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MOONLIGHT SHADOW

 樹里は丑三つ時に目が覚めてしまいます。

 夢か現か、まだ幼さが残る樹里の想像力が知覚させた現象か?

 そこから、耕助は不思議な縁を感じます。


 怖い夢を見た。

 夜更けに樹里は目を覚ました。

 覚めた途端に夢は霞のように消えてしまった。思い出したくもないが、怖かった思いだけは早鐘のように乱れ打つ心臓が教えてくれた。

 照明を落とした部屋は休みの日に耕助と一緒に冬物の厚いカーテンに取り替えたばかりで、真っ暗だった。


 いま、何時だろう?


 なんか、暗いな。カーテンを替えたから?


 目だけを動かして部屋の中を見回した。


 ふと、床の上に黒い固まりがあるように気がした。


 あれ?


 樹里は几帳面な性格で、パジャマに着替えた時に洗濯に出すものはすぐにランドリーバッグに入れ、部屋着やカーディガンはクローゼットの扉につけたバーのハンガーにかけている。本もすぐに元にあったところに戻すようにしている。

 だから床にはものは置いていない。

 そもそも樹里は耕助から与えられた部屋を着替えや寝るためだけに使っているようなものだった。

 家でくつろぐ時はおおむね耕助の部屋にいる。

 部屋を散らかすことはない。

 じゃあ、あれはなんだろうか?

 樹里の胸の中で疑問が膨らんできた。


 なんか、見られているような気がする。

 もし、近づいてきたりしたら…


 樹里は目をきつく閉じて、毛布を頭からかぶった。

 蒸し暑い布団の中で、樹里は身震いをした。膝が胸にくっつくほどまるまった。


 ユ、ユウレイ? 耕助さんからは聞いたことないけど。

 …そういえば、博多にいるとき…お母さんが変なことを言っていたっけ。朝子お母さんのお家にも、小さい子の写真が…


 トサッ。


 羽毛布団の上に軽くて小さな何かが乗っかる音がした。

 樹里は半べそをかいて耳を両手でふさいだ。聞きたくないと思っていても目もつぶり、周りから遮断された布団の中で聴覚だけが異様に研ぎ澄まされていた。


 かすかな時計の針の音。


 風が窓を叩く音。


 どこからともなく聞こえるブーンという音。


 その全てが耳に入ってくる。その中に、動物が威嚇するときのフゥーッという声に近い声も混じっているような気がした。

 ゆったりと動く気配がして、布団が軽くなった

 ホッとした樹里の耳にかちっという音が届き、扉の開く音が聞こえた。

 「ヒィッ!!」

 樹里は悲鳴を必死に飲み込んだ。


 「…珍しいな。こんな時間にトイレって。」

 「出そうなんだから仕方がないだろ。」

 「まぁ、そうなんだけどな。」

 「お前は黙って手伝え。」

 「うゎっ。殺意を覚える。」

 「できるもんなら、やってみろ。お前なんかひとひねりだ。」

 「チックショー。ヤッテミテェ。」

 「うるさい。樹里が目をさますだろ。」

 「わかってるよ。」

 扉の向こうからのんきな親子の会話が聞こえてきた。

 布団から片目が見えるように少しだけすきまを空けた。あたたかい暖色の廊下の照明が開いた扉の隙間から漏れてきていた。

 樹里は布団を跳ね飛ばすと駆け足で部屋を出た。

 「樹里もか?」

 振り返った耕助は祖父のパジャマのズボンを上げながら声をかけた。

 樹里はあったことを話そうかと口を開いたが、急に夢でも見ていたような気分にとらわれた。結局、口を閉じて頷いた。

 水を流す音が廊下に響き、樹里は祖父と入れ替わりでトイレに入った。明るいトイレの中で猫の写真のカレンダーを眺めながら、用を果たした。

 廊下の照明に照らされた樹里の部屋は光が当たらず、仄暗い闇が占めていた。闇へと通じるそのドアを彼女はしっかりと締め、自分の守護騎士がいる隣の部屋のドアを開き、部屋に飛び込んだ。


 「おい。」

 「…いいの。」

 「いいのって、よくないだろ? お前の部屋はあっち…」

 「だから! きょうはっ!! いいの!!!」

 樹里が耕助のベッドの中に潜り込んできた。慌てた耕助が声をかけるが、夜目にもわかるほど顔を赤らめた樹里は全身で耕助を押しのけて、自分のスペースを作り、目を閉じた。

 部屋のデジタル時計を見ると二時を回ったところだった。

 体格の良い耕助はダブルベッドで一人で寝ていた。

 しかし、いくら子供でも十歳ていどになるとさすがに狭かった。仕方がなく仰向けで寝ることをやめ、横を向いて、樹里を包むように寝ることにした。


 首を揉みほぐしながら耕助はコーヒーをいつもよりも濃く落としていた。樹里はもう着替えを済ませて、すっきりとした顔で祖父にコーヒー牛乳を渡していた。

 「ねぇ、気になっていたんだけど…」

 「なんだ?」

 「むかし、動物をかっていた?」

 「ああ、まだお前のばあちゃんが元気だった時に猫を飼っていたぞ。どうした?」

 「ううん。柱に引っかき傷みたいのがあったから。」

 「そうか、話したことなかったな。」

 耕助はマグカップを手に固定電話を置いてある場所に向かい、樹里を手招きした。

 「こいつだ。」

 「…かわいい。」

 額に納められている写真には真っ白な毛の長い子猫が写っていた。

 「だろ。見かけはかわいいんだけどな。こいつがきかんぼうでな。イライラすると柱で爪とぎするわ、ヘソを曲げるとわざとそこらでおしっこするわ、機嫌がいいとすごく利口でいい子なんだけどな。」

 「ふぅん。」

 「扉も自分であけちまうんだ。樹里の部屋がお気に入りでな、いつも窓のところで外を眺めていたんだ。」

 「えっ?」

 樹里の大げさな反応に耕助は肩をすくめ、冗談っぽく声をかけた。

 「案外、きのう来たのかもな。」

 樹里は黙ってしまい、耕助の胴に抱きつき、顔を埋めた。

 「おいおい。…って、おい、まじかよ?」

 樹里はさらにきつく抱きつき、耕助から離れようとしなかった。

 猫の写真の前で樹里は昨晩あったことを話すと、耕助は樹里と目線を合わせるために膝をつき、真剣な顔で頷きながら、黙って話を聞いていた。

 カレンダーに目を移した。

 「…まあ、寝ぼけたんじゃないんだろ。だとすると、まあ、あ〜、お前のことを家族だと認めたのかもな。」

 「…うれしいかも。君、守ってくれたんだね。」

 「さぁ、早く準備をしちまおう。」

 「…うん。」


 「なんか、今日の土方さんは静かですね。」

 「ちょっとな。思うところがあってな。」

 黙々と仕事をこなしている耕助に永倉が声をかけたが、素っ気なく返された。

 昼休みになり、耕助はふらりと一人で表に出て駅前の広場のベンチに腰をかけた。

 携帯電話の電話帳にある番号にかけた耕助は初冬の青空を見上げた。

 数度の呼び出し音で相手は出た。

 「もしもし、お久しぶりですね。」

 「ええ、ご無沙汰しています。」

 耕助のかけた先は亡くなった兄の妻だった朝子だった。

 「樹里ちゃんは元気?」

 「ええ、手のかからない子で助かっています。」

 「そう。それで、今日は?」

 「近況報告がてら、それと、あの、もうそろそろだったなと思って。」

 「耕助さんは優しいのね。もう、気にしなくてもいいのよ。」

 「いえ。数ヶ月だったとはいえ、俺の姪でもあったんですから。」

 「そうだったわね。ごめんなさい。」

 「いえ。なんか、こちらこそ、思い出させちまったかなと、すみません。」

 耕助は歯切れ悪く答えた。

 「いいえ。」

 「また、お花を送らさせていただきます。」

 「本当に、もういいのよ。あの人もいなくなったことだし。…あと、樹里ちゃんには話していないわよ。同い年のお姉ちゃんがいたこと。気になっていたでしょ?」

 「お気遣い、ありがとうございます。でも、いずれ話す機会もあるかと思います。」

 「その時は耕助さんの判断にお任せします。樹里ちゃん、私のことを何か言っていました?」 

 「ええ、とても親切にしてくれたとか。」

 「スッゴク、複雑だったわよ。可愛いし、とてもいい子だから、ほんの短い期間でも一緒に過ごせて楽しかったわ。でも、うちの子が大変だった時にあの人はなにしてやがったんだって。」

 「…言葉もありません。」

 改めて、我が兄ながら鬼畜な事を義姉にしていたのかと、耕助は背中に嫌な汗が滲んだ。

 「もう済んだことだけどね。お花は本当に気にしないでね。」 

 「はい。ありがとうございます。」

 「樹里ちゃんも、もうそろそろお年頃なんだから、困ったらいつでも相談してね。なかなかそちらに行くことはできないけど、相談だったらいつでも乗れるからね。」

 「本当にすみません。甘えさせていただきます。」

 「じゃあね。」

 「失礼します。」

 耕助は電話を切った。

 よく考えると義姉さんは本当に大変な人生を過ごしている。俺と同い年なのに。でもあの柔らかさを保っていられるのは、きっと芯が強いのだろう。

 樹里と一緒か。

 耕助はコートの内ポケットに携帯電話をしまい、遠くの得意先に向かうために駅に向かった。


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