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珍生物部を発足してまだ一週間ちょっとくらいだが、俺たちは毎日かかさず、全員参加を続けていた。
放課後になったら、珍生物部の部室である生物準備室へと向かう。それが俺たちの日常となっている。
その際、隣のクラスのクリオネはともかく、他の四人は同じクラスのため、基本的には一緒に教室を出ることになるのだが。
今日はなにやら、うるるが別行動を取った。
「ちょっと頼まれたことがあるの~。先に行っててね~!」
まぁ、そういう場合もある。
俺の恋人だと称してべったり絡みついてくることが多いうるるやエリカでも、四六時中くっついているわけではない。
当然といえば当然だ。トイレにまで一緒に入ってきたりはしないのだから。
それ以前に、部活が終わって校門を出たあとには、幼馴染みのふたりは俺とは別方向へと帰っていくことになる。
帰宅後にうるるとエリカがどんな生活をしているのかだって、俺には知るよしもない。
先に教室を出ていったうるるのことは気にせず、俺はエリカとツチノコを引き連れて、いつもどおり部室へと足を向けた。
だがそこで、不意に尿意が襲いかかってきた。
「俺、トイレに寄ってから行くよ。それじゃあ、またあとで!」
そう言って、エリカたちと別れた。
トイレの中に、ひとりきり。
よくあることだ。
校庭のほうから、サッカー部員やら野球部員やらの練習する声が聞こえてくる。
元気にスポーツなどに従事する生徒たち。
少々体が弱めの俺には、運動部に入ることなどありえない。だからこそ、中学の頃も生物部などという地味な部活に入っていたわけだが。
一般的に考えれば、スポーツに熱中して大空のもとで汗をかくというのは、青春時代を楽しむ上で最高のスパイスとなるものだろう。
体を動かすこと自体に喜びを覚える。
それもあるとは思うが、単純にカッコいい。
とくに男子の場合、運動部のエースともなれば、モテモテになれるのは確実と言ってもいい。
俺には絶対に無理だが、そういう存在に憧れる思いはある。
うるるやエリカは俺の恋人だと言って、頻繁にベタベタとくっついてきている。
だがよくよく考えてみれば、俺なんかのどこを好いてくれているのか全然わからない。心底不安になってくる。
俺とあのふたりは幼馴染みだから、楽しい思い出がプラスの方向に働いている、という可能性は高い。
だとするならば、ふたりが幼馴染みでなかったら好かれたりはしなかった、とも言えてしまうのではなかろうか。
「やっぱり、ふたりをつなぎとめておくために、珍生物部の活動を強化しないといけないな」
無意識につぶやきが漏れる。
なにをどう強化すればいいのか、まったく思いつきもしない。
すでにふたりとも俺にべったりくっついてきている状態なのだから、これ以上なにができるかも疑問だ。
あとはもう、俺のほうからアプローチするくらいしかないような気もする。
俺はうるるとエリカを大切に思っている。それは小学生だった当時から変わっていない。
同時に、一歩引いて見守っている、という部分もある。
その理由は、ふたりがウーパールーパーとエリマキトカゲの化身だからに他ならない。
普通の人間のようにしか見えなくても、うるるとエリカは実際には物の怪やら妖怪やら妖かしやらといった存在になる。
ずっとそばにいてくれるのは素直に嬉しい。
とはいえ、結婚とか、ましてや昼休みに話していたような交尾とか、そんなことをする関係性になるのは想像できない。
「まだ高校一年生だし、結婚なんてどっちみち無理なんだけど」
再び、つぶやきが口を突く。
だったら、結婚できる年齢になったらどうなのか。
俺は……考えるのをやめた。
今は楽しく過ごしていられればいい。
せっかく幼馴染みのふたりが戻ってきてくれたのだから。
それに加えて、中学時代の友人ふたりも同じ珍生物部に入ってくれたのだから。
思考を巡らせながら、俺たちの活動の場へと向かって廊下を歩いていると、ふと窓の外にうるるの姿があることに気づいた。
中庭を、うるるが歩いている。
それはいいだろう。
ただ、とてもフラフラしていて、非常に危なっかしい。
なぜそんな感じになっているのか。
答えは簡単。カラーコーンを持っているからだ。しかもうるるは、それをいくつも重ねた状態で持ち運んでいる。
「なにやってるんだ?」
うるるがカラーコーンを使う。
そんなの、ありえない。
もし仮になにか遊びに使いたいと思ったとしても、ひとつだけあればいいはずだ。
そういえば、うるるはさっき言っていた。頼まれたことがあると。
その点を考慮すれば、おのずと結論は導き出される。
すなわちこれは、運動部所属のクラスメイトか誰かがうるるに面倒を押しつけた結果なのだ。
うるるは常にのほほんとしている。
クリオネに対しては若干黒い発言を交えたりはするものの、基本的に素直で人を疑うことのできない性格でもある。
「どうしても外せない用事があるから、代わりに後片づけしておいて」
そんなふうに言われたら、うるるは「うん、わかったの~!」とふたつ返事で引き受けるに違いない。
誰だかはわからないが、うるるを騙して利用したことになる。
「ひどいな、まったく」
つぶやきをこぼす……だけではない。
言うまでもなく、俺は瞬時に目的地を変更。四苦八苦しながら荷物を運んでいるうるるのもとへと急いだ。
☆☆☆☆☆
「うるる」
「あっ、ダイナなの~! あわわわっ!」
俺に気づいて振り向いた瞬間、バランスを崩して抱えていたカラーコーンを落っことしそうになる。
「おいおい、気をつけろよ」
とっさに手を伸ばし、それを支えてやる。
「で、どこまで運べばいいんだ?」
言いながら、俺はカラーコーンをすべて、うるるの腕から奪い取った。
「えっと、第二体育倉庫だけど……。でも、あたしが頼まれたのに……」
「気にするな。力仕事は男の役目だ」
「……ん。ダイナ、ありがとうなの~!」
申し訳なさそうな表情をしながらも、うるるは素直に受け入れてくれた。
ふたり並んで、第二体育倉庫へと向かう。
中庭を越えた先にひっそりとたたずむ、ボロっちい小屋。その中に、使用頻度の高くない体育用具などが仕舞い込まれている。
「ここって、あまり使われてない倉庫だよな」
「うん、そうみたいなの~。なんだか寂しくて、怖い場所なの~」
クリオネの語っていた怪談が思い出される。
この場所で首を吊って自殺した生徒がいて、恨みを持ったその生徒の幽霊が夜な夜なさまよっているとかなんとか……。
まさか、そんなわけはない。
そもそも、今はまだ日も傾いていない時刻。
出るはずがない。
「それにしても、疲れたの~。ぱたりこ」
擬音まで口にして、うるるが何枚か重ねて置かれてあった薄汚れたマットに体を横たえる。
ぽよんとダイブした瞬間、ホコリが舞い上がったように見えた。
本当に、あまり使われていないみたいだ。
「まぁ、確かに疲れたな」
ここまでずっと抱えてきたカラーコーンを倉庫の片隅に置き、ぐるぐると肩を回したのち、俺もマットに腰を下ろす。
正直、息を吸い込むたびにホコリとカビの入りまじったようなニオイがして、お世辞にもいい環境とは言えなかった。
それでも、力仕事で疲れた体を一時的に休める程度であれば、さしたる問題はないだろう。
「すーすー……」
「うわっ、ここで寝るかよ!」
うるるは隣で寝息を立てていた。
薄汚れたマットにうつ伏せの状態。顔を横に向けているとはいえ、健康には悪そうだ。
だからといって、起こすのはかわいそうに思える。
幼馴染みの安らかな寝顔に、俺は思わず相好を崩す。
つんつん。
軽くほっぺたをつついてみた。
柔らかい。
実際、うるるはすごく可愛らしく、そして女性らしくなっている。
そんなうるるの顔を横目に見つつ、俺もマットに仰向けになる。
薄汚れてはいるが。
意外と気持ちいいな。
うとうとうと……。
まぶたが次第に重くなってくる。
静かでカビ臭い体育用具倉庫の中――。
いつしか、俺も眠ってしまっていた。
☆☆☆☆☆
ふと気づけば、辺りはすっかり暗くなっていた。
「あっ!」
がばっと起き上がる。
すぐ横では、同じように眠りこけていたうるるも目を覚ましたらしく、寝ぼけまなこを指でこすっている。
一瞬、暗いから夜になっているのかと錯覚してしまったが。
現実にはそうではなかった。
俺たちが入ったときには開いていたドアが、いつの間にやら閉まってしまっていただけだったようだ。
ここは体育倉庫といっても、安っぽい作りの狭い小屋でしかない。
重厚な金属の扉があるわけでもなく、木製のドアがついているだけだから、強めの風が吹くなどして閉じてしまったに違いない。
その考えは、しかし甘かった。
「あれ? 開かない……」
ドアを動かしてみたものの、ガタガタと音が鳴るだけで、一向に開く気配がない。
来たときは最初から開いていたため、俺は大して気にも留めていなかったが、このドアのカギは外側につけられた南京錠だった。
そのカギがかけられてしまっているようだ。
俺とうるるが眠りこけていたマットは、ドアのほうから見ると、跳び箱の陰に隠れる場所にある。
ドアが開いているのを誰かが見つけ、しっかり閉じた上で南京錠をかけてしまった。中に俺とうるるがいることには気づかずに。
おそらく、そういう状況なのだと推測できる。
「……って、これは結構、マズい?」
「はううう~! 幽霊さんが出てきちゃうの~」
「いや、それはないから!」
改めて小屋の中を見回してみる。
窓はない。
それでも真っ暗になっていないのは、木造の建物の隙間から若干の光が漏れ入ってきているおかげなのだろう。
ともかく、唯一の出入り口が南京錠で封鎖されている今、俺たちに脱出する手段があるはずもなかった。
大声を張り上げて叫んだところで、もともと人通りの少ない中庭の奥の寂れた場所では、ほとんど効果など期待できない。
思いっきり体当たりすればドアを壊せないこともないかもしれないが……。
「ま……まぁ、エリカたちが気づいてくれる……かな?」
「うん、そうだね~。きっと、助けに来てくれるの~!」
ケータイなどは持ってきていない。校則で禁止されているため、俺はそれをしっかりと守っている。
うるるやエリカも、ケータイは持っていなかったはずだ。
連絡手段はない。
だが、それでも俺とうるるは楽観視していた。エリカたちが俺たちがいないことに気づかず、そのまま帰宅してしまうとは考えられないからだ。
とりあえず、救助を待つあいだ会話でもしていようか、という流れになった。
「ねぇ、ダイナ~」
「ん?」
「交尾、しよ~?」
うるるがいきなり、とんでもないことを言い出す。
「ちょ……っ!? なに言ってんだよ、うるる!」
「だって、恋人ならするものなんでしょ~?」
「そ……そうかもしれないけど……」
「だったら問題ないの~! 交尾するの~!」
そう言いながら、うるるがべったりとくっついてきた。
いや、でも、俺はうるるのことを大切に思っていてああああ、髪の毛から漂う甘い香りが鼻腔をくすぐる!
うるるは幼馴染みでしかもウーパールーパーの化身だから、そういうことはさすがにああああ、大きな胸がふにょんと柔らかさをこれでもかと主張してくる!
と……とにかく、ここでエッチをしちゃうなんて、エリカへの裏切りでもあるしああああ、うるるの甘い吐息がかかって思考を乱される!
「ダイナ~。あたしとじゃ、嫌なの~?」
「そそそそ、そんなことないけど……! まだ早いというか……! そうだ! 恋人であっても、正しい順番ってものがあるんだよ!」
「正しい順番~?」
「そうだよ。だって俺たち、まだキスもしてないだろ? まずはキスからだ!」
「キス……」
頬に指を添え、考え込む仕草を見せるうるる。
そんな姿も可愛らしい。
「知ってるの~! ちゅーちゅーれろれろなの~!」
「え~っと……」
想像していたよりも、ずっと激しいキスっぽい気がするが。
まぁ、それくらいなら……。
薄暗い体育倉庫にふたりきりで、俺の思考回路もショート寸前にまで陥っていたのかもしれない。
「じゃあ、ダイナ……。キスは男の子のほうからなの~。ん~~~~~」
うるるはそう言うと、目をつぶって唇を突き出してきた。
「うん、そうだな。わかった」
俺は静かに顔を寄せていく。
可愛らしいうるるの顔が、薄暗い視界の中で徐々に大きくなってくる。
う~ん。キスだけとはいえ……いいのかな……?
そんなふうに考えながらも、俺はうるるのツヤツヤでプルプルの唇に自分の唇を、ピッタリと重ね――、
「いいわけあるか~~~~~っ!」
ようとした瞬間、突然の轟音と大声が襲いかかってきた。
「うわっ!? なんだなんだ!?」
音に驚き、俺は反射的にうるるから顔を離していた。
周囲はすっかり明るくなっている。ドアが開いていたからだ。
さっきの轟音は、ドアを開けた音だったのか。どれだけの勢いで開けたのやら。
そのドアのほうから、ツカツカと歩み寄ってくる見慣れたひとりの女の子の姿があった。
それはもちろん、エリカだった。
「ダメに決まってるでしょうが、そんなこと! うるる! あんたも、抜け駆けは許さないからね!?」
「ええ~~~? べつにいいじゃないの~。あたしのあとに、エリカもすればいいだけだよ~?」
「なるほど、それもそうね」
納得しちゃうのか。
「なに言ってるのよ、エリカさんっ! ダメに決まってるでしょっ!?」
続いて飛び込んできたのはクリオネ。さらには、ツチノコも連なるように足を踏み入れてきた。
三人とも、俺たちを心配して探してくれたんだな。
「ありがとう、助かったよ」
素直にお礼を述べる俺を、クリオネが凄まじい形相で睨みつけてくる。
「助かったよ、じゃないよっ! なにやってんのよっ! うるるさんの色香に惑わされちゃダメでしょっ!? この変態っ!」
「え~、あたし、惑わしてなんかないよ~? 恋人だもん~。あっ、そうだ。ダイナ、ちゅーちゅーれろれろはできなかったけど、交尾はしようよ~!」
「ふざけんなっ! この色欲大魔神っ!」
「ふえぇ~? 意味わかんないよ~!」
クリオネからの怒号を受けるも、うるるはキョトンと首をかしげるのみ。
「とにかく、うるる。さっきも言ったように、抜け駆けは絶対に許さないからね!」
「だったら~、エリカも一緒に交尾すればいいんだよ~!」
「ふむ。それならいいわね」
またもや納得するエリカ。
「よくないわよっ! ふざけんなっ! ネッシーも、なんとか言ってやりなさいよっ!」
「えっと……同時にはさすがに無理だよな」
「なにトチ狂ったこと言ってんのよ、ネッシーまで~~~~っ!」
クリオネの怒りは留まるところを知らない。
まぁ、俺自身のせい、とも言えるわけだが。
俺は俺で、いろいろとありすぎて混乱している状態だったのだ。
「なによ、あなた。もしかして、混ざりたいの? それなら素直にそう言ってくれれば……」
「メスアワビも一緒に交尾するの~~~~!」
それにしてもメスアワビって……。
アワビは雌雄同体ではないらしいが……ツッコミは放棄させていただこう。
「わ……私はべつに、そんな……っ!」
「あら、したくないの?」
「したくな……くはないけど……って、なに恥ずかしいこと言わせるのよっ!」
どうやらクリオネも随分と混乱している様子。
「みんなで交尾~! ダイナと交尾~! ついでにツチノコもご一緒に~!」
「あははは。僕まで巻き込むのは、やめてほしいけどね」
「ツチノコもされる側で~!」
「えっ? そっちなの? 困ったな、僕、そういう趣味はないんだけど」
「こらこら、ツチノコ! なに冷静に対処してるんだよ!?」
なんなんだよ、この状況は。
こういうときは……さらっと話題を変えるに限る。
「とりあえず、見つけてもらえて助かったよ。それにしても、ここのカギって、簡単に貸し出してもらえるものなんだな」
俺がそう言うと、エリカから反論が返ってきた。
「はぁ? なに言ってんの? カギなんて貸してもらってないわよ?」
「え……? じゃあ、どうやって開けたんだ?」
「決まってるじゃない! 力任せよ! 中でいかがわしいことをしてそうな気配を感じたら、こじ開けるしかないでしょ!?」
忘れていた。エリカはとんでもない怪力の持ち主だったんだっけ。
だが、そうすると……。
「うわ……。南京錠、完全に破壊されてるよ……」
俺たちはその後、カギを壊してしまったことを伝えに、職員室へと向かう羽目になってしまった。
どうやったら南京錠をこんなふうに壊すことができるんだか。
怒りを通り越し、呆れられてしまったのは言うまでもない。