、ふはっ、と吹き出した。
「そうだね。ボクも、御子柴先生が、先生で何よりですよ」
繭を下げるように、くしゃりと笑って見せた作間は、くつくつと楽しそうに喉を鳴らす。
まともな呼び方をされたことに、俺も笑って見せれば、作間の胸元ではセーラーとは違う、赤と濃紺のネクタイが揺れていた。