ワンダフル・クリスマスタイム
こんにちは
クリスマスは当日より、それまでの準備が楽しかったりします。
初雪からしばらく経ち、それまでは降っては地に着く前に消えていた雪が、ある日、一晩で街を真白に染め上げた。
樹里はまだ誰も足跡のつけていない、ふんわりと白パンのように盛り上がった新雪の上に足をゆっくりとおろした。
ずぶずぶと足が埋まり、樹里の小さな足跡がつけられた。
「んふぅ。」
満足げにため息を漏らし、樹里は足跡を眺めた。
「何やってんだ? 行くぞ。」
「ん。」
耕助の言葉に振り返り、でこぼこなのにツルツルした氷の道を転ばないようにしずしずと彼の後を追った樹里は彼の右手にぶら下がった。
二人は地下鉄に乗り、大通りに向かった。
冬の大通りは夜には電飾で飾られているが、日中はドイツの姉妹都市を模してクリスマス市が立っている。樹里に新しいクリスマスツリーを買った耕助はあらためてこの市で飾りとなるオーナメントを仕入れようと考えた。
市は北海道各地のガラス職人や小物を作る店、そして北欧やロシアなどの直輸入の品物を売る露店が軒を並べていた。
樹里は冷たい空気にほおを赤らめながら、あちこちの店をひやかしていた。そんな様子を耕助は手持ちのカメラでとらえていた。
白銀のような金髪を三つ編みにしたフィンランド人の売り子と会話している樹里にピントを合わせていると、彼女がこちらを向いた。
「ねぇ、あなた?」
耕助はひとまずシャッターを切ってからうなずいた。
「どうした?」
「これ…」
「うぅん…最後だぞ。」
「ん。これください。」
樹里は天使の姿をした陶器のオーナメントを求めた。愛想のない売り子は無表情に樹里から受け取り、袋に包んだ。
「ありがとうございます。」
「…」
彼女は袋を樹里に渡した後、小さな靴下の形をしたフェルトの飾りを樹里に突き出した。
樹里が首をかしげると、奥から日本人の年配の女性が声をかけた。
「おまけだって。受け取ってもらえる?」
「ありがとうございます。」
樹里が満面に笑みで受け取ると売り子の彼女の口元が緩んだ。
「よかったな。」
「ん。なんか、きげんが悪いと思っていたけどちがうんだね。」
「北欧の人はシャイで、人見知りするそうだ。」
「へえ。」
「寒くないか?」
「ちょっと。」
耕助はイートインコーナーに振り向いた。フランクフルトやジャガイモ料理やラーメン、ホットワインに甘酒など温まりそうなメニューが並んでいた。
「少し、温まろう。」
「ん。」
二人は湯気が上がり、胃袋を刺激する匂いが立ち上るプレハブの小屋に向かった。
その日の夜は樹里が自分の背丈ほどのクリスマスツリーに飾りをつけて隣に並び、耕助のカメラに収まった。
一昨日、樹里の祖父は冬季の越冬とリハビリテーション目的に病院へと三ヶ月の入院に向かい、しばらく樹里は耕助と二人で生活することになった。
越冬入院は雪が積もるような寒い地域にはよくあることだが、耕助の父は毎年、不平不満を漏らしつつ向かった。しかし今年は自分から行くといい、耕助が午前だけ有給休暇を取り、見送った。
その日、仕事を終え、学童保育から樹里を連れて戻った家はカーテンも引かれていなく真っ暗で寒かった。耕助がストーブのスイッチを入れていると、樹里の鼻水をすする音が聞こえた。
「寒いか?」
「ん。…家、暗いよ。」
「ああ、そうだな。温まるまで、しばらく時間がかかるから、コートは脱ぐなよ。」
そっと樹里は耕助の右手に自分の手を滑り込ませ、握りしめた。樹里の冷たい手が耕助の手と出会い、暖かみを帯びた。
「あなた、これまで、いつも、こうだったんだね。」
「…あっ? あぁ、まぁ、そうだったな。」
「さみしかった、よね。でも、もう、大丈夫だからね。」
突然の樹里の言葉が耕助の胸を突き刺した。
「…ば、ばかやろう。子供が気にすることじゃ、ないぞ。」
「いいんだよ。だいじょうぶ。だいじょうぶだからね。」
ちっくしょう。
いったい…なんだってんだ。
こいつは…まったく、人の柔らかいところを突いてきやがる。
耕助はそのまま、樹里の小さな手のぬくもりを感じていた。
それから耕助は外食の機会を増やした。一人の時は弁当で済ませていたことが多かったが、樹里の健康や栄養のバランスを考えて自炊することにしたが、まっすぐ帰宅することで寒々しい家の再確認するより、外食で楽しむというワンクッションを置くことでそれを緩和しようとした。
十二月の中盤に入り、あっという間に根雪になってしまった街は転倒の事故が多くなった。
父の日課であった新聞も一番に読むのが樹里に変わった。特に彼女はある紙面を熟読していた。
「おい、早く準備しとけよ。もうすぐ、朝ごはんだぞ。」
「ん。」
樹里は重い腰をやっと上げた。彼女を急かせて出勤した耕助は会社の自分のデスクにつき、ため息をついた。
「おはようございます。」
「ああ、おはよう。」
耕助は一瞬、目を挙げたがすぐに興味を失ったように机上の端末に目を戻した。
「どうしたんですか?」
「永倉、お前はきっとサンタクロースはいないって知っていただろう?」
「えっ? ええ、まあ。いつの間にか知っていましたね。」
「じゃあダメだ。」
「かるく馬鹿にされた気分ですが?」
「そんなんことはない。樹里がな、新聞のサンタクロース追跡記事を気に入ってずっと読んでいるんだよ。」
「それはなんですか?」
「新聞にな、NORADのサンタ追跡に刺激を受けた記事があってな。毎日サンタクロースの追跡記事を載せているんだ。」
「それはまたロマンチックな話ですが、ノーラッドって何ですか?」
「北アメリカ航空宇宙防衛司令部の頭文字だ。アメリカ大陸の空を眠らない目で常に見張っている軍隊だ。」
「変なところで詳しいですね。で、樹里ちゃんがサンタクロースの記事を読んでいることに何の問題があるんですか?」
「永倉君って、意外とわからないのね。きっと土方さんは樹里ちゃんがサンタさんを信じているかもって考えているんだと思うよ。」
それまで話を黙って聞いていた南雲が口を挟んだ。永倉があぁと頷いた。
「そういうことだ。だから、お前に聞いても仕方がないんだ。で、南雲さんはいつまで信じていた?」
「そうですね…小学生になってすぐに男の子から言われてショックだった覚えがあります。」
「それくらいだよなぁ。…ン、フン…水無はどうだった?」
耕助は咳払いをして、やや離れた席にいる水無に声をかけた。
「私は…実は、中学生まで…」
「それ、すごいな。」
「まわりは優しい人ばかりだったんだな。」
「え〜?」
結局、参考になるような意見はなく、もやもやした気持ちで耕助は一日を過ごした。
「なぁ…」
「なに?」
「…サンタに頼むプレゼントは決まったか?」
「……」
まずったか?
耕助はゆっくりと樹里から目を離し、正面のワインボトルを見つめた。
水曜日の今日は耕助と樹里で決めた外食の日だった。耕助は近所のフィッシュマンズバーに樹里を連れてきた。道東の町、厚岸の牡蠣が売り物のこの店で二人は牡蠣のイタリアンコースを楽しんでいた。まわりはカップルが多いが、樹里は気にしないで生牡蠣を頬張っていた。
ごくりと大ぶりの生牡蠣を飲み込んだ樹里はナプキンで口を拭った。
「わたし…」
小首を傾げて、耕助を見上げた樹里は一度口を結び、軽く開いた。
「なんだ?」
「早く、大人になりたいな。」
「…どうしてだ?」
樹里は口を開こうとしたが、ウエイターが次の料理を持ってきた。皿には熱々のリゾットがチーズの香りを際立たせていた。
「…だって、おぢいさんのことやあなたのことだって。」
耕助は大きなため息をついた。何か、違うことを言いたかったのはわかる。だが、それが何だったのか。
樹里は真摯な目で耕助を見つめていた。
「樹里は大人だな。」
「えっ?」
「俺が、お前の頃にはそんなことを思ったことがないぞ。」
「で、でも。」
「いいんだよ。子供でいいんだ。子供でいることを精一杯楽しんで、大人になるんだ。」
樹里が頷いた。そして、耕助は悪い笑みを浮かべた。
「で、本当はなんなんだ。」
樹里の顔が一気に真っ赤になった。
「あぁ…うぅ…いぢわるぅ……ダメなんだよぉ。」
「わかっているよ。」
「あ、あのね…、ダッフルコートが欲しいの。」
「…ぬいぐるみとかおもちゃはいらへんのか?」
耕助は最近よく話をする由貴の京言葉が思わずうつった。
「あってもいいけど、毎日着ることできないから、うれしくなか。」
「ああ、そうですか。で、なんでダッフルコートなんだ? 今年のコートとは違うだろ?」
「知ってる。でもね、IVYって、かわいいんだよ?」
「…どうりで、YouTubeの視聴履歴が変わっていると思った。さかのぼりすぎだろ?」
耕助が紹介し、樹里がはまったアイドルグループがもともと所属していたグループのチャンネルがいつの間にか耕助の登録しているアカウントのお気に入りに登録されていて、視聴履歴も変わっていた。
樹里の顔が真っ赤に染まった。耕助は目尻を下げて、つめていた息をもらした。
「冷めるぞ。早く食べような。」
「ん。」
リゾットはチーズのコクのおくに牡蠣の旨味が込められていた。
「おいひい。」
「ああ。うまいな。」
ま、いいっか。
耕助はとりあえず、明日には見に行こうと決心しておいた。
「で、サンタさんにはどっちにする?」
「…」
樹里は耕助の瞳を貫くように真正面から彼を見つめた。しばらく口を閉じている彼女に目をそらさない耕助の背は冷や汗が滲んでいた。
長い時間が流れたようで、一瞬の間の後、樹里が微笑んだ。
「サンタさんにおまかせするよ?」
「おまえ、…ぜったい、…まあ、いいや。」
このディナーで耕助は経験値が上がった音が聞こえた。




