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I've Got You Under My Skin

この曲は大好きなスタンダードの一つです。


結構、濃いいタイトルですよね。


押しに弱い耕助は気がつくと由貴にランチに誘われてしまっています。

でも今回は違って…


樹里も小悪魔のペルソナの下に透けてみせる素顔はやっぱり年相応な不安や嫉妬が入り混じっています。


先月の忙しさは脱却しましたが、後遺症がまだ…


まずは体力回復を優先に徐々に行きたいと思っています。

 朝、耕助は洗面台の大きな鏡で悩んでいた。

 彼はいつも仕事に着て行くスーツはローテションを決めていて、重要な商談の時は勝負スーツに袖を通すようにしていた。

 今日は特に大きな商談はなく、イベントは以前に由貴と約束していた昼食会だけだった。彼女とはこれで三度目である。

 はじめはSNSの友達申請とメールアドレスの交換、二回目は土方さんから耕助さんもしくは耕助はんと呼び方の変更と順調に変化を刻み、今回は彼女の投稿した写真が佳作に入ったお祝いの席でランチの店は彼女の指定だった。

 「うむ…」

 耕助は何か、もぞもぞとした感触を感じて落ち着かなかった。まるで大学の時に感じたラグビーの試合でPKで立った時、何かが食い違い、このままボールをキックしたら絶対外すとわかっているあの感覚。

 なにかが違う。でも、それがわからない。

 しゅるりとネクタイを解いた耕助は再度着替えをはじめた。

 「おそいよ?」

 「すまんな。」

 「…? きがえたのね。」

 「ああ、何となくな。」

 モダンブリティッシュスタイルの細身のスーツを肉厚の体にまとい、ネイビーの幅広のネクタイを締め、ダブルカフの袖をトルコ石のカフスボタンで止めた耕助は少し落ち着いた。

 靴はウィングチップの黒を選んだ。

 耕助の姿を惚れ惚れとした目で見上げた樹里はコートの裾をつまんだ。

 「わたしもブレザーとかほしい。」

 「中学生になったら、いやでも着ることになるぞ。」

 「ん? うん、それはいやだな。」

 「京都は着道楽というけど、博多もそうなのな。」

 「ん〜、お母さん服が好きだったから。」

 耕助が思い出したように声をあげた。

 「ああ、義姉さんが正月の晴れ着をどうするって言っていたぞ。」

 「着るよ?」

 「だと思った。そう答えておいたぞ。」

 「あなたはちゃんとわかっているから、うれしいな。」

 「うるさい、いくら褒めても帯は買わないぞ。」

 「どうして!? わかったの?」

 「義姉さんが言っていたぞ。」

 「朝子お母さんってば。」

 朝から膨れた樹里の頭に手を置き、樹里の友達が来るまで二人で待ち、彼女を見送ってから耕助は地下鉄駅に向かった。


 会社に入り、コートをロッカーにかけてフロアに出ると心なしか、周囲の目を集めているような気になった。それが正しいことに気がついたのは随分と気合が入っていますね。といった永倉の言葉だった。

 「嫌な予感がしたからな。一応勝負スーツを着てきた。」

 「で、これなんですか? わたし、初めて見ましたよ。すごいおしゃれですね。」

 「そうか?」

 玉井がお茶の入ったタンブラーを片手に近づいてきた。

 「強そうですね。」

 「なにと戦うんだよ?」

 「とりあえず、今日は谷崎さんとですかね?」

 「……」

 「この前、彼と会ったんですけど、きちんと結果を出してくれれば、気にしないそうですよ?」

 「南雲さん!? なに言っちゃってんの? 結果ってなんだよ!?」

 「まあ、結婚とか? それじゃなかったら大口の契約とか? きちんと費用対効果は欲しいそうです。」

 「南雲さんの彼氏はおっかねぇよ。」

 耕助は肩をすくめた。


 たしかに戦うことになりそうだよ、玉川。

 耕助は目の前に並んだ二人のうち、ねっちりとした眼差しで自分を観察する初老の男性に冷や汗をにじませていた。

 由貴が選んだ店はススキノのはずれにある老舗の料亭であった。

 耕助もはじめて入る店で戸惑いながらも、仲居さんに案内されて入った座敷には袷の着物に落ち着いた帯を合わせた由貴と渋茶の羽織を纏った男性が待っていた。

 「いやぁ、お久しぶりですなぁ。耕助はん、どうぞ。」

 「…はぁ。久しぶりですね。この度はおめでとうございます。」

 耕助は二人と対面になる席に着いた。そして持ってきたカバンから小さな紙袋を取り出した。

 リボンがついたそれは今回の由貴の受賞のお祝いのプレゼントが入っていた。

 「お気遣い、嬉しいわぁ。」

 「ささやかなものですが、どうぞ。」

 「おおきに。」

 由貴は手渡しで受け取った紙袋を胸に抱いた。

 「……」

 「……」

 「ああ、えらいすんませんでしたなぁ。こっちは、うちのお父さんえ。」

 「あっ、初めまして。わたくし、エリスブラッド社で営業をさせてもらっている土方耕助です。えぇっと、谷崎様とは懇意にさせてもらっています。」

 「…知っとる。坂本くんから聞いてますわ。」

 随分と低い声を返した男は表情を変えずに耕助から目を動かさなかった。

 「はぁ。」

 「彼とは、同期だと聞いとりますが?」

 「は、はい。」

 「えらい、差ぁが開いとりますなぁ。」

 「お父ちゃん!?」

 「まぁ、そうですね。」

 「口惜しいんとちゃいますか、客からそう言われて? それとも、仕方がないと思うほどの器量しかないのどすか?」

 耕助は微笑みを浮かべて、こうべを垂れた。

 「彼とは仲がいいですが、だからと言って進む道が一緒とは限りませんので。

 もしかすると、誰かからお聞き及びになられているかもしれませんが、私は父の体が不自由になり、故郷に戻ってきました。そしていま身寄りのなくなった幼い姪を預かっています。

 姪の存在は、この年まで仕事が面白くって結婚なんて考えてこなかった私が初めて自分の家族を作るということを意識させられました。

 私としては彼女を無事に大人になるまで育て上げるということに人生をかけようと考えています。 

 仕事をする男としては失格なのかもしれません。けど、初めて、仕事以外の自分の存在意義を強く感じることができるものに出会い、私はとても衝撃を受けたんです。

 彼女を守り、育てることが、私の生きている意味になったように感じてしまいました。」

 耕助は微笑みながら、頭を下げた。 

 「ああ、すみません。初めてお会いした方に話す内容ではなかったですね。ご無礼しました。」 

 耕助の話に深く頷いた由貴の父は唇を歪めた。 

 「不器用な方どすなぁ。」

 「よく言われます。」

 「娘が大事、どすか。では、その大事な娘はんのお顔を見せてもらえやしまへんどすか?」

 耕助はうなずいたスマートフォンの写真から樹里フォルダを立ち上げた。

 彼から見せられた樹里の写真はまったく無防備な表情を見せていた。

 「由貴のいうようにほんまにかいらしいお子どすなぁ… でも、土方はん、女子を育てるのに男親は不向きとちゃいますか?」

 「それは、色々とこれからあると思いますが、頑張るとしか今は答えられませんですね。ただ、女の子を守るのは男の甲斐性だと思っています。」

 「そうですなぁ。でも、実際、このくらいやといろいろ難しいことは多いと思います。女親は必要どす。嫁がおるから男は安心して働けるんと私は思います。ちょっと考えてみた方がいいんとちゃいますか?」

 「はあ、なにぶん、当てがないもので…」

 「ちょうどいい物件に当てがありますが、いかがどす?」

 「…は、はあ…なにぶん、私の方が不良物件と化しているものでして。」

 「そんなことはないと思います。」

 「はあぁ。」

 障子が開き、料理が運ばれてきた。

 「さ、さぁ、うち、お腹ペコペコやわぁ。ほな、食べようか?」

 「は、はい。」

 由貴の言葉に耕助も箸を手に取った。

 事前に調べていた旨い料理など、味も分からず胃袋に詰め込み耕助は表に出た。

 由貴の父は紺色の和傘をさし、離れたところで降る雪を見上げていた。

 「ほんまに、堪忍してなぁ。おとん、なにを思ぉたのか、来るちゅうて、譲らへんのえ。お店はおとんが予約してな。でも、美味しいかったなぁ。」

 「正直、まったく味はわかりませんでしたよ。」

 「ん、もぉ…、ほんまに堪忍なぁ。」

 「大丈夫ですよ。」

 「今度は、樹里ちゃんも一緒に来れたらええなぁ。どうやろなぁ?」

 「…善処します。」

 「…相変わらず、いけずな答えやなぁ。」

 恨みがましく見上げる由貴の眼鏡に雪のひとひらが落ちて溶けた。

 しかし耕助の脳裏には鋭い目つきで包丁を握りしめる樹里の姿が浮かび、乾いた笑いが漏れた。 

 

 「土方曹長、無事帰還しました。」

 「ご苦労様でした。って、なんですか?」

 「気分だよ。あ〜っ、疲れた。」

 「どうでしたか? 逆プロポーズでも喰らったんですか?」

 「んなことあるか。彼女は俺のことは友達としか見ていないと思うぞ。」

 「だから、土方さんはダメなんですよ。で?」

 「彼女の父親が京都から来ていてな。」

 「ほう、とうとう親公認ですか?」

 「同期と差をつけられて悔しくないお前の器量はどんなもんなんだと嫌味を言われたわ。」

 「前言撤回します。そんな親がつくくらいならやめましょうよ。」

 「まあ、カマをかけている程度なんだろうな。京都人はようわからん。」

 耕助はコーヒーをすすりながら、目である人を追っていた。


 「あなた、どうしたの?」

 「ちょっとな。」

 帰宅し、夕食の後片付けまでは頑張っていたが、耐え切れずベッドでうつ伏せになり寝てしまった耕助を心配して樹里がその大きな背中をさすった。

 「なぁ?」

 「なに?」

 「もし、俺がお得意さんで友達との食事会に樹里も連れて行くって言ったらどうする?」

 「ん? 別に? ちゃんとした人ならいいよ。」

 「お前のつけた条件も結構こわいな。狸小路の兎庵っていうところのオーナーで、女の…グェッ!?」

 樹里は勢いをつけて耕助の背中にのっかった。

 「うちの前でおなごんこついうか?」

 「お前、こわいよ。別に俺はその人とはなんともないって。って、そもそもお前には関係ないだろ?」

 「そんなわけ、なかろうがっ! あんたがどこかのドロボウ猫に取られたら、うちが往生すんやろうが!!」

 「お前は俺の嫁か!? 心配すんなって、俺はお前が大人になるまで結婚なんかするつもりはない。」

 「そげなこと、わかっちいるわ!! やけん、なおのこと、はらだたしいんじゃ!!」

 耕助の首根っこに細い腕を回し、しがみついた樹里に寝返りをして自分の体重で潰した耕助はやっと離れた彼女の顔を見ることができた。

 「樹里…」

 ぐしゃぐしゃに涙をこぼした樹里に耕助は息を詰めた。

 「うち…うち…、わかってるっちゃ。うちがあんたんおじゃま虫ってわかってるちゃ。でも、でも、うちにはあんたしかおらん。あんたしか…」

 「すまん。悪かった。」

 耕助は初めて樹里を真正面から恐る恐る抱きしめた。

 ふぇぇ…

 猫のような鳴き声を耕助の胸で抑え、髪を撫でながら姪がどれだけ不安な気持ちと罪悪感を持っていたか、改めて思い知らされた気持ちになった。

 「ごめんな。許してくれな。」

 「ヒッ…ヒグッ…、ダッフルと、つ、ツィードのジャケット、あと、チェックの、スカー…、ダメなら、帯…」

 「調子にのるな。」

 結局、買わされることになりそうな予感をひしひしと感じながら、耕助は小さな樹里の頭を軽く小突いた。


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