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「にゃ~~~~っ!」
ホームルームが終わり、今日は授業もないため帰宅時間となった教室。
そこへ、猫が飛び込んできた。
……わけではない。
飛び込んできたのは、ひとりの女の子だった。一直線に、俺の席へと向かってくる。
「どうして私だけ別のクラスなのよ~っ!」
眉をこれ以上ないほどにつり上げた真っ赤な顔をさらしながら、わざとらしいくらいに思いっきり地団駄を踏んでいる。
不満を言葉だけでなく表情や仕草にも乗せて表現しているこの子は、俺とツチノコの友人だ。
名前は流氷天使。
これまでにも何度かあだ名だけ登場していたクリオネが、この女の子ということになる。
クリオネは背が低いことも手伝って、子供っぽさが多分に残された容姿をしている。
髪型もツーサイドアップ――すなわち、左右の耳より上側にそれぞれ少量ずつの髪を束ねた感じで、トンボ玉のついた髪留めでまとめているのも徹底している。
身振り手振りも大きく、元気いっぱいな女の子、といった印象が強い。
「クリオネのクラスも、もうホームルーム終わったんだね」
いつの間にか歩み寄ってきていたツチノコが、クリオネとは正反対の落ち着いた声をかける。
「だよっ! 終わった瞬間、ソッコーで飛んできたのさっ! にゃふふっ!」
そうだよ、とは言わず、だよっ、と言うのは、クリオネの特徴的な口癖のひとつとなっている。
他にも、にゃ~とかにゃふふとか、猫っぽいイメージの鳴き声(?)を発することが多い。
とことん可愛らしく、とことん子供っぽく。
それがクリオネという女の子だ。
「あ~ん、でも、せっかく一緒の高校に受かったのに、クラスメイトになれないなんてっ! 大ショック、超ショック、スペシウムショックだよっ!」
「お前は光線でも出すつもりかよ」
「うるっさぁ~いっ! なによ、ネッシー! あたしと同じクラスになれなかったの、ショックじゃないのっ!?」
「う~ん、そりゃあ、同じクラスのほうがよかったとは思うけど。ま、仕方がないだろ」
「キシャーーーーーッ! 仕方がないで済ますな~っ! クラス分けの神様、私はあなたを一生恨み続けるわっ!」
「随分と限定的な神様だな」
苦笑をこぼす。
クリオネは本当に、見ていて飽きない女の子だ。
そういった意味では、やはり同じクラスであってほしかった。
とはいえ、仕方がないものは仕方がない。
べつに死に別れたわけでもあるまいし、隣のクラスなんだから簡単に会えるだろう。
「ネッシーは達観しすぎてるよっ! ツチノコだって、そう思うよねっ!?」
「えっ? いや、僕も仕方がないと思うけど……」
「にゃんですとっ!?」
「だいたい僕は、ネッシーと同じクラスになってるしね」
「うにゃ~~~っ! ツチノコの裏切り者~~~っ!」
なんとも騒がしい。
クリオネがいたらそうなるのは、明白すぎるほど明白なわけだが。
同じ教室内にクリオネがいないことで、平穏で静かな高校生活が期待できる。
かというと、それはまた別の問題が残っていて……。
「騒々しい小娘ね。甲高い声が耳障りだわ」
エリカが唐突に、そんな刺々しい意見を繰り出してきた。
「猫なのかクリオネなのかメスブタなのか、はっきりしてほしいの~」
うるるもまた、のほほんとしたいつもの笑顔を伴いつつも、毒をふんだんに混ぜ込んだ発言を飛ばしてくる。
ふたりは俺の隣の席。しかも、机の列の並びを見れば、不自然に俺の席に接近している状態だった。
すぐ横でごちゃごちゃと喋っていたら、気になってしまうのも当然というもの。
そもそも、このふたりは勝手に俺の恋人を自称しているのだから、なおさらだ。
「……この子たち、誰?」
単なるクラスメイトではない。
直感的にそう悟ったのか、クリオネが鋭い視線で俺を睨みつけてくる。
「えっと……」
俺が答えるよりも早く、幼馴染みふたりが口を開く。
「わたくしは棘薪エリカ。ダイナの恋人よ!」
「あたしもダイナの恋人で、春原うるるなの~!」
口を開くだけに留まらず、ふたりは俺の腕を両側から絡め取った。
それぞれふたりの胸の辺りに引き寄せられた俺の腕。
左腕には、ふにょん、と心地よい感触が伝わってくる。
右腕は……まぁ、ノーコメントとしておこう。
「ちょっと、なんなのよ、ネッシー! 登校初日にして、もうふたりもガールフレンドを作っちゃったのっ!? 不潔よっ!」
「不潔って……。あと、この子たちは幼馴染みなんだよ。いきなり仲よくなったわけじゃ……」
「そんなの関係ないっ! フーーーーーーッ!」
幼馴染みふたりを猫のように威嚇し始めるクリオネ。
うるるはウーパールーパーの化身で、エリカはエリマキトカゲの化身だが。
クリオネは猫娘だな。名前は流氷天使で、まさにクリオネなのに。
「ネッシー、モテモテだね」
「いや、これってそういう状況なのか?」
ツチノコからのツッコミを、軽く受け流す。
モテモテかどうかは別として、とても厄介な状況なのは間違いない。
俺は頭を抱える。
一日に複数回、頭を抱える事態に陥るなんて、想像だにしていなかった。
まだ高校生活が始まったばかりでこれでは、先が思いやられる。
とりあえず、クリオネを必死になだめすかして落ち着かせ、うるるとエリカのことを改めて紹介した。
といっても、小学校一~二年生の頃に仲よしだった幼馴染みで、ふたりとも引っ越してしまったものの、高校に上がった今、この辺りに戻ってきたようで再会した、くらいの内容だが。
「ふ~ん。幼馴染みね~」
クリオネがうるるとエリカに、じとーっとした目を向ける。
「腕に絡みついて、恋人なんて言ってる幼馴染み……」
「あっ、いや、それはたぶん、幼い頃の感覚で言ってるだけだよ!」
「そうなの?」
「あたしは~、今でもダイナのこと、大好きだよ~?」
「もちろん、わたくしも大好きよ! 性的な意味で!」
「せ……っ!?」
俺はまたしても頭を抱える。
うるるとエリカを野放しにしていると、俺のイメージがどんどん落ちていく気がする。
もとから大していいイメージなどなかったかもしれないが。
ともかく、この話題はここで止めておくべきだな。
「そ……そろそろ帰らないと! みんなも帰るよな? 早く教室を出よう!」
絡め取られていた両腕を無理矢理引き抜き、俺は素早く帰り支度を整えながら叫ぶ。
「……そうだね。帰ろうか」
ツチノコも俺の気持ちを察して同意を示してくれた。
「うん、帰るの~!」
「そうね。今日はこれくらいにして、明日またイチャつけばいいし」
「イチャつくな~~~っ! がるるるるっ! ……でもまぁ、私も帰るよっ。カバン取ってくるから、ちょっと待っててよね? 私を置いて先に帰ったら承知しないからねっ!?」
うるるもエリカも、うなり声を発するクリオネも、一応は同調してくれたようだ。
ただ、当然ながらみんな一緒に帰る流れになるわけで、状況的にほとんど変わりなかったというのは、俺にとって大きな誤算だった。
☆☆☆☆☆
両腕に幼馴染みが絡みついてきている状態のまま、下駄箱へと向けて廊下を歩いていく。
たまにすれ違う生徒たちの視線が痛い。
それ以前に、クリオネの視線がさっきからグサグサと突き刺さってきている。
視線で刺殺される勢いだ。言うなれば、視殺か?
「ほんと、両手に花だよね」
「だねっっ! まったくもって、恨めしいっっっ!」(ゴゴゴゴゴ)
爽やかで明るい色の背景を背負うツチノコに対し、クリオネの背後では業火がメラメラと燃え盛っている。
帰宅途中も、俺の気が休まる時間はなさそうだ。
クリオネが別のクラスになってくれたのは、不幸中の幸いだったのかもしれない。
ふにょん。ぺたん。
まぁ……両腕に伝わってくる感触を考えれば、全然不幸ではないのだが。
「うわ、ネッシーの鼻の下がめちゃくちゃ伸びてる」
「天誅~~~っ!」
クリオネの脳天チョップが炸裂。
凄まじい早業だった。
別名、バッカルコーン。
バッカルコーンというのは、クリオネ(流氷の下を漂う生物のほう)が餌を捕食する際に頭部から伸ばす触手のことだ。
流氷の天使と呼ばれ、とても可愛らしい容姿をしているクリオネではあるが、食事シーンはとてもおぞましかったりする。
「痛いよ! バッカルコーンはやめろって、何度も言ってるだろ!?」
「うるさいっ! 私の怒りを買うネッシーが悪いんだよっ! うにゃにゃにゃにゃにゃにゃっ!」
連続脳天チョップ。
六連続攻撃になっているのは、バッカルコーンの名を持つ触手が六本あることに由来している。
……というのは無論、こじつけでしかない。
「ほんっっっとに、落ち着きのないメス猫ね。わたくしの大切なダイナをいじめないでくれない?」
「まったくなの~! 小柄な体でちょこまか動き回るなんて、メスゴキブリ扱いでいいかもなの~!」
エリカとうるるが、余計なことをほざく。
とくにうるるは、人畜無害そうな笑顔を振りまきながら、なんとも毒々しい言葉を放っていた。
「ムッキーーーーーッ! 私はゴキブリじゃないわっ! 小さいのは仕方ないじゃないのっ! 大きければいいってものじゃないよっ!」
そう叫ぶクリオネの視線は、うるるの豊満な胸の辺りに向けられていた。
背の低さではなく、確実に別の部分に対して言っているんだろうな。エリカほどペッタンコではないものの、クリオネもかなり控えめな感じだし。
結局、騒音レベルは変わらないまま、俺たちは下駄箱までたどり着く。
「私だけ下駄箱が別だけどっ! 見てないからって、変なこととかしないでよっ!?」
「変なことってなに? ほんと、いやらしいメスゴキブリね」
「まったくなの~! 小さくてウネウネ動き回るなんて、メスミミズ扱いでいいかもなの~!」
「私はウネウネなんてしてないよっ!」
下駄箱前でも騒々しい女子三人だった。
あと、ミミズは雌雄同体だから、メスミミズというのはおかしい。
そんなツッコミはあまり意味がないため、心の中だけに留めておきつつ、上履きから靴に履き替える。
昇降口を抜けて外に出れば、校門まで一直線に道が伸びている。
「それじゃあ、行きましょうか」
「行っちゃうの~! ハダカ女は放っておいて帰るの~!」
そう言いながら、エリカとうるるがまたしても俺の両腕に絡みついてくる。
「ハ……ハダカ女ってなによぉ~!?」
すかさず、クリオネが鬼のような形相で駆け寄ってきた。
「クリオネの別名がハダカカメガイだからだろ」
「だからなに!? 私はハダカでもカメでも貝でもないっ!」
その反論もどうかと思うが。
怒り心頭のクリオネに反撃するなど、愚の骨頂だ。
俺は無言で歩き出す。
腕を絡めてきているうるるとエリカはもとより、ぷんすかと赤ら顔のクリオネも、落ち着いた笑顔をこぼすツチノコも、静かに俺に続く。
アーチ状の校門をくぐり抜けたところで、俺の両腕から温もりが消えた。
絡みついていたふたりが離れたからだ。
「わたくしは、こっちだから」
「あたしも、こっちなの~!」
うるるとエリカは、俺たちが向かうのとは別の方角を指差す。
「あ、そうなんだ」
小学校の頃に一緒だったふたり。
家の場所は知らなかったが、おそらくは同じ町内に住んでいたはずだ。
その後、引っ越していったとはいえ、戻ってきたのであれば近い場所に居を構えていると思っていたのに……。
「ふふん、ここでお別れってわけねっ! さようなら、ふたりともっ!」
クリオネは一転して上機嫌。なんともわかりやすい。
「また明日ね、ダイナ!」
「バイバイなの~!」
幼馴染みのふたりが去っていく。
実にあっさりと。
なんだかちょっと、寂しい。
まぁ、また明日と言っているのだから、翌朝には会えるはずなのだが。
「うるる、エリカ、またね」
俺が若干沈んだ気持ちを乗せた挨拶の声を響かせると、ふたりは振り返って大きく手を振ってくれた。
☆☆☆☆☆
「幼馴染みか~」
クリオネがつぶやく。
「…………いいな」
ぼそっと。
本音がこぼれ落ちてくる。
「小さい頃に一緒だったってだけで、べつにそれだけでしかないけどな」
「それだけって感じじゃないでしょ~? 恋人って言ってたし、ベタベタくっついてたしっ!」
「あ~……まぁ……」
曖昧な答えになったのは、幼馴染みふたりがウーパールーパーとエリマキトカゲの化身だからだ。
それは秘密事項となっている。たとえ相手が仲のいい友人であっても、話してしまうわけにはいかない。
「ネッシーは両手に花だったよね」
「ツチノコはそればっかりだよな」
実際には、両手に珍生物なのだが。
「でもネッシー、結構気持ちよさそうだったよっ? 鼻の下が伸びてたしっ!」
「あ~……まぁ……」
エリカのペッタンコはともかく、うるるのふにょんは、確かに気持ちがよかった。
「天誅~~~っ!」
クリオネの脳天チョップ再び。
「痛いっての! バッカルコーンはやめろよ!」
「天誅天誅天誅天誅天誅~~~っ!」
当然のように、六連続攻撃となる。
打撃を伴うものではあるが、友人たちとバカ騒ぎしながらの帰り道。
中学時代となにも変わっていない。
それに加えて、同じクラスには新たに幼馴染みのうるるとエリカまでいるなんて。
「この先、いろいろと大変そうだね」
途中でクリオネとも別れ、ツチノコとふたりきりになったところで、そんなことを言われた。
「ま、楽しくなりそうではあるけどな」
これは本心だ。
どんな色になるかはわからないが、確実に明るく彩られた高校生活が待っていることだろう。
「なにがあっても、僕はネッシーの味方だからね」
にこっ。
ツチノコが満面の笑みを浮かべる。
こんな顔だけ見ていると、うるるやエリカよりもよっぽど花のように見えてしまう。男だが。
「そっか、よろしくな」
俺が素直に答ると、
「なんて言いながら、僕は外野からネッシーの困っている姿を存分に楽しませてもらうつもりだけどね」
ツチノコはペロッと舌を出し、顔を小悪魔っぽい笑みに変えた。
そんな表情もまた、可愛らしいな。男だが。
すぐにツチノコとも別れ、俺はひとりになる。
今日から始まった新たな高校生活。
幼馴染みや中学時代からの同級生と一緒だから、さほど新鮮味はないかもしれない。
それでも、少なくとも充実した毎日になるのは決定したと断言していいはずだ。
自分の家まで帰る俺の足取りは、自然と軽やかになっていた。