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翌朝、俺が登校して机の中を見てみると、なにやら手紙らしきものが入っていた。
これはもしや、ラブレター!?
男女共学である場合、これほど心ときめくイベントはそうそうない。
なお、男子校だったら一転して、地獄へと叩き落される結果となる。
と、それはともかく。
うるるとエリカが登校してこないうちに、俺は素早く手紙を取り出してみた。
差出人はクリオネ。
そこでラブレターだという可能性は費えてしまう。
いや、現実的に考れば、ないわけではない。
むしろ、あってしかるべき、くらいなのかもしれない。
だが、もしそうであっても、俺の答えは決まっている。だから、心ときめくイベントになりえるはずもない。
クリオネは俺に好意を持ってくれている。
あれだけあからさまなのだから、間違いないだろう。
激しく鈍い部分のある俺ではあっても、さすがにそれくらいはわかっている。
しかし同時に、ツチノコの視線が常にクリオネのほうを向いている、ということにも気づいている。
ツチノコもクリオネも、俺にとっては大切な友達だ。中学時代からではあるが、ほとんどずっと一緒にいて、苦楽をともにしてきた。
この心地よい関係を壊したくない。だから俺は、気づかないフリを貫き通している。
いつまでもこのまま、というのは無理かもしれない。だとしても、今はまだ平穏な友達関係の中に身を委ねていたい。
仲よし三人組のままでいたいのだ。
今ではうるるとエリカも加わって、五人組となってはいるが。
……おっと、そんなことを考えている場合じゃないな。
俺は急いで手紙に目を通す。
結論から言えば、それはやはりラブレターではなかった。
俺を呼び出す内容。
一時間目の休み時間、うるるやエリカ、ツチノコにも内緒で、特別教室棟の校舎裏まで来てほしい、というものだった。
これだけならば、ラブレターの線が消えることもないのだが。
うるるとエリカについて、話したいことがある。
詳しい事情までは書かれていないものの、そう記載されているからには、これはラブレターではないのだと推測できる。
クリオネがいったいどういうつもりなのか、よくわからない。
本人の顔色をうかがいたい場面ではあるが、クラスが違うためそれもできない。
様々が思考が頭の中を駆け巡っているうちに、一時間目の授業はあっという間に終わっていた。
「ちょっと、トイレに行ってくる。戻ってくるのは、休み時間が終わるギリギリくらいになるかな」
そう言い残して教室を出た俺は、おそらく『大のほう』だと思われていることだろう。
ちょっと嫌な気分ではあるが、ここは仕方がないと思っておくしかない。
学園の敷地内でも、人の姿が少ない場所は存在する。
先日の第二体育倉庫の辺りもそうだが、この特別教室棟の校舎裏もかなりのもので、隠れて誰かと会うにはうってつけの場所となっていた。
そこに、ひっそりとたたずむ、ひとりの女子生徒。
確認するまでもなく、それは俺を呼び出した張本人、クリオネだった。
「お待たせ。で、どうしたんだ?」
問いかけると、クリオネは切迫した表情で必死に訴えかけてきた。
「あのねっ! あの子たち、やっぱり怪しいよっ!」
「あの子たちって……うるるとエリカ?」
「だよっ!」
うるるとエリカが怪しい。
そんなの、わざわざ今さら言うことでもない。
「確かに、変わった子たちではあるけど……」
「そうじゃなくてっ!」
俺の言葉に食い気味で否定をかぶせてくる。
詳しく聞いてみると、どうやらこういうことのようだ。
昨日、あの第二体育倉庫の一件があり、職員室で先生に怒られた(というか呆れられた)あと、俺たちはすぐに帰宅した。すでに部活動をしているような時間ではなくなっていたからだ。
うるるとエリカは向かう方角が違うため、校門でいつもどおり別れることになった。そこからは、残る三人で会話しながら帰路に就くのが常なのだが。
そういえば昨日は、クリオネだけ別行動を取ったんだっけな。本屋に寄りたいから駅のほうまで行く、と言っていた記憶がある。
「実はあれ、嘘だったのっ! あのふたり、絶対におかしいと思って、私、尾行してみたのよっ!」
「うるるとエリカを追いかけたのか?」
「だよっ!」
それで、なにがわかったのかといえば。
結果、知り得たことはなにひとつとしてなかった。
なぜなら、途中でまかれてしまったからだ。
「つまり、尾行に失敗した、ってことだよな? クリオネの持ち前のドジ属性から予想できるとおり」
「持ち前のドジ属性ってなによっ!? キシャーーーーッ! ……って、それは置いといてっ!」
置いておくのか。
「うるるさんとエリカさん、私の尾行に気づいてたんだと思うのっ!」
「まぁ……クリオネに隠密行動ができるとも思えないしな……」
「ぶぅ~っ! 不満だけど、それもいいとしてっ! あのふたり、私が尾行しているのに気づいて、わざと遠回りして複雑な路地に入り込んだみたいなのっ!」
「それで見失った、ってことか」
「だよっ!」
うるるとエリカが本当に遠回りしたのかどうかまではわからない。
それでも、あのふたりが今どこに住んでいるかは、幼馴染みの俺でさえ教えてもらっていなかった。
クリオネやツチノコは、うるるとエリカがウーパールーパーとエリマキトカゲの化身だと知らない。
とすると、怪しいと思う気持ちは俺以上に強いに違いない。
ただ、秘密を知っている俺にしてみても、やはりあのふたりは謎だらけだ。
小学校に上がったばかりの頃、俺はうるるとエリカに出会った。
とても仲よしだった。
幼心に、このふたりを大切にしないと、このふたりを幸せにしてあげないと、といったことを漠然と考えていた。
そんなうるるとエリカについて、俺はどれだけ知っていただろうか?
なにも、知らなかった。
うるるはウーパールーパーの化身で、エリカはエリマキトカゲの化身。
それは知っていた。
いや、それしか知らなかった、とも言える。
ふたりは当時、どこに住んでいた?
わからない。
ふたりのご両親は、それぞれどんな人だった?
わからない。
ふたりはよく俺のそばにいたが、それ以外の時間は、どこでなにをしていた?
わからない。
もちろん、どんなに大切に思っている相手であっても、所詮は他人。百パーセント完璧に、なんでもかんでも把握できるわけじゃない。
もし仮に把握できていたとしたら、それはストーカー的な行為だと言わざるを得ない。
だとしても、だ。
俺はうるるとエリカについて、知らないことが多すぎる。
そもそも、どうしてウーパールーパーとエリマキトカゲの化身であるふたりが、ずっと俺のそばにいてくれたんだ?
わからない。
どうしてふたりは、俺のもとから去っていったんだ?
わからない。
どうしてあれから何年も経った今頃になって、俺の前に戻ってきたんだ?
わからない。
去っていったのは引っ越したからで、高校入学を機にこの近辺へと戻ってきた。
俺はずっとそう考えていた。
その想像は、大きく間違ってはいないと思うのだが、本当にそれだけなのだろうか?
昔のことを思い返してみればみるほど、ふたりに対する不信感が湧き上がってくる。
俺が交通事故で数日間入院しているあいだに、ふたりは引っ越してしまった。
記憶に残っているのはそれだけで、交通事故に遭ったときの状況――どこでなにをしていて交通事故に遭うに至ったのか、俺はまったく覚えていない。
事故の影響で脳が混乱し、嫌な記憶を自動的に消去した。
そういうことは、往々にしてあるものだ。
大きな精神的ショックによる記憶障害。一時的なもので済む場合もあれば、一生記憶が戻らない場合もある。
嫌な記憶に引きずられて前に進めなくなるのを防ぐ、いわば人間の防衛本能とも言えるだろうか。
いや……実際にそうだったのか?
深く考え始めると、途端にわからなくなってくる。
交通事故に遭った頃の俺の記憶は、やけにぼやけている。
事故に遭った瞬間やその前後のことだけを忘れているのであれば、ショックによる影響だったと考えてもいい。
しかし、交通事故に遭ったのだから、あのとき俺はどこかの道路にいたことになる。
どんな目的を持って、どこへ向かって外出していた際に、交通事故に遭ってしまったのか。
俺はまったく覚えていない。
事故の数時間くらい前からの記憶が、すっぽりと抜け落ちていたのだ。
それだけでなく、その頃の記憶にはちらほらと、曖昧な部分があることにも気づいた。
単純に昔のことだから忘れてしまっただけ。そう考えるのが自然だとは思うが……。
帰宅後、俺はお母さんに尋ねてみることにした。
「俺が小さい頃、仲のよかった女の子たちがふたりいたよね? 覚えてる?」
「え……? あ~、覚えてるわよ。えっと、確か……うるるちゃんと……エリカちゃん、だったかしら。可愛らしい子たちだったわよね~!」
お母さんはふたりのことをしっかりと覚えていた。俺の家に遊びに来たことがあった証拠だ。
これで、うるるとエリカが俺の記憶の中だけに存在していた幻だった、という可能性は消え去った。
「あら? あなた、確か最近、幼馴馴染みの女の子たちと再開した、とか言ってなかったっけ? それって、その子たちだったの?」「あ~、うん、そうだよ」
夕飯の席で軽く話したことはあった気がする。
俺の家の場合、テレビを見たりしながらの食事が多いためか、食卓での会話はあまり多くないのだが。
「あのさ、ふたりの両親がなにをしている人だとか、そういう話を聞いた記憶ってある?」
「え? ん~……。よく覚えてないわ。少なくとも、会ったことはなかったわね~。小学校一年生のときの授業参観には、どちらの親御さんも見えてなかったと思うわよ?」
「そうなんだ」
ウーパールーパーとエリマキトカゲの化身。
もし両親がいるのなら、当然そちらもウーパールーパーとエリマキトカゲのはずだ。
うるるもエリカが人間の姿になっていたのだから、両親だって同様に変身できるだろうし、仮に会っていたとしても違和感はなかったと考えられる。
にもかかわらず、どちらの両親も人前に姿を見せていなかった。
俺とお母さんの記憶だけだから、そう結論づけるのは早すぎるかもしれないが……。
なにやら怪しい。怪しすぎる。
クリオネやツチノコに対してだけでなく、なにか俺にも秘密にされていることがありそうな気がするな。
俺はその瞬間から、幼馴染みのうるるとエリカに懐疑的な思いを抱きながらの日々を過ごすことになった。