新しい場所 新しい家族
3話目です。
樹里は耕助の家に着きます。
新しい土地で耕助の元で生活が始まります。
耕助の世界も徐々に見えてきます。
「すまんかったな。」
「いえ、だいじょうぶでした。」
耕助は福岡の空港で取り急ぎ買ったお土産を水無に渡した。微笑みながらも、彼女はすぐに見積の作成に戻った。
若干広がった距離感に耕助はため息をつき、他のスタッフにもお土産を渡し歩いた。
樹里を引き取ったことはすぐに課長へ伝え、そのまま人事課で家族が増えたことを申請した。たくさんの書類を渡された耕助は樹里を自分の扶養に入れる書類を書いていた。
「どうしたんですか?」
「うん? あぁ、家族が増えたんだよ。」
「土方さん!! 結婚したんですか!?」
後輩の永倉の素っ頓狂な大声で社内の人間が揃って振り向いた。
「バッ、馬鹿やろう!! おおきな声出すな!! ち、ちげぇよ!!」
「だってこれ、女の名前じゃないですか!? 樹里さんっていうんですか!!」
永倉が身をかがめてデスクの上の書きかけの書類を覗き込んだ。耕助が伏せて書類を隠しているうちに営業の若手社員がわらわらと寄ってきた。
「土方さん、やっと春がきたんすね。」
「水臭いですよ。いつから隠してたんですか?」
「結婚紹介所ですか? あんだけ嫌がってたの行ったんですか? それとも見合いっすか?」
「う、うっせーよ!!」
耕助は首だけを上げてキョロキョロと見回すとベテランの先輩をからかおうと男性社員たちが集まっていた。
それに反して社の半分くらいいる女性社員たちは自席からこちらを眺めていた。彼女らの視線に耕助の額に嫌な汗が滲んできた。
咳払いをして耕助は起き上がった。
書類の樹里の名前の後ろに耕助は年齢を書き込んだ。
「兄貴の娘だ。訳あってな。うちに来ることになったんだ。」
「あっ……スンマセンでした。」
先月、耕助が忌引きしたことを覚えている後輩社員たちはコソコソと離れていった。眉間にしわを寄せた永倉は一人残って隣の空いている席に腰を下ろした。
「騒いですいませんでした。でも土方さん、お父さんの介護もしてるんですよね。」
「ああ、まあ、なんとかなるさ。樹里も手のかかるほど小さい訳じゃないしな。」
「無理しないでくださいよ。いよいよ結婚が遠のいたんじゃないですか?」
「それに関してはもう諦めている。」
淡々と書類の必要事項を埋めている耕助の横顔を見つめていた永倉は軽く口を引き締めて立ち上がった。
そのあと、樹里の件を冷やかすものはいなかったが、昼食どきに既婚女性社員グループが犬猫をもらうような訳にはいかないのにねぇと聞えよがしの言葉が耕助の耳に届いた。
耕助は肩をすくめて社内販売の弁当をかき込んだ。
できるだけ定時に近い時間に仕事を終えた耕助が帰宅するとリビングには父だけがいた。
耕助の仕事があるために父親はショートステイを終えて戻る際は、ヘルパーさんにお迎えしてもらっていた。
耕助の父は二時間くらいはひとりで留守番ができるので、ヘルパーさんは五時までいてもらい、耕助は必ず七時までには戻るようにしていた。
樹里はまだ学校には通わせていないので一緒に家にいるはずだったが、彼女の姿は見えなかった。
「樹里は?」
「樹里って、あの子のことか? うるさいから部屋に行けって言った。」
「うるさい? 騒ぐような子じゃないだろう?」
「テレビがうるさい。」
「あ〜」
父の声が不機嫌だった。耕助は奥の自分の寝室に向かった。もう一台のテレビがそこに置いてあるからだった。
スタンドが付けられ、ほのかにオレンジの明かりに樹里の姿が浮かんでいた。テレビもつけずに黙って座っていた。
耕助は横に腰を下ろした。
「ただいま。」
「うん。」
「今度からはここでテレビを見てていいからな。」
「ヘルパーさんがいるときは機嫌が良かったんだけど…わたしのことが嫌いなのかな?」
「……まあ、ああいう障害だからな。しばらく子供もいなかったし、慣れるまで時間がかかるよ。」
「ごめんね。」
「樹里が謝ることじゃない。俺の方こそ、悪い。」
「あなたはやさしいね。」
俺は樹里の髪を撫でた。
「メシを食うか。向こうに行けるか?」
コクリと頷いた樹里の長い髪が顔にかかり、表情を隠した。
「我慢できるなら、もう少しここにいろ。」
耕助はリモコンを樹里の抱えていた膝の上に乗せた。
彼は冷蔵庫に入っているヘルパーさんの作った料理を父親に出し、彼は樹里と自分のために舞茸やしめじなどのキノコを使ったアヒージョもどきとほうれん草とチーズのオムレツを作った。
適当に作っているうちに父親は食べ終えたので、後片付けをして、横にならせた。
「じゃあ、俺は向こうで食っているから。」
「お前はあの子の方が大事か?」
「今は寂しい時期だからしょうがないだろ。親父も早く慣れろよ。」
「うるさい。」
トレイに二人分の夕食を乗せて、耕助は寝室の小さなサイドテーブルに置いた。そしてサイドテーブルをテレビとベッドの間に動かし、二人で並んでベッドに腰掛けて遅い夕食ととることにした。
「いただきます。」
「味は悪くないと思うんだがな。」
耕助は缶ビールの口を開けた。
樹里はさっそくグツグツ言う鍋から舞茸をフォークで刺した。ちいさな口でふうふうと冷まして、口中に放り込むと、ヒィーっとちいさな声を上げた。
「からい。」
「ちょっと鷹の爪を入れすぎたか? ビールには合うんだけどな。」
「サイダーにあいそう。」
「そうか。アニメを見ていたのか?」
「うん。あなたのような大人は見ないよね。」
テレビではゲームをアニメ化した長寿番組がやっていた。
「こういうのは見ないな。でも嫌いじゃない。もう少し大人になったら秘蔵のコレクションを見せてやる。」
「エッチィのはダメなんだよ。」
「そんなのを樹里に見せるか! アクションものだよ。」
「こわいの、きらい。」
「だよなぁ。」
「こっちのオムレツはおいしい。」
「弁当ばっかりだったろ?」
「うん。作ってもらうのは久しぶり。」
樹里は美味しそうに頬張った。
五日ほど樹里とともいたため、彼女にはようやく慣れたが、もともと子供をどう扱っていいのかわからない耕助はポツリポツリとたずね、女の子にしては言葉が少ない樹里も言葉足らずに返していた。
それでも、帰宅したときに聞いた樹里の声より弾んでいるような気がすることに耕助は肩の力を抜いた。
食べ終えた耕助はトレイをキッチンに戻し、父親が寝ているか、確認して部屋に戻った。
樹里は耕助の書斎にしている部屋に移り、映画やライブのDVDなどが入れられている棚の前に陣取っていた。
「何か見たいか?」
「子供が見てもいいものって、どれ?」
「俺のときはそんなことはいちいち考えなかったがな…… 映画がいいか? それともアニメか? でも長くなるな。…ライブだけど、これはオススメだぞ。」
「ベビーメタル?」
「ヨーロッパでは結構有名な日本人のバンドだぞ。」
「あなた、好きなの?」
「今ははまっているな。」
「じゃあ、見てみる。」
寝室に戻ると樹里は耕助のベッドに上がり、壁に寄りかかった。
ビデオが始まったところで、耕助は樹里に断り、シャワーを浴びに行った。
熱めのシャワーのお湯は耕助の頭の中まで刺激を与えるような気がした。
自分の父親と彼にとっては孫娘に当たる樹里のことを考えた。父がああなってしまってから、他人に対して気遣いが出来なくなっていた。時折反省をする姿も見られるが、感情の押さえが効かないと入院していた病院の医師から病状の説明があった。
「いずれは、えらばなくちゃいけないかもな。」
その前にできるだけ爺さんと孫の仲を取り持たんとな。
人間関係に弱い耕助は深いため息をついた。
シャワーの栓を閉めた耕助は髪の水気を手で絞った。
いままで男所帯だったので、タオルを腰に巻いたまま出て来ていた耕助だった。
しかし幼いとはいえ、女の子の目がある中で自信のない体をさらすことはできず、まだ汗がにじむ体にパジャマをまとった。
部屋に戻ると樹里はサイドテーブルに手をついて、身を乗り出して画面に釘付けになっていた。ライブ映像は初めのクライマックスを迎え、三人のアイドルたちが暴力的なほど速い曲に合わせて可憐な姿で一糸乱れないダンスと驚異的な生歌を披露していた。
「ふふっ。」
思わず漏れた笑い声に顔を真っ赤にしてベッドに戻った樹里に耕助はシャワーに入ったかと尋ねた。
「……」
「いや、家にいたからっていって、女の子なんだから入れよ。」
「おぢいちゃんと二人きりだから、入ってる間に何かあると困るし…」
「俺が戻ったから大丈夫だろ。もう、自分でできるだろ?」
「も、もちろんだもん! わたし、おねぇさんだよ!!」
憤然と部屋を出て行った樹里に耕助は胸をなでおろした。福岡にいたときは、義姉が面倒を見ていたが、その手助けもない。
三、四歳というなら、まあ、六歳くらいまでなら自分でもできないだろうから、一緒に入って世話しようとも思うが、もう十歳を過ぎて中途半端に赤ちゃん扱いはできない年齢で、耕助も対応には困っていた。
耕助がもう一缶を空にして、三本目のビールを出してきたところで樹里が戻ってきた。
「ちがうもの、見てたの?」
「続きが見たかったろう?」
「うん。」
隣に並んだ樹里からは風呂上がりの体温とふわっと風呂上がりの香りがした。入力を切り替えて、樹里のために耕助はアイスを取りに行った。
耕助は樹里にアイスを渡すと、枕元に近いところに腰を下ろした。すると樹里と人が半分くらい入るほどの隙間を樹里はつめて耕助に寄りかかった。