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「……そんなわけで、この学校の第二体育倉庫では、恨みを持ったまま自殺した生徒の幽霊が夜な夜な仲間を求めてさまよっているという……」
そう言って、クリオネがおどろおどろしい声での語りを締めくくる。
「ひゃう~、背筋が凍りそうなの~。メスホタテ、話も顔もとっても怖いの~!」
「私の貝柱は美味しくないよっ!」
クリオネ……そのツッコミはどうなのか。
あと、ホタテは雌雄同体だから、メスホタテというのはおかし――。
いや、いいのか。
ホタテは通常、雌雄同体なのだが、日本のホタテは雌雄異体だという話だから。
クリオネは日本人だし、メスホタテという言い方も間違いではないことになる。
と、そんなことより。
俺たちは今、机をくっつけ合わせて、昼ご飯を食べている最中だ。
クラスが違うのに、クリオネはこうして昼食時にも俺たちの教室へと赴いている。
同じクラスに友達とかいないのか? と少々心配になってくる部分ではあるが、余計なことは言わないでおこう。
なお、クリオネを含む女子三人は弁当、俺とツチノコは購買でゲットしてきたパンを食している。
意外と料理上手なクリオネは、自分で弁当を作って持ってくることが多い。
さらに意外なのは、うるるとエリカのほうだ。
このふたりも、弁当を持参している。どう考えても、料理ができるとは思えないイメージなのだが……。
確認してみると、ぱっと見だけなら普通の弁当ではあるものの、ちらほらと食材が想像できないようなおかずも存在しているのがわかった。
まぁ、なにが使われているかなど、気にする必要もないだろう。
というか、知りたくもないし。
で、なぜクリオネがあんな話をしていたかというと、怪談をやろう! との流れになったからだ。
どうしてそうなる? だいたい、食事時の話じゃないのでは?
誰もがそんなふうに感じるに違いない。俺だってそうだ。
怪談をしよう、などと言い出したのはクリオネだった。
そして、自ら進んで語り始めた。
クリオネの怪談を聞いたうるるは、怖がりながらも楽しそうな様子で、箸を止めることなく弁当のおかずを口の中へと運んでいる。
俺のほうも、多少背筋に伝わってくる寒気はあったにしても、パンを食べる勢いに変わりはない。
ツチノコだってそうだ。いつもどおりの女子と見まごう笑顔を浮かべながら、クリオネの話を一言一句聞き漏らさないくらいの勢いで熱心に聞いていた。
そんな中。
エリカの顔は異常なほど真っ青だった。
全身が小刻みに震えている。
クリオネの狙いは、ここにあった。
エリカは高圧的な喋り方をするのがデフォではあるのだが、その実かなりの臆病者でもある。
怖い話は大の苦手。聞いたが最後、夜、ひとりではトイレにも行けなくなる。
普段の仕返しとばかりに、エリカを怖がらせてやろう、といった目的で、クリオネは真っ昼間の会談大会を始めたのだ。
怪談がスタートされた段階で、エリカは早々に、「わ……わたくし、トイレに行ってくるわ!」と逃げ出そうとしていた。
しかし、それをクリオネが問答無用で首根っこを引っつかんで席に連れ戻した。
絶対に嘘だと踏んだからだ。
もし本当だったら、食事中にクラスメイトがお漏らしする、という惨劇が繰り広げられる結果になっていたと思うのだが。
ともかく、怪談を語り終えたクリオネは、怯えるエリカを見てご満悦。箸も進む進む。
ここでエリカは、無某にも反撃に打って出た。
「わ……わたくしも、怪談をしてあげるわ! 心して聞きなさい!」
クリオネを怖がらせ、自分も優越感に浸りたい、とでも考えたのだろう。
もっとも、その声は思いっきり震えていたのだが。本当に大丈夫なのか?
「これは、ある人の実体験に基づいた話なんだけど……」
エリカは語り出す。
町外れの丘にある小道を歩いていた際、ふと冷たい風が首筋を撫でていった。
背丈の高い木々が両脇から迫ってくるような、昼間であっても暗く、薄気味の悪い道――。
すごく嫌な気配がした。
なにか、ねっとりとした視線らしきものすら感じられるように思える。
辺りを見回してみるも、木々がさわさわと揺れるのみ。人影などはまったく見当たらない。
単なる気のせい。
そう考え、一歩一歩ゆっくりと足を進める。
自分の足音がやけに大きく響く。
たまに……その足音がずれる。
いや、そう錯覚しているだけだ。
気にせず、歩き続ける。
ひた。ひた。ひた。ひた。……ひた。
気紛れに足を止めてみると、そのあとに遅れてもう一回、別の足音が……。
絶対に、なにかいる!
振り返る勇気などない。
だったら、逃げるしかない。
すぐさま猛ダッシュを開始。
立ち止まったら捕まってしまう!
恐怖に震えながらも、丘の小道を一心不乱に駆け抜ける。
走り続けること、数分。
息は切れ、足も疲れ、これ以上の逃走は無理だった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
膝に手を当て、前屈みになった格好で荒い息を吐く。
だが、随分と走ってきた。これで逃げ切れたはずだ。
安堵した、そのとき。
「ふふっ、私の勝ちね……」
声はすぐそばから聞こえてきた。
恐る恐る顔を上げる。
そこには、額から血をダラダラと流した、髪の長い女性が――。
「きゃあ~~~~ん、怖いのぉ~~~~~!」
うるるが少々余裕があるようにも思える悲鳴を上げ、俺にピッタリと寄り添い、腕を絡めてくる。
「ああっ! うるる、ズルい! ダイナ、わたくしも怖いわ!」
エリカも負けじと、反対側の腕に絡みついてくる
お前は怪談を披露していた張本人だろうに。
「ちょっと、ふたりともっ! そんなにネッシーにくっつかないでよっ!」
クリオネが怒りをあらわにする。
いつもと変わらぬ展開だ。
「でもぉ~、あたしたち恋人だから~」
「そうよ! わたくしもダイナの恋人だから、これは当然の行動になるわ!」
うるるとエリカが俺の腕にぎゅっと抱きつきながら反論する。
ふにょん。ぺたん。
両腕に伝わってくるギャップのある感触もまた、いつもとなにも変わらない。
「あははは、ネッシー、今日も両手に花だね。このままふたりと結婚しちゃえば?」
ツチノコが無責任な発言を繰り出してくるのも含め、ごくごく日常的な光景だった。
「なにバカなこと言ってるのよっ! そんなの、法律的に無理だからっ!」
「う~ん、そうだね。だったら、片方が正妻で、もう片方が愛人かな?」
「だねっ! それなら法律的に大丈夫……って、にゃあああっ! それもダメだってばっ! 法律が許しても私が許さないっ!」
「えええ~~~? どうしてぇ~~~~? あなたには関係ないの~~~!」
「そうね、これはわたくしたちとダイナの問題よ? 部外者には黙っていてもらいたいわ!」
「ダメなものはダメなのっ! キシャーーーーーッ!」
こんな状況に慣れ始めている自分が怖い。
とはいえ、俺が口出ししようものなら、余計に話をこじらせるのは目に見えている。
触らぬ神に祟りなし。
触らぬウーパールーパーとエリマキトカゲにトラブルなしだ。
まぁ、俺が関わらなくたって、この幼馴染みふたりは勝手にトラブルを引き起こしまくるような気もするが。
「だいたいさっ! 恋人とか言ってるけど、そうやってくっついてるだけで、実際にはなにもないんでしょっ!? 恋人ってどういうものか、ちゃんとわかってるのっ!?」
今日のクリオネはしつこかった。
そういうクリオネこそ、わかっているのだろうか。
恋人ってなんだろう?
つき合っている男女。言葉で表すなら、それが正解となるはずだ。
だとしても、とても不安定で漠然とした関係でしかないように思える。
うるるとエリカは、俺の恋人だと主張してはいるものの、クリオネが指摘したとおり、なにか特別なことをした間柄というわけではない。
体の関係はもちろんのこと、キスすらしていない。
以前会っていた頃は小学校に上がったばかりだったのだから、それも当然と言えるのだが。
今はもう、お互い高校生になっている。高校生で恋人なら、なにか関係に変化があってもおかしくない。
おかしくはないが……。
両腕に絡みついている幼馴染みたちに、交互に視線を向けてみる。
うるるもエリカも、体は確実に成長している。とくにうるるの胸なんて、反則的なサイズですらある。
だからといって、ふたりに対してムラムラした感情が湧き上がってくるかといえば、それは否だ。
正確には、まったくないとは断言できない。
胸の感触やら温もりやら漂ってくる香りやらで、ドキドキと心臓が高鳴るのも間違いない。
しかし、俺の心の中では、ふたりは大切な幼馴染みで守るべき対象だという思いのほうが強い。
なぜそんなふうに考えるに至ったのか、そもそも俺なんかに守ることができるのか、まったくもってわからないが。
うるるとエリカを大切に思っているのは、嘘偽りのない俺の素直な気持ちだ。
「恋人って、いつでも一緒にいるってことでしょ~? あたしはダイナと、こうしてくっついてるよ~?」
「それだけじゃ、恋人とは言えないわっ! ゆえにっ! あなたたちはネッシーの恋人じゃないのっ!」
「ええ~~~?」
うるるは、よくわかっていない様子だった。
こいつの場合、ほとんどなにも考えていないというか、思考自体がトロい印象があるから、それでこそうるる、といった感じではあるのだが。
一方のエリカは、自信満々にこんなことを言い出した。
「わたくし、知ってるわ! 恋人っていうのはね、交尾をするのよ!」
「こ……っ!?」
言葉を失うクリオネ。
その顔は真っ赤に染まっていた。
どうでもいいが、交尾って。
そりゃあ、エリカはエリマキトカゲの化身だから、ある意味それで正しいのかもしれないが……。
「あっ、それ知ってる~! あたしも、ダイナと交尾するの~!」
エリカの言葉を聞いて、うるるまでもが大声で宣言する。
今は昼休み。食堂に向かった人などが除外されるとはいえ、クラスメイトの半数近くが教室内にいる状態だというのに。
もっとも、「あいつら、またかよ」程度にしか思われていない自信はある。
過剰に反応するのは、クリオネをおいて他にはいない。
「そ……そんなの、ダメに決まってるでしょっ!?」
「どうしてよぉ~~~? メスゴリラ、文句言ってばっかりなの~~~~!」
「うるるさんっ! メスゴリラって、それ単なる悪口だよねっ!?」
これまでのメスゴキブリやらメスミミズやらメスナメクジやらメスカタツムリやらメスホタテやらだって、充分に悪口だったと思うのだが。
あ、メスカタツムリと言ったのはエリカだったか。
「とにかく、わたくしたちは恋人同士なんだから、交尾するのが自然。そういうことでしょ?」
「そうなの~! あたし、ダイナと交尾するの~! 繁殖するの~!」
「交尾交尾言うな~っ! あんたらには、羞恥心ってものがないのっ!?」
「ないわね」
「あるわけないの~!」
自分で言うか。
「やっぱり、両手に花だね、ネッシー」
「ツチノコはツチノコで、そればっかりだな!」
「あははは、僕としてはそこは強調しておくべき事項になるからね」
「なに言ってんだかな、こいつは」
実際のところ、まったくわかっていないわけでもないのだが、とりあえず鈍感なフリをしておく。
「ウキーーーーーッ! なんでもいいから、ネッシーから離れろ~~~~っ!」
「それは無理な相談ね。ダイナの隣がわたくしの居場所なんだから」
「あたしも、絶対にダイナから離れないの~! 恋人なの交尾なの繁殖なの~!」
「だから、そういう恥ずかしいことを言うな~~~~っ!」
顔を合わせるたびに、騒がしくなる女子三人。
だったら最初から、一緒にご飯を食べたりなんてしなければいいのに。
そう思わなくもないが、この三人はこれはこれで、楽しく生活できているのだろう。
「ところでさ……」
さて、そろそろ不満を訴える頃合いか。
俺はここで口を挟んでみた。
「両腕を絡め取られてると、パンが食べられないんだけど」
「却下!」「却下なの~!」
エリカとうるるは、声を揃えて俺の主張を一蹴した。
「わ……私が、食べさせてあげる、とか……」
「却下!」「却下なの~!」
おずおずと提案してきたクリオネの意見も、同様に弾き返される。
「あははは、みんなのやり取りは、見ていて飽きないね」
「却下!」「却下なの~!」
そしてなぜか、ツチノコの言葉までもが意味なく排除されていた。
そんなこんなの昼休み。
騒がしく過ごしているうちに、時間はあっという間に流れていく。
結局、俺は最後までパンを食べ終えられなかったことを、ここに追記しておこう。