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チェリーブラッサム

随分と間が空いてしまいすみませんでした。


サブタイトルは松田聖子さんの曲から。財津和夫さんの作曲なんですね。


うちのそばの桜はやっと満開になりました。今年は少し遅いような気がします。

 「まあ、そう上手くはゆかないだろうとは感じていたがな。」

 「そうなんですか?」

 四月はじめのミーティングで東京で聞いたように耕助や永倉のいる光学機器部門とカメラ部門の統合が発表され、それとともに札幌は東北ブロックとの統合で営業所規模に縮小が決まった。耕助と同期で提案した北海道のリゾートや自然をテーマにしたショールーム企画はブランドイメージと収益のバランスが良いことは認められたが、今後の検討ということで収まった。

 つまりは先延ばしで日本の経営合理化案は北欧の本社の決定通りに行われることになり、今年いっぱいをかけて支社を閉じる準備に入ることになった。

 そして耕助は同時並行で京都のショールームの準備に入ることになった。


 「来週は関西支社へ出張ですか?」

 「ああ。」

 「もう桜は終わっていますね。」

 「だな。それでもホテルを取るのが大変だったらしいな。」

 「樹里ちゃんはどうされるのですか?」

 「ん…ああ、その、家に来て留守番をしてくれると言われて、甘えることにした。」

 「それがいいですよ。」

 耕助は永倉の言葉に頷いてみせた。

 「そう言うお前は身の振り方を考えたか?」

 「ええ。国内に限らず、転勤は受け入れようと思っています。せっかくの機会ですからね。」

 「まあ、よく相談してみることだな。」

 「はい。」

 永倉が頷くのを横目に耕助はぬるくなったコーヒーをすすった。


 関東から東北でも桜の開花がニュースになっているころではあったが、曇天から舞い落ちる白いものに樹里は眉をひそめた。

 もうそろそろ春物のコートに袖を通したい彼女だったが、北の地の春の初めはそうは甘いものではなかった。

 ほうとため息をついた彼女は冬の初めに袖を通していたグレーのニットケープのボタンを首まで止めていた。

 「去年はもう少しあったかかったような気がするんだけどなぁ。」

 「そう?」

 「う〜ん…そんな気がするんだよ。」

 「冬が過ぎちゃうと忘れちゃうよねー」

 「なんか毎年言っている気がするなぁ。今年は雪が早かったとか、溶けるのがおそいとか。うちのお父さんやおばあちゃんもおんなじ。」

 「うちのじいちゃんもそうだよ。毎年、雪かきが大変だったって。でも、真冬でもお家の玄関から歩道まで舗装が出るくらい毎日雪かきしなくてもいいと思うんだけどねー」

 「きっと、趣味なんじゃない?」

 「そうかも。」

 ケラケラと笑う友達二人と並んでいた樹里の鼻の上に落ちた大きな牡丹の花びらのような一片の雪がむず痒く、小さなくしゃみをしてしまった。


 樹里が鍵を開いて家に入ると、ふわりと温かい空気と出汁の香りが出迎えてくれた。

 「姐さん、もう来とると?」

 「ん。早すぎましたかいな?」

 樹里はリビングに向かい、対面キッチンに立つ由貴に首を横に振って見せた。

 「あらあら、いつもほんまにかわいらしいお洋服どすなぁ。」

 「耕助さんが選んでくれた。」

 「それはそれは、ごちそうさま。なぁ、樹里ちゃんはお魚は大丈夫なんよね。」

 「ん。なに作ってるの?」

 「これはなぁ、ニシンの棒炊き言いましてなぁ。まあ甘露煮みたいなものどすえ。これをなぁお蕎麦の上に乗せるんよ。実家の身欠きニシンもええけど、やっぱり本場モンは身が厚うてしっかりとしてますし、味もええし、ぜんぜん別モンなんよ。」

 由貴が鍋を傾けて樹里に中身を見せた。醤油の濃い色の煮汁の中に身欠きニシンの半身が煮付けられて、甘い香りとともに食欲を刺激した。

 「ふうん。じゃあ、今日はお蕎麦?」

 「そうどすえ。さっ、はよう手洗いとうがいして、宿題もさっさとすませたってな。」

 「うぅ。耕助さんよりうるしゃい。」

 「そらそうですえ。しっかりと頼まれておりますんよ。」

 「それは知ってる。……うぅ、着替える。」


 言われた通りに宿題を済ませた樹里は部屋着に着替えて食卓についた。

 テーブルの上にはいつもよりも薄い色をした出汁に浸った蕎麦とその上に丸ごと乗せられたニシンの棒炊きがあった。おかずには菜の花のおひたしと新じゃがの炊いたものがつけられていた。 

 「さぁ、どうぞ。」

 「……いただきます。」

 樹里はまずはどんぶりを手に取り、丸まんまのニシンに驚いた。

 「ニシンはなぁ、一回お出汁に浸しておくと甘みが出て、いい塩梅になるんですえ。」

 「わかった。」

 「おつゆ、意外とあっさり?」

 「うちの方はこないなもんやなぁ。」

 「これなら飲める。」

 箸で何本かの蕎麦とつまみ、口へと運んだ樹里はどんぶりを持ち上げて直に口をつけて出汁を飲んだ。そして菜の花のおひたしで口直しをして、いよいよニシンに向かった。

 「甘い。思ったより生臭くない。」

 「やろ〜。うちのはアク抜きに一手間かけてはるんよ。このままでもお酒のおつまみや細かく刻んでちょいとわさびを乗せて、ぶぶ漬けにしても美味しいんよ。」

 「ぶぶ漬け、出されたら、帰らなきゃ。」

 「なに言うてはりますんえ!? そないなことは都市伝説やおまへんか!! ってゆうか、ここが樹里ちゃんのお家やないの!? どこへ帰りはるっちゅうのん!!」

 ツッコミを入れる由貴にかまわず、樹里はマイペースに小さなジャガイモの炊いたものに手をつけた。耕助が時折作ってくれる男爵いもの煮付けは濃口醤油にバターと砂糖をたっぷりと入れたお菓子のように甘い煮物であったが、由貴の作る炊いたものはやはり薄口醤油を使い、みりんとお出汁でゆっくりと炊いて、煮汁がほとんどない純和風の一品だった。

 「新じゃが、コロコロしていてかわいい。」

 「……皮付きどすから、好かんのでしたら、ぺっぺしてもええんやからね。」

 「ん、柔らかいから大丈夫。でも、耕助さんの作るのとはだいぶ違うよ。」

 「へぇ? どないな感じなんどすか?」

 「バターと砂糖がたくさん入っていて甘くておいしいよ。でもたくさん食べると胸焼けがするから気をつけなくちゃいけない。」

 「そら、そうどすなぁ。いろいろと気ぃつける必要がありそうやなぁ……」

 「ん。」

 二人はそれからも耕助の作る料理の話題に花を咲かせながら、二人だけの夕食を楽しんだ。


 後片付けを終えて、樹里、由貴の順でお風呂をすませた二人は耕助の部屋でアニメの鑑賞会をはじめた。由貴は樹里や耕助から聞いていたものの、ラック代わりのガラス戸のついたサイドボードの中にずらりと並んだボックスケースは軽く引くものがあった。

 「ぎょうさんありますなぁ。コウさんは甘やかしすぎなんか、それとも隠れオタクなんやろか、判断に迷いますわなぁ。」

 「好いとぅっちと違うちゃない? うちの見てはいけんようなもんまであっけん。」

 「…………どれどすか?」

 「……これ。姐さん、なんか顔が怖くなっちるっちゃ。」

 樹里が奥から取り出したブルーレイのボックスはハリウッドでの実写化の噂があったが、いつの間にか立ち消えになってしまったヨーロッパの裏社会をテーマにした美少女ガンアクションものだった。

 由貴はケースを取り出し、中のパンフレットを読んでいたが、納得したように片付けた。

 「樹里ちゃんが見るにはちょお、刺激があるもんどすなぁ。」

 「うん。人を殺すシーンが多いから、もうちっと大人になってからと言われた。」

 「安心したところで、なにを見なはりますんの?」

 「昨日届いたやつ。運よく手に入ったって言っちった。」

 主人不在のベッドの上に腰を下ろして二人が鑑賞しはじめたのは、つい最近急に話題になった擬人化した動物がフレンドになるアニメだった。

 「カワイイけど、ちっと子ども向きすぎる気がする。」

 「このくらいがええんとちゃいますか? いつもはもうちょっとえらいもんを見なはりますんか?」

 「ん〜この前に見たのはこのシリーズ。たぶん、姐さんも気にいると思うち。」

 十枚以上もあるシリーズ物でやはり美少女が描かれているものだった。

 「どないな感じなんどすやろなぁ。」

 「まぁ、見てみて。」

 樹里は一番はじめのケースを手に取り、中のディスクをトレイに載せた。

 「どう?」

 三十分ほどのプログラムが終わり、期待を込めた瞳でとなりの由貴を見上げた。彼女はぽってりとした唇をへの字に曲げていて、顎に小さな富士山のようなシワが寄っていた。

 「ま、まぁ、ええんとちゃいますやないですか。これなら別にアニメですることはないんとちゃうんと思えますなぁ。ドラマや映画で見てみたい気もしますなぁ。」

 「明日は土曜日だから、今日はマラソンしちゃう?」

 「うっ、あんまりおそぉなると起きられまへんえ。」

 「ん。ほどほどにする。」

 

 結局二人は第一シーズンを完走してしまった。

 樹里の部屋に戻り、二人が布団に潜ったのは日をまたぐ少し前だった。

 途中から充血した目と鼻をかみすぎて赤くなった鼻の頭をした由貴は「卑怯やわ。」と叫びつつ、自分から率先して見続けていた。そして彼女に勧めた樹里は何回も視聴していたため、ウトウトとしていた。

 朝になり、疲れたように肩を落とした由貴は近場の山が朝日に照らされているところをベランダから眺めながら、緑茶をすすっていた。

 「おはよう。」

 「おはようさん。樹里ちゃんは眠くはあらしまへんか?」

 「大丈夫。姐さんはちいと疲れたみたいやけん、寝とったらいいのに。」

 「うちも大丈夫どすえ。樹里ちゃんもなんぞのみものでもどおどす?」

 「ん〜 あったかい牛乳がいい。」

 「はいはい。」

 由貴は立ち上がって、ミルクパンに牛乳を入れてガスにかけた。冷たかった白い牛乳も鍋の縁から徐々にフツフツと沸き、泡立つ直前に由貴は火を止めて、マグカップにゆっくりと注いだ。

 「ほな、おあがりやす。」

 「ありがとう。」

 温かい部屋でほんのりと湯気をあげるミルクをゆっくりとすすった。

 「耕助さん、ちゃんと起きとるかいなぁ?」

 「もう、ええ大人やさかい、ちゃんと起きとるのとちゃいますか?」

 「だよね。」

 「おお、そうやったわ。コウさん、今日はうちにお呼ばれしてんやったわ。」

 「おぉ……大丈夫かな。」

 「…………ええ大人やさかいなぁ。」

 遠い目をする雪を横目に樹里はテレビのリモコンを手にして、いつもの情報番組にチャンネルを合わせた。


 京の桜も葉桜となり、若葉が目にまぶしい季節、耕助は町屋と呼ぶには大きなお屋敷の門前に立っていた。

 なんどもため息を漏らし、彼はチャイムのボタンに指を伸ばした。

 由貴によく似た年配の女性に招かれ、座敷に通された彼は冬の北の地で出会った細面の男性と卓を挟んで向き合っていた。

 

 二人でオムライスを食べた昼下がり、樹里はソファの上で寝そべり、由貴はその下に腰を下ろして、煎茶をすすりながら雑誌をめくっていた。

 「姐さん、今日はお店はいいの?」

 「ええんとちゃいますか?」

 「ひとごと。」

 「お店は、たたむことにしましたさかいに、今は不定休というところなんよ。コウさんからもいつ京に上るか、わからしませんと言われてますしなぁ。」

 「それは、聞いてる。転校しなきゃいけない。」

 「そやなぁ。樹里ちゃんは大変やなぁ。せっかく慣れて来たところやおまへんか? お友達もできてるし。」 

 「仕方がないよ。お母さんが女の子はいずれお嫁さんになるから、仕方がないんだって言ってた。お友達はSNSもあるし、大丈夫。」

 「樹里ちゃんのお母はんは随分とはようから教育されておったんやね。」

 「耕助さんからも言われた。まだ早いって。」

 「せやなぁ。それはともかく、どうせなら、うちの通うた小学校なんでいかがどすか? 私立やけど、ええ感じやったんよ。」

 「私立…お金持ちが通うところやけん、うちは無理だよ。」

 「コウさんの稼ぎなら大丈夫とちゃいますかなぁ。」

 由貴はペラリとページをめくり、湯飲みに口をつけたが、空なことに気がついた。どっこいしょと立ち上がった彼女はキッチンでお湯を沸かしはじめた。

 「姐さんは京都に戻ったら、お店はせんと?」

 「しばらくはそれどころとちゃいますか? 新しくお家も決めなあきませんし、樹里ちゃんもコウさんもみやこに住んだことはないんやから、うちがサポートせな。…………あと、うちの両親もまた仕事するゆうたって、絶対許してくれまへんえ、きっと。」

 「姐さんのおとおさんとお母さんは厳しいの?」

 「…………いけずをするようなお人やあらしまへんけど、せやなぁ…京都の人にしては口がきつぅ感じるところもあるかもしれまへんな。」

 「それは知ってた。京都の人って、みんないやみな人っちと思うとったから。」

 「ええ加減、そのアホらしい誤解はどこから来るんか、きっちきちに問いただしてみとうおますわ。」

 「お母さんが言っちた。」

 「ぐぬぬ。」

 「それより聞いていい?」

 「樹里ちゃんは時折、いろんなことをさらっと流しすぎとちゃいますか? まあ、ええどすえ。」

 「姐さんは和菓子屋さんするのが夢だったんでしょ? 耕助さんと結婚するんだと思うけど、それで夢をすぐにあきらめたけど、あの人のどこがそんなに好いたんと? 」

 「そらぁ、そのぉ、ほら、あれがあれで、あれやん。そんな感じですわ。」

 「さっぱりわからんけん、ちゃんとゆうてみ。」

 「うっさいなぁ、あほぉ。いくら樹里ちゃんといえど、恥ずかしゅうて口になんかできまへんわ。お店にきやはったときに、ええわぁって思ったんちゃいますか?」

 「ようは一目惚れっちわけ? 」

 「そ、そういうことになりますかいな。ははは……」

 白いその肌を真っ赤に火照らした由貴はぐぃっと湯呑みをあおった。

後半は会話劇になってしまいました。

ト書きを入れようと思いましたが、会話のリズムが崩れそうで難しかったですね。

精進精進。

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