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KYOTO DOLL

 数日ぶりでした。


 タイトルはベンチャーズというアメリカのバンドが大阪万博記念として作った曲らしいです。


 札幌の冬は晴れると澄み切った空気が剃刀のように鋭く刺さりますが、概ね薄曇りが多くって樹里のように憂鬱になってしまいます。


 そんな時、耕助は東京時代の同期から直接依頼されて初めてのところに営業に行きますが。


 何が難儀したって、京言葉ですね。親戚が滋賀に住んで、京都市で働いていますが純粋な京言葉ではないかなぁって。悩みまくって、時間がかかりました。


 博多弁と同じく、この小説世界ではこれが京言葉ということで(汗

 雪の降りはじめは樹里も喜んでいたが、太陽が姿を見せない日々が一週間近く続くとさすがに不機嫌になってきた。

 薄曇りで決して暗くはないが、空に蓋をされているような気分になる。憂鬱な気持ちで小学校に向かった彼女は自分の席に着いた。

 「もう寒いって言わなくなったね。」

 「慣れちゃった。」

 「雪が積もるとね。大人よりも高くなるんだよ。」

 「えぇ〜? ゆりかちゃん、それはうそでしょ?」

 「ほんとだよー。みんなに聞いてもいいよ。」

 まじめな顔つきになったゆりかのメレンゲのように白く柔らかいほおをつついた樹里は微笑んだ。

 「しんじるよ。」

 「バカにしてるでしょ〜!?」

 「そんなことないってば。」


 樹里がゆりかと遊んでいた頃、耕助は何度目かの溜息をついた。斜めの席にいつもはいる水無は不在だった。彼女は道東の測量会社との取引のために玉川のチームとともに出張に行き、あと一週間は戻ってこない。

 「土方さん。どうかしたんですか?」

 「…いや。そういえば、水無から連絡がないけど、どうしているんだろうな。」

 「…? 商談はうまくいっているそうですよ。僕のところにはありましたよ。」

 「……それなら、いいや。」

 なぜ、上長の俺のところに来ない。そもそも、佐藤さんと付き合っている永倉のところに来るのはどうか? いや、あいつは彼女のメンターコーチだったな。でも、なぜあいつを選ぶ。

 どろどろとした耕助の内面を知ってか知らずか、永倉は涼しい顔つきで自分の端末から、チームの予定のチェックをはじめた。

 「土方さんは、今日は初めてのところですね。」

 「ああ。本社からの依頼だよ。でも、これはなぁ…」

 耕助の社内メールに直接依頼が来た案件だったが、相手先は光学機器には全く関係のない業種でどういうことなのか?

 依頼してきた同期の顔が浮かんだが、さっぱりだった。

 「とりあえず、顔出ししてくる。もしかすると遅くなるかもしれない。」

 「はい。その時は連絡ください。僕が調整します。」

 「永倉がいて、助かるな。」

 「そんなことはないですよ。」

 「いや。謙遜するな。お前がいないと俺が困る。」

 「ありがとうございます。」

 「じゃあ、行ってくるわ。」

 「はい。」


 耕助は会社を出て、大通り方面へと足を進め、四丁目の電停で路面電車に乗った。

 最近はパッケージ電車が多く、辟易していた耕助だったが、久しぶりに昔ながらの緑と灰色の電車のスプリングがあやしいシートに腰を下ろした。車内は耕助のような背広姿は少なく、買い物帰りの奥さんや高齢者、あとはちょっとマニアックな観光客らしきカメラを持った人たちが多かった。耕助は反射的にカメラをチェックし、国産のものだとわかると興味を失った。

 ガコン。

 横揺れとともにモーターが加速する音がシートを伝わり、市電が動き始めた。

 のんびりとした市電は耕助の好みだったが、十一丁目で降りた。そこから少し歩くと、狸小路のはずれに差し掛かった。

 狸小路も六丁目、七丁目あたりは最近昭和レトロな居酒屋やオシャレなバル風の立ち飲みが増えて、再開発が進んでいたが、まだここらあたりはその恩恵に預かっていない様子でシャッターが閉まったままのお店も多かった。

 その中でも、まだ真新しいビルの路面店が耕助の目的地だった。小さな間口で玄関先には大きなのれんがかけられて京菓子本舗 兎庵と書かれていた。

 「こんにちは。」

 耕助が中に入ると涼やかな竹の香りとともに甘い餡の香りを感じた。

 「いらっしゃい。」

 京なまりを標準語に近づけたはんなりとした声が響き、白衣を着た妙齢の女性が出てきた。 

 「何にいたしましょう?」

 「あ、あの、はじめまして…すみません。はじめまして。」

 耕助はお菓子のショーケース越しの彼女の言葉に引っ張られて不自然な関西弁になってしまったことに気がつき、口を押さえ再度言い直した。

 自分の耳が赤くなることに気がつき、彼女の目を見ることができなかった。

 「かまいしませんよ。」

 「はあ、すみません。感染ってしまいました。あの、私、エリスブラッド社の土方と申します。」

 「はあ、はあ。うかがっています。そちらへどうぞ。」

 彼女が指し示すイートインコーナーと思われる小さなテーブルと椅子に招かれ、耕助は腰を下ろした。

 破壊力、凄まじいな。

 耕助は小さく深呼吸を繰り返した。

 「お待たせしました。」

 帽子を取り、束ねた黒髪に黒ぶちの眼鏡が白い肌に映えた京美人が薫り高い抹茶を耕助に差し出した。

 耕助は名刺を取り出した。

 「ありがとうございます。改めて、エリスブラッド社の土方耕助です。」

 「いえ、こちらこそ、ご足労いただきありがとうございます。私はこのお店のしています谷崎由貴ともうします。」

 由貴も名刺を受け取り自己紹介した。

 彼女の言葉こそ標準語であったが無理して使っていて、イントネーションは変わらず京言葉の彼女に耕助はペースをつかむことに必死だった。

 「東京の坂本がよろしくお伝えくださいとのことでした。」

 「はぁ。あのお方も律儀な方ですなぁ。実はうちの父がお宅さんのカメラをぎょうさん持ってましてなぁ。そのご縁でうちにもお声がかかりまして。」

 「そうでしたか。」

 「はぁ。」

 なんとも、雲をつかむような話だな。

 「もともとは京都の方でしょうか?」

 「そうです。よぉ、お分かりになられましたなぁ。」

 「ははは。札幌で京菓子は珍しいですね。」

 「そうですね。北海道といえば、バターやミルクを使った洋菓子の方が有名ですものね。」

 「そうですね。酪農王国ですからね。」

 「でも、小豆なんかは北海道のものが美味しいですから、きっと和菓子もいけるんちゃうかと思いまして。」

 「で、こちらにお店を出されることになったと。」

 「はい。運良く、のれん分けさしていただけることになりましたので、思い切ってきてしまいました。」

 「そうなんですね。でもどうして札幌を選びました?  例えば東京の方が、色々と楽だと思いましたが。」 

 「やっぱり、あちらにはない空気と何より食べ物が美味しいじゃありませんか!?」

 キラキラとした瞳が眼鏡越しにも耕助に届いた。

 「ま、まあ、そうですね。」

 「ほんまにあのイクラのきらきらとした真っ赤な粒やお芋さんの男前の顔立ちとホクホクとした美味しさなんか、たまりません。牛乳だってあんなに濃ぃのに後味がさっぱりされているなんて、反則です。」

 「は、はあ」

 なんか濃い人だな。

 耕助は引き気味になった。

 「そ、それで、うちがお役に立てられるようなことは…」

 「はて?」

 あの野郎!?

 「坂本さんからはうちの父が使ってはるようなカメラで土方さんにうちのお菓子を撮ってもらったらとお話をいただいてましてなぁ。」

 「お父様は弊社のカメラをご愛用にされているということでしょうか?」

 「はぁ。もう、何台も持ってはりまして、高じてお友達に勧めたり、いろんなんことをしてますの。」

 耕助は胸の奥でため息をついた。どうやら、カメラ部門の会社のお得様なのだろう。もしかするとうちも含めた株主なんだろう。

 「私は、その、営業なのでカメラは下手の横好きで専門的な知識に乏しいのですが、それでもよろしいのでしょうか?」

 「はい、それは承知しております。なんでも、コンテストがあるというお話をいただいてましてなぁ。それに自分が撮って出そうって。そのうち、お店の商品の写真を自分で撮れたらええなぁと考えてまして。はじめは父に頼みましたが、講釈が長くて長くて。一向にカメラに触らせてくれへんし、いきなり本職の方はとてもとても。敷居が高いですから。そんなことを坂本さんがいらっしゃった時にこぼしたら、請け負ってくれましてなぁ。」

 「そうですか。それで、カメラの方は?」

 「はぁ。ものですか? それとも経験?」

 由貴の白く細長い指が宙に四角を描いた。

 「まぁ、両方ですか。」

 「カメラは実家に帰った時に一つ父に無断で拝借させてもらってきたんです。経験はフィルムを買ってきたんですけど、どうにもあいませんでなぁ。往生してましたんです。」

 耕助はため息をついた。

 「なるほど、そこからでしたか。」

 「カメラはお店に持ってきてます。ちょっと見ていただけますか?」

 そう言うと彼女は立ち上がってパタパタと奥に戻った。耕助は胸からスマートフォンを取り出した。

 「ああ、永倉か? …すまんが、遅くなりそうだ。 …いや、難しいことではないが、ちょっと風変わりなことになってな。戻ってから説明する。 …ああ、じゃあな。」

 電話を切るとすぐに彼女が戻ってきた。手には大事そうにカメラを抱えていた。

 「これです。」

 差し出したカメラを受け取った耕助はうなずいた。箱型のカメラは耕助のものと同じフォルムをしていたが、若干機能が違う。レンズは標準の八十ミリレンズか。

 「ありがとうございます。この型ならわかりますよ。随分と綺麗にされていますね。」

 「ええ。父の蔵から箱のまま、しまわれていて、使ってなかったようです。」

 「それって、デッドストック? …いや買ってミントコンディションで保存していたのか? これ、お父様には…言っていないんですものね。」

 耕助の独り言のような問いかけにうなずいた由貴は顔を強張らせた。

 「なんか、マズイことしてしまったんでしょうか?」

 「あぁ…道具は使われてこそのものですから。あとで、お父様にはちゃんとご報告された方がよろしいかと思います。」

 「そう…ですよね。でフィルムが入らないんですが?」

 「ええ、このカメラに使うフィルムは違うサイズなので、多分ダメだったのでしょうね。」

 「はぁ…えらい損してしまいましたか。」

 耕助は目の前の落胆する女性に微笑んだ。

 「デジタルカメラ全盛の時代ですし、フィルムが違うことを知っている人自体、ほとんどいませんよ。さて、どうしましょうか?」

 「そうですねぇ。また次回ということで。」

 やっぱりそうなるか。詳しい事情は坂本に直接聞いてやる。

 「いつ頃が都合よろしいでしょうか?」

 「そうですね。今晩はいかがでしょうか?」

 「…申し訳ありませんが、予定がありまして。」

 勢い込んだ彼女はがっかりとした様子でうなだれたが、すぐに違う日取りを提案し、耕助はうなずいて、スマートフォンのスケジュールに書き込んだ。

 仕事の話が終わり、耕助は店内のお菓子を見せてもらっていた。

 御火焚きと呼ばれる冬の火祭りの記事が書かれ、それにちなんだ季節のお菓子である御火焚き饅頭が平皿の上に積まれていた。その近くには落雁があった。落雁と言ってもお彼岸などに飾るものではなく、お茶席に出すような小さな花や亀甲模様に混じって猫やヒヨコなどのかわいらしい形が混じっている。 

 「これ、珍しいですね。子供が喜びそうですね。」

 「ええ。ちょっと趣味で。面白いかなと思いまして。」

 「かわいいのを選んで少しください。」

 「ありがとうございます。お持ち帰りですか?」

 「いえ、送って欲しいですけど。」

 耕助は宅配便のマークを見ながら答えた。

 「はい。どちらですか?」

 「福岡なんですが。」

 由貴はかがんでショーケースの中から落雁を選んでいた手を止めて、耕助の顔をちらりと見上げた。 

 「これでいかがでしょうか?」

 「ええ。ありがとうございます。」

 

  会社に戻ると耕助はすぐに東京の本社に電話をかけた。

 「ああ、久しぶりだな。で、今回の件はどういうことなんだ?」

 「なんだ?」

 「とぼけんなよ。京都のお嬢さんの件だよ。」

 「ああ、あれな。カメラ屋の大株主なんだよ。うちに仕事を回してくれたお礼に伺ったら、娘さんからこぼされてな。お前を紹介したんだよ。お前が好きそうな人だろ?」

 「ウッセーよ。」

 耕助たちが働くエリスブラッドは日本での展開を昔より人気のあるカメラ部門と光学機器部門に分社化していた。そのためにカメラ部門のことを耕助たちは『カメラ屋さん』と呼んでいた。

 「で?」

 「でってなんだよ? 俺でいいならと教えることになったよ。」

 「そうか、まずは第一歩はいい感じだな?」

 「お前、茶化すなよ。」

 「いやいや、俺は本気だぞ。由貴さんは独身だし、彼女の父親からも頼まれているんだよ。」

 「お前、どんだけそこの家に食い込んでんだよ。」

 「どうせ、今は付き合っている奴なんかいないんだろう? 聞いたぞ。」

 「誰からだよ。」

 「玉川。」

 「あの子は…。なら、俺が子供を引き取ったっていう話も聞いているだろう?」

 「ああ、小学生だっけ? 別にいいんじゃないか? 養子にしたってわけでもないし。」

 「そんなことを言っているわけじゃないんだよ。もういいよ。聞かなかったことにする。」

 受話器を置いた耕助は深くため息をつき、目を閉じて、ぬるくなったコーヒーをすすった。

 「どうやら、面倒な案件のようですね。」

 「ああ、まったくだ。」

 「で、どうするんですか?」

 「仕事は、仕事だ。」

 永倉に答えた耕助はもう一回ため息をついた。


 樹里を連れて家に戻ると耕助は晩御飯を食べる前に並べた夕食の皿にカメラを向けた。

 「なにしているの?」

 「んん? ちょっと仕事でな。」

 「うっとうし〜よ〜。ごはんを食べる時はちゃんと食べないとダメだよ。」

 「ああ、ごめん。」

 耕助はあまり用いないデジタルカメラを置いて、席に戻った。

 「はい。いただきます。」

 「はい。」

 改めて二人は夕食をはじめた。


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